まるで、依怙地になった駄々っ子のようだ 五十嵐仁の転成仁語(2005.10.17)

 

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まるで、依怙地になった駄々っ子のようだ

 

今日の午前10時すぎ、小泉首相が靖国神社を参拝しました。まるで、依怙地になった駄々っ子のようです。

 道理も論理も正当性もなしに、「だって、行きたいんだもん」という声が、テレビに映った小泉さんの背中から聞こえてくるような気がしました。

 

 小泉首相の首相としての参拝は昨年1月以来で、5年連続5回目になります。靖国神社では今日から秋季例大祭が始まっており、それに併せての参拝と見られます。

 首相は本殿に昇殿せず、手前の拝殿の前で礼をしてさい銭を投じました。A級戦犯がまつられていることや、憲法の政教分離原則の観点から批判がありことを知りながら、とくに太平洋戦争終戦60年の今年は中国、韓国両首脳が強い懸念を繰り返しており、アジア外交に影響が出ることも承知の上で、小泉首相は靖国神社に参拝しました。

 

 参拝後に開かれた政府・与党連絡会議で、小泉首相は「総理大臣小泉純一郎としてではなく、一人の国民として参拝した。二度と戦争を起こしてはならないという不戦の決意で祈った。今日の日本があるのは、心ならずも戦争に行かれた方々のお陰である。アジア諸国との関係を重視し、未来志向で進めたい」と語ったといいます。

 「総理大臣」としての立場は、背広を着替えるように、時と所で取り替えられるものなのでしょうか。「一人の国民」としての参拝は、「総理大臣」でなくなってからすればよいでしょう。

 靖国神社は、先の戦争をやむを得ないものとして正当化し、戦争指導者だったA級戦犯を祀っています。「二度と戦争を起こしてはならないという不戦の決意」を明らかにする場所として、これほど相応しくないところはありません。もし、そのような決意を固めたいのであれば、それに相応しい場所に行くべきでしょう。

 

 「今日の日本があるのは、心ならずも戦争に行かれた方々のお陰である」としても、その追悼の施設として靖国神社は相応しくありません。戦没者が等しく追悼されているのではなく、差別・選別した上で、天皇のために戦って亡くなった人だけを顕彰する施設だからです。

 戦没者を追悼したいというのであれば、そのための施設を作ればよいでしょう。それは決して、靖国神社ではありません。

 「アジア諸国との関係を重視し、未来志向で進めたい」というのであれば、小泉首相は靖国神社に行くべきではありませんでした。アジア外交に影響が出ることは必至だということは、小泉さん自身も十分にご存知のはずであり、だからこそ、このような言い訳をしたのでしょう。

 

 小泉首相の靖国神社参拝については、つい先日、大阪高裁で違憲判決が出たばかりです。今回の参拝形式からは、この高裁レベルでの初の違憲判決を気にした形跡も見られますが、それなら、このような「一応、やるだけはやったかんね」と言わんばかりの中途半端なことをせずにきっぱりと止めるべきです。

 現職の首相が特定の宗教施設に参拝することには政教分離の点から違憲の疑いがあり、侵略戦争を正当化している神社への参拝は、憲法の平和原則からして、これまた違憲の疑いがあります。

 中国や韓国からの強い批判が予想され、周辺諸国との関係改善は頓挫するでしょう。「自己満足」のために日本外交を犠牲にしたという点で、国益に反する犯罪行為に等しいものです。

 

 これで、小泉首相の時代にアジア外交を打開する展望は失われました。それだけのリスクを犯しても行わなければならない参拝だったのでしょうか。このような愚行のお陰で、多くの人が迷惑を被ることが、どうして小泉さんには分からないのでしょうか。

 ひょっとして、一番、迷惑を被っているのは、安倍晋三さんかもしれません。小泉首相の今回の参拝によって、周辺諸国との関係を改善できる人というのが次期首相の必要条件になってしまったのですから……。