日々通信 いまを生きる 第183号 伊豆利彦(2005.12.5) [1]構造計算書偽造事件の衝撃、[2] 中国を訪ねて(その3)何代がかりの運動

 

 

        >>日々通信 いまを生きる 第183号 2005年12月5日<<

       [1]構造計算書偽造事件の衝撃
       [2] 中国を訪ねて(その3)何代がかりの運動

      [1]構造計算書偽造事件の衝撃

      姉歯秀次一級建築士はなぜこんなことをしたのか。
      工期を短縮せよ、価格をさらに下げよ、鉄筋を減らせ等の圧力があった
      と言っている。
      さらには、同様のことは他でもやられているとも言っている。
      最近のはげしいマンションの低価格競争を見れば、姉歯建築士に関係す
      るものでなくても、購入者は不安にならざるを得ないだろう。
      指定検査機関は機能せず、この欠陥住宅が審査を通過して建築許可を受
      けている。
      マンションでなくても一戸建てだって不安だ。
      見た目はスマートですばらしいが、その内実は不確かだ。いつ崩壊する
      かもわからない。
      それは、いまの日本の急速に豪華になったように見える都市住宅、ビル
      街の実態ではないのか。

      三菱扶桑のタイヤ事件、雪印乳業食中毒事件、保田生命保険会社の保険
      金不払い事件など、次々におこる事件は、企業に対する不信を強めさせ
      る。
      子供たちが大人の犠牲になる事件も相次いでいる。
      社会に対する不信、人間に対する不信がいまほど強くなった時代はこれ
      までにないのではないか。

      現代社会は分業の社会であり、自分で自分に必要なものをつくり、自給
      自足で生きることのできる社会ではない。
      私たちは生活に必要なすべてのものを他人=社会に依存している。
      現代社会は信頼の上に成り立っている。
      他を信ずることなしには一刻も生きていられない。
      その社会に対する信頼が壊されている。
      現代の生活は強い不安に浸食されている。
      現代の生活は人々の精神を破壊する。
      神経症の激増が現代の特徴だ。

      だれもが、いまの時代の荒廃を批評する。
      批評は必要だが、批評にはじまって批評に終わる批評は空虚でである。
      批評から、新しい人間的生存の可能性の探求へ。
      現代が強いる絶望とニヒリズムをいかにして乗りこえるか。
      魯迅の生涯はそのような戦いだったと思われる。
      そして、それは北村透谷の生涯であり、夏目漱石の生涯だったと思う。
      広津和郎が強調した散文精神、How to live?の思想はもそのようなたた
      かいが生んだのだと思う。
      この世の不条理を指摘するだけではなく、この不条理の世をいかに生き
      るかが問題だというのである。

      不条理な世にあって、この世の不条理とたたかうことはほとんど絶望的
      でさえある。
      しかし、なお、不条理とたたかい、人間的な生存を求めて苦闘するとこ
      ろに現代に生きて働く人々の思想があるのだろう。
      不条理を脱することはついにできないにしても、この世の不条理とたた
      かうことは可能だし、必要である。
      いまの世の最大の不条理は戦争だと思う。
      イラク戦争以来、不条理の度合いは急速に進んだように思う。
      私も先人に学び、励まされて、そのように日々を生き、日々の努力に自
      分の生の意味を求めて、残り少ない生涯を生きたい。

      参考
      『日本の論点PLUS』文芸春秋編<耐震強度偽造問題は氷山の一角か> h
      ttp://books.bitway.ne.jp/bunshun/ronten/so-net/sample/enquete/05
      1201.html
      に次の記事があった。

       安全を守る"最後の砦"ともいうべき建築確認業務は、従来、一定規模
      以上の自治体の建築主事が担当していた。そこへ民間の検査機関が参入
      できるようになったのは1999年からだ。阪神大震災後の建設ラッシュを
      大義名分にした法改正だったが、背景にはアメリカの要望による規制緩
      和の流れがあった。『拒否できない日本』の著者・関岡英之氏によれば、
      この改正では建築材料の市場開放を進めるため、基本ルールだった「仕
      様規定」(特定の工法、材料、寸法などの仕様による規制方式)が「性
      能規定」(一定の性能さえ満たせば多様な材料、設備、構造方法を採用
      できる規制方式)に改められた。規制緩和によって、厳しくすべき安全
      規制までが逆に必要最低限のレベルに緩められた可能性があるというの
      だ。

      【コメント】
      国民の安全を守ることは国や自治体の義務だ。
      民間企業は私的利益の追求を第一義とする。
      もちろん、公的責任や義務はある。
      しかし、彼らを全的に信頼できないのは周知のことだ。
      だから、私的利益から自由な筈の公的検査があるのだろう。
      それを投げ捨てて、民でできることは民でなどとご託をならべて、国や
      自治体の義務を抛棄している。
      そして、その建築業界が政治献金を政権党にしているのではないか。

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      [2] 中国を訪ねて(その3)何代がかりの運動

      河北大学の小林多喜二国際シンポジウムで、私は多喜二がくらい銀行員
      の生活を抜け出して、1928年2月20日の第1回普選の選挙活動に参加し
      た感動を描いた「東倶知安行」について報告した。

      当時ははげしい弾圧の時代だったが、これに抗してたたかう運動は、い
      ま思えば、若々しいエネルギーに満ちていた。運動の主体は20代前半の
      若者だった。

