横浜市立大、教員は大学にとって何なのか?(2005.12.7)

 

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2005年12月07日

横浜市立大、教員は大学にとって何なのか?

横浜市立大学教員組合
 ●組合ウィークリー、2005.12.06

教員は大学にとって何なのか?
一組合員

顧客と責任者

 まず言葉使いを定義しておこう。ここでの「顧客」は、組織(企業や会社)と深い利害関係をもちながら、組織の運営に権限と責任を持っていないものを指す。

 そういう意味で、教員は大学の顧客であるべきではない。むしろ大学の運営や組織改革について、当事者として責任と権限をもって行わなければならない。しかし、横浜市立大学において、当局によるこれまでの教員に対する扱い方を振りかえれば、教員は大学運営や組織改革において十分な権限と責任を与えられていない。また、良心的な企業や会社であれば、サービス提供において顧客に対する十分な意見聴取や事前説明を行うが、市大の一般教員はこういった意見聴取や状況説明も受けていない。

学生への見せかけのケア

 改革が打ち出されてから、大学は学生に対して懸命にサービス提供の姿勢を見せてきた。2003年10月に学部統合等について学生向けの説明会があった。2005年度、新入生向けの詳細なアンケートが実施された。アンケートでは、学部生があまり利用しない専門雑誌の充実度まで感想をもとめた。他大学の状況も知らないし、これまでの削減経過も知らなければ、多くの学部一年次の学生がこの項目に答えようはないのではないかと想像する。しかし、サービスを受ける「顧客」に対する気遣いは別に悪いことではない。

 しかし、講義担当の多数の重要ポストを長期にわたって補充しないあるいは受験倍率が急激に下落した理由などは、決して学生には説明しないから、この程度のケアは見せかけのものといえよう。

教員は責任者と見なされていない

 大学改革において、どうみても教員は責任を持つ者として見られていない。学長、コース長はいずれも教員による選挙ではなく、基準不明の指名によって決められた。学部統合、TOEFL500点などのような大学の浮沈に関わる重大事項に関して、事前説明もないから、当然教員から意見を申し立てる機会もなかった。「1140億円負債」からスタートした改革はいつの間にか、従来の教育実績を判断せず、担当者全員に「とにかく従来通りの授業の進め方をしてはだめだ」、「嫌だったら、おやめになれば」(2004年11月、総合講義ワーキング・グループの会合における副学長発言)と求めるようになった。

 学部を統合して何になるのか、「オンリー・ワン大学」自体は意味があるのか、TOEFL500点は他のすべての学問より優先度を高く設定する必要はあるのか、といった教員の素朴な意見や疑問がことごとく無視されてきた。

教員は「顧客」にもなっていない

 一般教員を意思決定プロセスから外すなら、せめて意見表明の機会あるいは説明を受ける機会を十分与えるべきであるが、これもこの大学においては見られていない。大学改革(学部統合の必要性、TOEFL500点の重要性など)について一般教員に対して上記のアンケートに類似するような意見聴取は今日に至るまで一度もなかった。任期制・年俸制の実施について、制度に関する説明会は二回ほどあったが、教員側の意見・苦悩・疑問・心配などを聞く機会はこれまで一度もなかった。当局は、教授会から人事権を取り上げただけでなく、学務教授の採用、専任スタッフの新人採用についても、一般教員に対して辞令交付程度の情報以外、被採用者の経歴、業績、採用理由などいっさい提供していない。

 教員は、いったい大学にとって何なのであろうか?

 教員意見の無視、非民主的学長選挙、正当理由なしの学部統合、急激な受験倍率の低下、このいずれをみても、横浜市大はすでに「オンリー・ワン大学」になっている。しかし、大学の将来を危惧する教員にとって、これはあってはならない悪しきオンリー・ワンだ。これまでのように一般教員に大学運営への参加権を十分与えないようなことがさらに続けば、10年後市大は価値のある大学として存続することは難しいだろう。

 

投稿者 管理者 : 20051207 00:13