横浜市立大学の“構造欠陥”、「制度設計」の責任は誰に? 永岑三千輝氏『大学改革日誌』(2005.12.2)

 

http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/SaishinNisshi.htm

 

 

122日 耐震構造に関する欠陥マンション・欠陥ホテルの話題で全国は騒然としている。その陰に隠れて、社会の中ではたくさんの構造的欠陥、設計ミスの問題がいまのところ水面下で増殖中、とみるのが、多分まっとうな見方だろう。

他人事ではない、と襟を正さなければ成らないところはおおいのではないか。今回の設計ミスも、すでに1年半以上も前からある設計事務所による指摘がなされていたという。しかし、それは無視され、もみ消された。その間に、たくさんのマンションが建設され、たくさんの人々が構造的欠陥を知らないままに入居・宿泊していたのだ。

      大学の問題はどうか?

 すでに学生新聞でも、学長候補者所信表明会(新聞記者などもこの場にいたことは、新聞報道から明らかであるが)における候補の発言をとらえて、トッフ500点問題などで「認識甘い」発言に批判的コメントを加えている。学生、そしてその学生と接触する現場の教員と一般の職員の多くは、現在のシステムには構造的欠陥があると気づいているのではないか?少なくとも問題としては、代議員会などでも繰り返し提起されているという。

しかし、現実には、たとえば最新情報では、来年度時間割編成においても、むしろ、通常の講義やゼミのシステムに影響を与えるような「決定」が下されようとしているという(「下された」ともいわれる)。どこで、だれが?その決定文書は?その署名者は?

何も正式にオープンに議論しないと、決めるのは簡単だが、じゅうぶんな議論を経ていない限り、実際の執行においては難問噴出ということになろう。教授会(代議員会)は時間割を審議決定していない以上、どこか管理部門において(?・・・教育研究審議会?)「決定」がなされているのであろう。

学校教育法は、教育に関する重要事項の審議権を教授会に与えているのではないか?

「制度設計の責任」、さらに、その「制度」を現実に運営してみて構造的問題が現場から噴出しているとすれば(ほぼ一年間の講義期間の主要部分を経過し、だいたいの問題は鮮明にでてきているとみるべきだろう)、それを直視し、早急に打つべき手を打たない場合の「不作為の責任」といったことも、問題になりうるだろう。今の審議決定のシステムでは、行きつくところまで行ってしまう、ということにならざるをえないか。

現在進行中の制度では、一般教員は、審議決定権のないコース会議(学則上、正式に位置づけられていないため、したがって無力・無権限なため、参加しない人も多い)という場で情報を耳にし、ただ発言するチャンスがあるだけである。

現在世間を騒がせている偽造設計による構造欠陥問題になぞらえていれば、決定権などにかかわりのない部外者設計事務所の建築士が構造計算の不適切さ・偽造問題に気づいて、「ここはおかしいですよ」と間接的に伝えている、といった有様ないし段階か?