《サイレントに、内心に怒り・憎悪の気持ちを秘めながら、脱出のチャンスだけを捜している》 永岑三千輝氏『大学改革日誌』(2005.11.25)

 

http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/SaishinNisshi.htm

 

 

11月25日 さすがに労働組合・労使関係論・労務管理・労使紛争等の専門研究者として、香川大学の吉田さんは、任期制問題に関する本学の動向にはとりわけ敏感なようで、「団体交渉」の現状に関する情報について鋭いコメントを出されたことを、「全国国公私立大学の事件情報」で知った。

研究教育で着々と実績を挙げて、しかるべき年数を経ていよいよ昇格・昇任だという段階になって評価基準・評価主体もはっきりしない「任期制」、「新規契約」などわけのわからない「不利益変更」をちらつかされる人々の気持ちは一体どのようであろう。サイレントに、内心に怒り・憎悪の気持ちを秘めながら、脱出のチャンスだけを捜している、ということにならないだろうか?

市の行政においては任期制や年俸制はない。自分たち「経営」サイドはそのシステムに乗りながら、大学教員(人事権などは上から任命された学長のもとでの「人事委員会」が掌握する)に対してだけ、「中期目標」(どこで、誰が、どのように決めたか?)なるものを看板にして、教員をさいなむ姿勢を取り続けている、ということになるのではないか。きちんと物事を考えず、サイレントだからとそれに悪乗りする「管理職」がいるとすれば(サイレントなものは「改革」賛成と公言するとすれば)、しかるべき責任を担う人としては不適格ということだろう。

サイレントで目に見えないままで大学の教育研究が蝕まれていく。その数年のうちに、自分は大学を去っていく。「上から」「外から」任命される人々は、「上」と「外」を見ていればすむのだろう、と多くの教員は無力感に陥る。・・・・いや、これはたんなるマイノリティの感じ方か?

教育研究を担う教員集団(教授・准教授など)が主体的責任(従って権限)を持てるような組織でない限り、内部崩壊は不可避ではなかろうか?

教員集団のみじめな状態を端的に示すものとして、目下進行中の学長選考方式があるのではないか?

その深刻な問題の所在は、教員組合アンケートへの回答(アンケートの最終結果が縷々述べるとおりではないか?