靖国と反日 小林多喜二 「日々通信 いまを生きる」 第180号(2005.11.10.)

 

 

 

        >>日々通信 いまを生きる 第180 20051110日<<

     
靖国と反日 小林多喜二

     
日本帝国主義に反対するのが「反日」なら、あの戦争に反対した小林
     
多喜二は「反日」作家ということになり、多喜二を高く評価する私など
     
は「反日」研究者ということになるのだろう。

     
事実、私をそのように罵る言葉が掲示板に書き込まれたこともある。
     
多喜二も、当時は非国民と罵られ、国賊とされ、お前のような国賊は殺
     
したっていいんだと言われて、ついに、殺された。

      1950
年前後にアメリカでマッカーシー旋風が吹き荒れたときはマークト
     
ゥエインも非米作家とされて、その研究者が非米活動委員会の喚問を受
     
けるというようなことがあったらしい。
     
ハワード・ファストの「平凡な教師」というのはそういう小説だった。

     
そうなると、夏目漱石のような作家も「非日」とか「反日」とか言われ
     
ることになるかもしれない。

     
 多喜二の生涯を考えるとき、いつも私の心に浮かぶのは、多喜二の死
     
に際して送られた魯迅の言葉である。

       
日本と支那との大衆はもとより兄弟である。資産階級は大衆をだまし
       
て其の血で界(さかい)を描いた、又描きつつある。
       
しかし無産階級と其の先駆達は血でそれを洗っている。
       
同志小林の死は其の実証の一つだ。/我々は知っている、我々は忘れ
       
ない。
       
我々は堅く同志小林の血路に沿って前進し握手するのだ。

       
日中両国の人民は元来兄弟なのだ。しかし、資産階級がそれをだまし
     
て戦争させ、人民の血をその戦いで流させている。しかし、無産階級と
     
その先駆者たちは、みずから血を流して平和のためにたたかっている。
     
小林はその実証の一つだ。

       
魯迅の言葉の意味はこんなものだったろう。
       
多喜二は日本帝国主義を憎み、その戦争に反対する作家活動をつづけ、
     
そのために投獄され、殺された。
     
 しかし、死にいたるまで枕頭に藤野先生の写真をかかげ、数多くの日
     
本文学を翻訳し、日本と日本人に対する親愛の情を抱きつづけた。

     
 魯迅は「反日」ではなくて、親日だったと思う。それ故に日本の帝国
     
主義を憎み、これに反対したのだと思う。
     
 多喜二も人にもまして、日本の人民を愛し、それ故に日本の戦争を憎
     
み、人民を抑圧する天皇制国家体制に反対してたたかったのだと思う。

     
 私は小林多喜二を戦争が終わるまで知らなかった。戦後、戦争に反対
     
して殺された作家がいると知って、驚き、感動した。

     
 いまの若者たちも多くは多喜二を知らないのであろう。
     
 それはもう遠い昔のことだ。自分達には関係ないのだとおもっている
     
のであろう。
     
 しかし、イラク戦争はあらためて戦争について考えさせた。
     
 いまのアメリカを見ていると、あの頃の日本のことがさまざまに思わ
     
れる。

     
 日本は中国人民の抵抗にあい、泥沼戦争におちこんで、身動きならな
     
くなった。
     
 いま、アメリカは同じくイラク人民の抵抗にあって、身動きならなく
     
なった。
     
 アメリカは撤退したいだろう。
     
 多数の人命をうしない、莫大な戦費を支払わされている。
     
 そして、勝利の見通しはないのだ。

     
 侵略戦争に勝利はない。そのことを、あの戦争で日本は知った。戦争
     
は戦勝国にとっても、その結果は悲惨だった。
     
 その経験が二度と戦争をしてはならないという意識を強め、さまざま
     
な矛盾はあってもEUを成立させるにいたった。

     
 アメリカは自国を攻撃されたことのない国だ。
     
 真珠湾攻撃と911の同時多発攻撃ぐらいが、自国が直接攻撃された
     
経験だ。それは一回性のもので、被害も局地的だった。
     
