平安女学院大、就学権訴訟 控訴審は棄却 学生は地方自治体振興の手段か(2005.11.1)

 

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2005年11月01日

平安女学院大、就学権訴訟 控訴審は棄却 学生は地方自治体振興の手段か

■横浜市立大学大学院『思惟と聯流』第4号(2005年10月15日付)より

平安女学院大、就学権訴訟 控訴審は棄却 学生は地方自治体振興の手段か

 九月二十八日、本紙(創刊号、第二号)でも取り上げた、平安女学院大びわ湖守山キャンパス(守山市)の廃止を巡り、同大学四年の川戸佳代さんが守山キャンパスで学ぶことなどを求めた訴訟の控訴審判決(大阪高裁)が下された。結果は控訴棄却であった。
 川戸さんが控訴した理由は、先の大津地裁(五月二十三日)の判決において、原告が守山キャンパスという特定の《場》での就学権の確認と履行請求を、一般化・抽象化された在学契約の主張と見なされたためである。すなわち争点である「第三者(学生)のためにする契約」に基づく就学権の有無の判断を回避されたのであった。
 川戸さんは控訴審判決を前に、「大学倒産時代が現実となった今日、キャンパスを廃止したのは平安女学院大学ばかりではありません。しかしながら、ここで問題とすべきは平安女学院のように学生を無視した対応が他の大学においては見られないということです」と主張してきた。大阪高裁の判決は大学としての社会的責務(USR)を厳しく追及すべきであった。しかし判決結果は川戸さんが提起した争点に踏み込んだものではなかった。
 「大阪高裁判決文」を読むと、「補助金の交付は一定の行政目的を達成するための手段として行われるものであって、その際に結ばれる協定も、その目的を達成するための手段にすぎず…(略)…個々の学生に対して、守山キャンパスで就学する具体的権利を付与することまでを意図し、それを内容とする契約を締結する意思があったとは認められない」という文章が目につく。
いったい自治体振興(目的)のための教育ビジネス(手段)が破綻した責任は誰が負うのか。市や大学は責任を回避し、そのツケを「個々の学生」にまわすというのである。川戸さんは自分のHP上で今回の判決を「説得力を持たない手抜き判決」として、「学生は地方自治体振興の手段に過ぎないと、また判示された事に対して怒りを覚えます」と批判する。

「就学権」を諦めるな

 判決後、十月十日に報告会(「就学権確認訴訟を支援する大学人の会」主催)が守山キャンパスの隣にある守山市民ホール中央公民館で行われた。川戸さんをはじめ、吉原稔弁護士らの参加・報告があった。吉原弁護士からは判決は一審、二審とも争点について全く理由を答えていない(理由不備)という説明があった。そして川戸さんは、これから最高裁への上告に向けて引き続き活動を展開することを表明した。
 また今年退学した一年生の母親の参加者から次の報告があった。入学した四月にいきなり高槻キャンパス移転の説明を受けて、その後の学校側の姿勢に失望して、九月付けで退学をした。入学金その他の金銭的損失だけでなく、娘さんは精神的にも大きなダメージを受けた。とりわけ子どもの人生にとって大事な時期である一年間の損失について強い批判をした。その上で今回の川戸さんの上告によって、全国の大学人が、この問題に対して意識がのびることを期待した。
 そこであらためて確認できたことは、川戸さんの主張する「就学権」とは自治体の補助金によって創設された私大の学舎で学ぶ学生の特権のようなものである。
 今回の大阪高裁の判決は今後の日本の大学運営に影響を与える。いま、様々な大学で生き残りをかけて統廃合や大学改革が行われる中、無責任な大学運営の経営的破綻の追及はもとより、無思慮な大学改革による学問的破綻の責務も厳しく問う必要を強く再認識させられるものである。
 川戸さんの主張する「就学権」という新しい概念の可能性を可能性で終わらせてはならい。

 

投稿者 管理者 : 20051101 00:00