《秋の例大祭だから、マスコミがずっと待っていて、そういうのは申し訳ないからな。おれは絶対参拝するんだから》 小泉首相:靖国神社に昇殿せず参拝 秋季例大祭初日 「毎日新聞」(2005.10.17)

 

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20051017k0000e010003000c.html より

 

 

小泉首相:靖国神社に昇殿せず参拝 秋季例大祭初日 

 小泉純一郎首相は17日午前、東京・九段北の靖国神社に参拝した。首相参拝は04年1月1日以来で、通算5回目。首相参拝は中国、韓国など近隣諸国が強く批判しているため対応が注目されたが、「年1回参拝」の公約を優先した。ただ本殿には上がらず、一般参拝客と同様に拝殿の前で手を合わせるなど過去の参拝と異なる形式を取った。首相は同神社の秋季例大祭初日であることを参拝理由として説明するとみられるが、11月にアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議、12月には盧武鉉・韓国大統領の訪日を控えての参拝に中韓両政府は抗議、反発を強めている。

 同神社では17日から20日まで秋季例大祭が行われる。公邸を出た首相は午前10時過ぎ、公用車で同神社に到着。一般参拝客と同じ拝殿に進み、一礼して階段を上った後、スーツのポケットから取り出したさい銭を投げ入れ、約30秒間、深々と頭を下げた。最後に再び一礼した首相は、記者団の問いかけには答えず、そのまま同神社を後にした。これまで参拝していた本殿には向わず、「内閣総理大臣 小泉純一郎」の記帳や献花料の提供もなかった。

 首相の参拝をめぐっては、同神社に第二次世界大戦のA級戦犯が合祀(ごうし)されていることなどから中国、韓国が反発。加えて9月30日に大阪高裁判決が憲法20条の定める政教分離原則に反するとして違憲と判断、司法からも問題視する見解が出ていた。従来の方式を変更したのは、私的参拝色を強調する狙いからとみられる。

 首相は01年4月、自民党総裁選の公約として8月15日の参拝を掲げたが、首相就任後に8月13日に前倒しした。02年は春季例大祭の初日の4月21日、03年は1月14日、04年は元日に参拝するなど、前倒しを重ねたが、今年は、中国で「反日デモ」が発生したことや「竹島」問題をめぐり日韓関係が冷え込んだ事情もあり、参拝を先延ばししていた。ただ、大阪高裁判決に批判を加えるなど、政府・与党には年内参拝方針は不変との見方が広がっていた。【中田卓二】

 小泉首相「平和を願う一国民として参拝した」

 小泉首相は17日昼の政府与党連絡会議で、自らの参拝について「平和を願う一国民として参拝した。近隣諸国は大事な関係なので、未来志向で努力したい」として説明し、理解を求めた。首相はこれに先立ち、首相官邸で自民党の中川秀直国対委員長に対し「秋の例大祭だから、マスコミがずっと待っていて、そういうのは申し訳ないからな。おれは絶対参拝するんだから」と語った。

 私的参拝との認識を改めて強調 細田官房長官

 細田博之官房長官は17日午前の記者会見で、小泉純一郎首相の靖国神社参拝を受け、「首相の職務として参拝しているものではない。首相がかねがね申しているように適切に判断して参拝されたと考えている」と述べ、私的参拝との認識を改めて強調した。首相が参拝方式を変えたことについては「従来と同じと思う。どういう理由で今回のような参拝形式を取られたかは承知していない」とかわした。また中国、韓国からの反発に対しては「適切に国際的にも対応していきたい」と語った。

 例大祭 靖国神社にまつられた戦没者の冥福を祈る祭典で、1917年、日露戦争後の陸軍凱旋観兵式の日(4月30日)を春の例大祭に、海軍の凱旋観艦式の10月23日を秋の例大祭の日と定めた。戦後、GHQ(連合国軍総司令部)の指摘などを受け、旧暦の春分、秋分の日を新暦に換算。春を4月22日、秋を10月18日に変更した。今年の秋の例大祭は17〜20日で、同神社は約5万人の参拝者を予想している。例大祭の行事は17日午後3時の「清祓(きよはらい)」の儀式から始まる。

 靖国神社 明治政府が1869(明治2)年に「東京招魂社」として創建、1879年に靖国神社と社号を変えた。戦後、連合国軍総司令部(GHQ)の「神道指令」によって国家神道が廃止され、一宗教法人となった。明治維新から太平洋戦争までの戦死者ら計246万6532柱(04年10月17日現在)を祭神としている。59年からB、C級戦犯の合祀が始まり、A級戦犯は78年に合祀された。

 タイミング計ったが、内外情勢は厳しさ増す

 小泉純一郎首相が秋季例大祭初日の17日に靖国神社を参拝したのは、APEC首脳会議など外交日程がたてこむ11、12月の参拝は難しく、10月を逃すと「年内参拝」の公約が守れない、という判断からだとみられる。衆院選での自民圧勝、郵政民営化法成立による政権の求心力アップが追い風になるという計算も働いただろう。

 年内参拝自体は既定路線だった。今年のタイミングについて首相は「適切に判断する」と繰り返してきたが、02年に春季例大祭の初日に参拝した先例があり、終戦記念日参拝を見送った後は「秋季例大祭を選ぶのではないか」という見方が広がっていた。

 とはいえ、中国、韓国との関係改善は日本外交の急務だ。首相は昨年元日の前回参拝に際し、記者団に「初詣でという言葉がある。日本の伝統でしょう」としか言わなかった。首相の参拝は現実に複雑な政治問題を生み出している。単に「例大祭だから」という以上の明確な説明が求められよう。

 タイミングを慎重に計った判断であることは間違いないが、その配慮が内外の批判を収めるほど楽観的な情勢ではない。首相は就任直後の01年の参拝以来、私的参拝か公的参拝かという点についてはコメントを避けていたが、昨春の福岡地裁の違憲判決を境に、以後は「私的参拝」と説明するようになった。

 今年9月30日には大阪高裁も違憲判断を示しており、首相の参拝と、国の宗教的活動を禁じる憲法20条3項(政教分離原則)との整合性が改めて問われている。首相が今回、これまでの流儀を改めて昇殿しなかったのも、「私的参拝」を明確にすることを迫られたことを示している。

 政府・与党内には「12月31日に参拝して『首相としてはこれが最後』と表明すればいい」という声もあった。郵政民営化と同様、「ぶれない」姿勢の維持を優先した首相には、中韓との関係立て直しという重い責任が残された。【中田卓二】

毎日新聞 20051017日 829分 (最終更新時間 1017日 1316分)