小泉首相の驚くべき論理のすり替え・究極の詭弁――問題は憲法第20条をめぐる問題であり、中国・韓国の国民感情の問題であるのに、憲法第19条を持ち出す小泉首相の姑息な逃げ 森田実政治日誌(2005.10.20)

 

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2005年森田実政治日誌[399]

小泉首相の驚くべき論理のすり替え・究極の詭弁――問題は憲法第20条をめぐる問題であり、中国・韓国の国民感情の問題であるのに、憲法第19条を持ち出す小泉首相の姑息な逃げ

「退屈な男になる秘訣は何もかもしゃべることである」(ヴォルテール)

10月19日夜10時過ぎに「NHKニュース10」をつけると、ちょうど小泉首相と前原民主党代表の党首討論の模様が放送され始めたところだった。昼間の中継を見ることができなかったので、すべての議論はわからないが、靖国問題についての小泉首相の発言の一部を知ることができた。
 小泉首相は憲法第19条を持ちだした。「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」の憲法第19条によって、小泉首相自身の靖国参拝を合理化しようとしていた。これはひどいと思った。
 小泉首相の靖国参拝が外交問題になるのは、小泉氏が首相だからである。首相は公人である。首相がA級戦犯を合祀している靖国神社に参拝したから、外交上の重大問題になっているのだ。首相でなければ誰も問題にしない。それを、小泉首相は一般国民の「思想・良心の自由」の問題にすり替えているのである。こんなインチキを許してはならない。
 こんな論法を通じさせている自民党はどう考えてもおかしい。沈黙している公明党もおかしい。前原代表の追及もこの点は弱い。
 小泉首相が憲法第19条に逃げ込むことは、あまりに卑劣である。
 もう一度強調しておく。首相だからこそA級戦犯に頭を下げてはならないのだ。小泉純一郎氏は、それくらいのことはわかっていてやっているのではないか。わかった上で詭弁を弄しているのではないか。小泉首相の精神には、誠実というものがないのだろうか。
 大阪高裁の違憲判決に追い詰められ、中国と韓国が本気で怒ったために、周章狼狽して憲法第19条に救いを求めるとは、卑劣である。恥を知れ、と言いたい。