 第二次大戦後、戦争を肯定し、戦争による国際紛争の解決をはかろう
     
とするのはアメリカだけだ。
     
 朝鮮戦争、ヴェトナム戦争と二度の戦争で大きな痛手を被ったにもか
     
かわらず、今度はアフガン、イラクの戦争に突入した。

     
 日本はあの戦争を経験して、二度と戦争をしてはならないということ
     
を知り、平和憲法を自国の憲法として、この60年、アメリカの要求を拒
     
んで、平和を守り、経済繁栄を実現した。
     
 いまは、軍事力によってではなく、その経済力によって、世界の尊敬
     
を得る国になった。
     
 中国も、韓国も日本の経済力に敬意を払い、アジアにおける指導的な
     
地位を認めてきたと思う。

     
 しかし、日本のアジアにおける地位は急速に低下しつつある。小泉首
     
相の靖国参拝はアジアの日本に対する信頼をうしなわせた。アジアの信
     
頼だけではない。世界の信頼もうしなって、孤立の道を歩いているのだ。

     
 中国は活発にアジア諸国だけでなく、ロシアはもちろん、ヨーロッパ
     
諸国との関係を強化している。EUとの貿易も急速に拡大している。胡
     
錦濤主席は活発に世界の国々を訪問し、おおきな成果を上げている。

     
 これに対して日本はどうか。中国、韓国とさえまともな関係を結べず、
     
ただただ、世界で孤立するアメリカの後を追いかけるだけだ。
     
 孤立するアメリカは中国との関係を強化しようとして努力しているが、
     
日本はただ内にこもって、効果の疑わしい改革一本槍だ。中国の活発な
     
外交活動をみるにつけ、うらさびしい思いがしてならない。

     
 興隆する中国と、停滞し、低落する日本という印象はぬぐいがたい。
     
そのいらだちがアメリカとの同盟を強化し、憲法を改変して戦争できる
     
国になろうとする動きになっているのだろうか。
     
 靖国で他国からとやかく言われることではないとがんばって、それが
     
国民の支持を得るということの背後には、こういういらだちがあるのだ
     
ろう。

     
 しかし、その力みは見当違いなように思われる。
     
 アメリカに対して日本の経験にたって、強く平和を主張し、日本の経
     
済力を背景にアジアの統合にはっきりしたイニシアーティブをとってこ
     
そ、日本はアジア諸国から信頼され、世界における役割も強まるのだと
     
思う。

     
 いま、日本の侵略戦争に徹底して反対し、そのために命まで奪われた
     
小林多喜二についてのシンポジウムを中国で開くことは、日本に対する
     
信頼を回復するのに役立つのではないか。

     
 ここでふと思うのだが、小泉はアメリカの意を体して靖国参拝をつづ
     
けているのかもしれない。アメリカはみずからは中国との関係改善に熱
     
心だが、日本と中国が結んで大きな力を持つことを嫌っているのだ。
     
 日本はアメリカをひたすら信頼し、その尻尾についていればいいとば
     
かり思い込んでいるようだが、気がついてみれば、米中が結ばれて、日
     
本だけが放り出されるということもあり得るのだ。

     
 何にしても、日本は独立した未来の展望をもたなければならない。そ
     
れがないために国民はお先真暗で、気力をうしなっていくのだ。
     
 アメリカ自身が軍事力に依存する単独行動主義が破綻して、その前途
     
を展望しなおしているところだ。そのアメリカに追従して、軍事力の強
     
化のほかに道を見出せない日本はみじめだ。

     
 秋晴れの日がつづきますが、中国行きでしばらく皆さんとお別れです。
     
一週間後には、中国の印象を新たにして帰って来ます。
     
 皆さん、お元気で。

     
  伊豆利彦 http://homepage2.nifty.com/tizu

     
新掲示板2では<軍国主義的風潮の復活 ?>をめぐって興味あるやり
     
とりがあったが、これについての感想は帰国後に記したい。


  
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