東アジアサミットにどう臨む?小泉首相 「天木直人メディアを創る」(2005.12.4)

 

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東アジアサミットにどう臨む?小泉首相

  今月12月の12日にマレーシアのクアラルンプールで東南アジア諸国連合(ASEAN)10カ国と日本、中国、韓国を加えたASEAN+3の首脳会議が開かれる。その直後の14日には、ASEAN+3に加え、域外国のインド、豪州、ニュージーランドを加えた16カ国の首脳による東アジア首脳会議(サミット)が始めて開かれる。先月の11月18日には、韓国で21カ国・地域によるアジア太平洋経済協力会議(APEC)の首脳会議が開かれたばかりだ。
何故このような類似の首脳会議が重複して存在するのか。そこには世界支配を当然視する米国と、アジアの発展はアジア人の手で行うとするマハテール元マレーシア首相の信念との、激しいぶつかり合いがあるのだ。
そんな国際政治のダイナミズムの中にあって、対米追従一辺倒の日本はこの十数年間、理念なきまま右往左往し、マハテール首相から期待されたリーダーシップの役割を失ったばかりか、今やアセアン諸国の尊敬まで失いつつあるのだ。
まず、これまでの経緯を簡単に振り返ってみたい。最初に出来た地域協力は、アジア太平洋経済協力会議(APEC)であった。これは世界貿易機構(WTO)の下での自由化交渉を有利に運ぶべく、わが通産省(現経産省)が豪州とともに主導的役割を果たして80年代につくられた地域フォーラムであった。南米や台湾までをも含む21の国・地域のアジア太平洋地域に広がっていった。
その一方で、ルックイースト政策(旧宗主国である西欧を見習うのでなく、日本、中国、韓国という東方のアジアの大国から国づくりを学ぶべきとする考え方)を唱えていたマレーシアのマハテール首相は、1991年になって突如「東アジア経済共同体構想」を唱え始めた。APECのような米国、豪州主導の地域経済機構ではアセアンの利益は十分に達成できないとのマハテール首相の真骨頂がその背景にある。
実は当時マレーシアの日本大使館公使をしていた私は、このマハテール首相の考えを日本政府の誰よりも最初に知らされた者であった。マハテール首相は、アングロサクソンの支配に抗すべく国際政治、経済の場でアジアが団結しなければならないと内話していた。さすがにこの考えは欧米を刺激するという事で、側近の助言を入れて、少なくとも説明振りとしては、経済を中心としたゆるやかな東アジア諸国の協力体をつくるのだといい始め、その呼称も、当初の「東アジア経済ブロック」から「東アジア経済フォーラム」、「東アジア経済コーカス」、「東アジア経済協力体」などと変化して行った。しかしマハテール首相の真意はあくまでも東アジア諸国の団結であり、東アジア諸国とは日本、中国、韓国に限定されるものであった。
米国はその本質を見抜いてすかさず行動に出た。日本に反対させて潰させようとしたのだ。その一方で米国は、「東アジアが結束することに異存はないが、日本が中心となる東アジアの団結は許さない」という日本警戒論をアジア諸国に言い触らしていた。
おめでたいのはわが外務省だ。そのような米国の本音も見抜けず、マハテールからのラブコールに応えて東アジアの経済発展に指導力を発揮するという決断も出来ず、ひたすら対米従属を優先させた。さりとて直ぐに断る勇気もない。いたずらに返答を遅らせる日本に痺れを切らした米国は、「なんだ、まだ断っていないのか」と日本を恫喝し、これにあわてた日本は、こともあろうに天皇陛下がマレーシアを訪問しマレーシアの国王から直々に協力要請を受けたその翌日に、反対の意思をマレーシアに伝え、天皇陛下の面目を平気でつぶす始末だ。おりから訪れるベーカー国務長官(当時)に「断っておきました」と応えなければならないからだ。天皇陛下よりもベーカー国務長官の方が大切なのだ。天皇陛下の上にマッカーサー司令官が君臨した構図は戦後60年経っても変らない。そして自らの政策を持つことなく、米国に恫喝されて要求を丸呑みする構図は米軍再編をめぐる日米関係と全く同じに見える。