      「東倶知安行」に自由民権運動の時代から運動をしている七十歳に近い
      老人が出て来て 「何代がかりの運動」ということが言われる。

      組合の鈴本は「俺達の運動は皆今始められたばかりさ。何代がかりの運
      動だなア。」という。

      選挙運動に参加した多喜二は組合や労農党の人たちと知り合い、直接農
      民に語りかけた感動を語っているが、幸徳秋水を知っていて、さまざま
      に秋水のことを語る老人によって、あたらしく出発する現代のたたかい
      を自由民権以来の運動の歴史と結びつけた。

      この選挙で当選者を出すことはできなかったが、この選挙運動の経験は
      若い多喜二に新しい世界を開いた。日本文学では、政治は人間の抑圧と
      して描かれる場合が多いが、この作品は人間を広い世界に解き放ち、歴
      史に結びつけるものとして、その人間的意味を描いている。

      一九二八年の選挙は田中内閣打倒の選挙で、陸軍大将田中内閣打倒、戦
      争反対、中国革命に対する干渉戦争から手をひけというスローガンでた
      たかわれたのでだった。

      この選挙の後、あの三・一五の大弾圧が来て、この選挙で知り合った人
      々が片っ端から根こそぎ検挙され、多喜二は大きな打撃を受ける。一時
      は絶望的になって、ビヤホールで午前3時を繰り返すような日々をすご
      したが、警察でがんばっている同志たちの様子を知り、新しいエネルギ
      ーで、この権力と直接たたかう思いを込めて「一九二八年三月十五日」
      を書き、プロレタリア作家として出発した。

      この一九二八年三月十五日も<反動的なサアベル内閣の打倒演説会を開
      くことに>なっていたのだった。

      田中内閣は1927年6月27日〜7月7日の東方会議で、満蒙の分離と支配、
      中国革命に対する干渉の方針を確立した。これは満州事変からその後の
      中国侵略の基本路線だった。この路線に沿って、1927年5月、1928年1月
      と蒋介石の北伐軍を阻止するために山東に出兵し、28年4月には済南市
      内を砲撃して、5000のの市民を殺傷し、同市を占領した。また、満州の
      張作霖をつかって北伐を阻止しようとしましたが、張は敗れて逃げ帰り、
      1928年6月に爆殺される。

      多喜二の文学活動は日本の中国に対する侵略戦争に反対するたたかいに
      よってはぐくまれ、発展させられ、そのたたかいの途中で倒れた。

      多喜二が反対した対中国侵略戦争はその後限りない泥沼戦争に発展し、
      ついに日本は対米英戦争に突入して破滅したのだった。
      戦争に反対す多喜二らのたたかいは無駄だったのか。

      死の直前の多喜二の作品「地区の人々」に、次のような言葉がある。

        平賀は今更のように、ストライキというものが革命的に、英雄的に闘
        われたときには、それは何年後までも決して無駄には消え去ってはい
        ないものだということを感じた。 一つのストライキをやったために、
        多くの仲間のうちには、或いは死んだものもいるし、職を失って病気
        になったものもいるだろうし、今尚四年五年の懲役に行っているもの
        もいるが、それもまた何年経ってもただ単なる無駄な犠牲になっては
        いないということ、それを彼は自分でやり出した実際の仕事から知る
        ことが出来た。

      「地区の人々」は度重なる弾圧で根こそぎ壊滅させられたかに見える
      「地区」に、ふたたび新しい火が燃え上がろうとすることを書いた作品
      で「火を継ぐもの」という副題がつけられている。ある。

      中国の国際シンポジウムは、北京大学をはじめ中国全土の15大学41名、
      日本から5大学3団体31名、韓国から1大学、一般参加者約100名、約180
      名の参加で開催された。

      日本と中国のあいだには両国人民にとって残酷な戦争があり、最近はふ
      たたび執拗な反中の動きがはじまっている。
      このときに、対中国侵略戦争に反対して倒れた小林多喜二のシンポジウ
      ムが開かれ、最初の試みとしては大きな成功をおさめたことをうれしい
      と思う。

      なにしろ、多喜二は日本でもそうだが、中国ではほとんど知られなくな
      っていた作家である。私は<何代がかりの運動>という「東倶知安行」
      の言葉をかみしめながら、河北大学をはじめ、このシンポジウムのため
      に大変な努力をした日中の関係者に深く感謝したいと思う。

      なお、いま中国で全国的な規模の小林多喜二研究会を発足させようとす
      る動きがはじまっているという。
      私はあらためて「地区の人々」の<火を継ぐもの>という言葉を思い、
      多喜二のたたかいはけっして無駄ではなかったのだという思いを強くす
      る。
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      十二月にはいり、寒さがきびしくなったようだ。
      額賀防衛庁長官がサマワの視察に出発したと思ったら、もう帰って来て、
      自衛隊は安全だ。サマワ派遣はもう一年延長すべきだと語った。
      サマワでなにを見てきたのか。こんなことなら行かなくても同じことだ。
      恰好だけだ。国費の無駄づかいだ。構造計算書偽造事件の建築審査もそ
      うだが、恰好だけで中味のない行政がつづく。こうして、日本という国
      は倒壊の危険にさらされている

      日本は構造計算書偽造事件で大揺れに揺れているが、この事件の根は深
      い。
      何もかも目茶苦茶だが、いまを生きるものはあきらめるわけにはいかな
      い。
      強まる寒さのなかで負けずに頑張りたい。
      皆さんもからだに気をつけてお過ごしください。

       伊豆利彦 http://homepage2.nifty.com/tizu

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