東アジア経済協力体問題は、その後沈静化したかに見えたが、マハテール首相の執念は持続した。やがてアセアン首脳会議の機会を利用して、そのアセアン首脳会議の直後に日本、中国、韓国の域外三カ国の首脳を交えたASEAN+3の首脳会議を開く形で環境が整えられていった。その間バブル崩壊後の失われた10年で日本は国力を低下させていった。そんな日本への警戒心を失ったのか、米国もかつてのような強い反対を唱えなくなっていた。
しかしその間に今度は、衰退する日本の国力とは対照的に、中国の目覚しい経済発展がASEANに影響力を与えるようになった。再び米国は東アジアの地域協力体の行く末に警戒心を抱くことになった。
昨年(2004年)11月のASEAN+3の首脳会議で「東アジアサミット」の創設が合意された。これは、あくまでも「東アジア共同体」を設立しようとするアセアンと、アジアのいかなる協力機構も米国も含めた幅広い開放的なものにしておきたいとする米国(及び日本、豪州)の思惑の妥協の産物であった。その結果メンバーはアセアンと日、中、韓に加え、インド、豪州、ニュージーランドが加えられることになった。日本は米国の意向を先取りして米国の加入を強く求めてきたが、そのうち米国が「しゃらくさい」とばかりに「参加しない」と言い出し、日本ははしごを外された格好になった。その一方で米国は自らの参加しないいかなるアジアの地域協力機構についても否定的な立場を崩そうとしない。
こうした経緯を経ていよいよ第一回の東アジアサミットが14日マレーシアで開かれるのである。そこで日本はどう対応するのか。小泉首相はどんな発言を行うのか。米国の参加がないこの会議で孤立することが目に見えている小泉首相がどのようなパフォーマンスで乗り切るのか。そもそもパフォーマンスが出来る場になるのか。
長々と書いてきたのには理由がある。それは4日の各紙に三つの興味深い記事が掲載されていたからである。
まず毎日新聞が、独自に入手した草案によるとして、「東アジア共同体」の創設について、12日のASEAN+3で採択される共同宣言には明記されているにもかかわらず14日の東アジアサミットの共同宣言案には何の言及もない、という事をスクープしている。これが何を意味するかは明瞭である。「東アジア共同体」はあくまでもASEAN+3に限定しようとするマハテール構想を、アセアン諸国と中国が実現に向けて歩を進めようとしているということだ。当然ながら日本は反発するであろう。インドや豪州を誘って、メンバーにインドや豪州も含まれている東アジアサミットの共同宣言案の中に「東アジア共同体」構想を盛り込むよう働きかけるであろう。果たして日本の思惑通りまとまるのか。
もう一つの記事は読売新聞である。マハテール元首相との単独インタビューを行った読売新聞は、次のようなマハテール元首相の言葉を掲載している。
「・・・(今度の第一回東アジアサミットの狙いは)東アジア共同体の創設にある。しかし日本はオーストラリア、インド、ニュージーランド、さらに米国まで加える事を望んでいる。それでは『東アジア』とは言えない。共同体創設の観点ではサミットは失敗に終わるかも知れない・・・我々には日本が必要だが、それは米国の代弁をしない日本だ・・・日中の対立が続けば(東アジア共同体の)将来は暗いものになる。共同体を日本が牽引すれば中国が不快だろうし、逆も同じ。代替案としてASEANが牽引する方がよい・・・」
 最後に産経新聞がスクープしている小泉首相の基調演説の骨子を引用しておこう。小泉首相は演説の中で、あくまでも米国の存在が東アジアの平和と安全に不可欠であるとの認識を表明、同時に、自由、民主主義、人権といった普遍的価値の共有を強調することで中国を牽制するという。どこまでも米国の代弁者に終始するつもりだ。そしてどこまでも中国に対決的だ。こんな間違った外交を、どうして周囲の政治家や外務官僚の誰一人としていさめようとしないのか。
 反米テロの拘束者を虐待する秘密収容諸をめぐってEU諸国はいち早く米国の人権無視について追求の動きを示しているのに対し日本は沈黙を続けている。その一方で米国が自由、民主、人権という普遍的価値の体現者であると強調し、中国の人権を云々する。どこまでも救いがたい小泉外交である。