05/12/20教員集会報告 『横浜市大は立ち直れるか?―独法化後の状況を検証する』 横浜市立大学教員組合週報 組合ウィークリー(2006.1.11)

 

横浜市立大学教員組合 http://homepage3.nifty.com/ycukumiai/index.htm

http://homepage3.nifty.com/ycukumiai/kumiai-news/weekly060111.htm

 

【抜粋】

これまでの市大問題の原因を考えると、以下の点に集約できるのではないでしょうか。つまり市大の財政問題を解決する能力も気力もなく、「改革の点数かせぎ」しか興味を持たない政治家の存在、地方公務員の独特の人事制度のゆえに学問や学者の仕事に無理解な傾向が公立大学に存在する点、そして政治的なかけひきに不慣れな学長を選んだ点です。この三つを一つの大学で同時に抱えていたのは、市大の悲劇の始まりではないでしょうか。

さらにTOEFL500点問題に象徴されているように、教授会は実質的に廃止され、大学の運営管理に関する正常な意志決定プロセスが破壊されており、その修復には、多くのエネルギーが必要となるでしょう。教員組合は労働条件を交渉することが主な仕事であると同時に、大学の運営管理に関する矛盾点を皆さんとともに確認し、良識ある教員の声を代弁できるように努力していきます。

 

 

横浜市立大学教員組合週報 組合ウィークリー(2006.1.11)

 教員集会報告
『横浜市大は立ち直れるか?
独法化後の状況を検証する』
2005年12月20日(火)18:00〜20:30
ビデオホールにて

2005年12月20日、教員組合主催の集会がありました。出席者は、専任教員、非常勤教員、大学院生、学部生などのべ50人以上でした。近年において組合主催の集会としてはかなり大きい規模です。大学の行方に対する関心の高さを反映したものでしょう。




集会はまず組合委員長の開会の言葉から、始まりました。

改革後の大学において、教員の帰属意識が著しく低下しました。多くの教員が感じているこの深刻な事態は当局が認識すべきです。大学の基本管理運営についても、教授会があったときよりもずっと非効率になっています。責任者が不在のままの状態を放置してはいけません。学生のパンフレットにだまされたという声に答える必要があります。今日の機会にぜひ活発な意見を出してもらいたい。

委員長挨拶の言葉の中で何より耳に残ったのは、「我々は歴史の中で生きています」という表現です。改革へ反対すること自体が組合活動の目的ではありません。横浜市立大学の長い歴史における一コマとして、健全な大学作りにエネルギーを集中させ、問題点を確認し、状況改善のために努力すべきだという意味でしょう。




その後、執行委員から、2005年7月実施したアンケート調査の結果について報告しました。

報告は、労働条件、教育活動、研究環境、学内運営、改革プロセスへの評価などにわけて詳しく紹介されました。いずれの項目についても、改革に対して厳しい意見が出されており、よい方向に進んだ点は「教授会の時間が短くなった」ぐらいです。アンケートの詳細は、組合のHPに掲載したとおりです。




続いて英語担当教員から、英語教育の現状について報告しました。

独立法人化された後の新入生に全員一律にTOEFL500点以上クリアしなければ、進級させないという目下の至上目標の由来は、現場担当者の立場から改めて報告されました。提案は語学の意義を必ずしも十分わかっていない人の思いつきによってされたこと、一般教員の意思を無視したこと、目標達成の無意味さをわかってありながら、突進しなければならないこと、その目標のために、学生が語学学校の会話講師を「プロ」と呼び大学の英語教員を無能に思っていたこと、などの問題点が明白になりました。

この議論から、考えさせられた点は多い。市大の問題は必ずしも研究教育に関する知恵を欠けているために発生したものではありません。むしろ、これまで蓄積された知恵がことごとく無視され、否定されており、ごく一部の人の思いつきに近い提案は、正常な意志決定過程を経ないでそのまま金科玉条になったところに問題がありました。このようなシステムでは、大学はよくならないでしょう。




その後、非常勤講師の代表から、発言がありました。

市大の「改革」が発表されてから3年経つが、当時から抱いていた危惧がそれ以上になっています。その前年には非常勤講師の時給が減額されるなどして、講師のプライドを傷つけるようなことを市当局は平気で行っていました。この改革で、非常勤講師を使い捨ての道具としてみなしているように思います。12月になっても来年度継続して雇用されるかわからないケースは珍しくない。こちらとしては誠心誠意勤めているし、非常勤講師も人間なのだということをわかってほしい。TOEFL問題もこのままでは新一年生の半分は500点に到達しないでしょう。今後このような生徒をこの大学はどのようにフォローしようとしているのでしょうか。学生と真摯に向き合いながら、すこしでもくみ上げる、少しでも現状を改善していってもらいたいというわずかな希望を持っています。




自由討論

発言A:学生の勉強・研究環境も悪くなっています。今年からコピーの年間枚数制限は、修士や博士論文を出すときにも足りない枚数です。また大学院のシラバスさえなく、時間割表1枚だけ渡されました。ホームページに掲載しているとはいわれたが、紙媒体でなければ具体的にわからず、授業料を払っているのにもかかわらず、院生はばかにされているのではないかという気持ちになりました。とくに大学院担当の専任の職員もいなくなり、毎日事務と喧嘩している状態です。職員の方々は院生の生活や訴えに対する想像力が欠如しており、いかに責任を逃れるかという態度で、むなしいやりとりが続いています。大学院自治会としては一部の先生とのつながりしかありませんが、今後は、学部生の自治会との連携も考えており、その際先生方が私たちの意見を受け止めてアドバイスをいただければとても助かります。学校全体を盛り立てていく方法をみなさんと考えていける場を作っていきたい。

発言B:市大の中期計画は市議会に出しているものなので、6年間はこの仕組みは変わらないのは役所の論理です。中期計画に対してもう少し教員側も真剣に取り組むべきでした。6年後には、そうした大学の大激震がもう一度やってくるでしょう。教員は教員が負っている責任を、個々の責任に限らず大学に勤めている者としてどのように責任を負うのかを考えるべきです。大学のなかでの知のあり方が一番大事です。科目の名前が勝手に変えられてきましたが、これは「おかしい」と表明し広く訴えていくべきです。大学の評価は今後外部評価が入るので、数学科を廃止したりするのは大学評価の上でどういう問題なのか、その基準を作るべきです。リベラルアーツを標榜したいのであれば、学問を保障していく仕組みを真剣に考えるつもりがあるのかを問うべきです。

発言C:教職免許の科目で、社会と国語はなぜ廃止になったのか。「専門の垣根を低くする」というカリキュラムが魅力で入学したが、だまされたと思いました。正直なところ高校生には、市大受験を勧めることができません。教員や学生あってこその大学であり、先生方も積極的に学生の声を聞く場を作ってほしい。

発言D:大学は権力機関でも会社でもなく、文化共同体です。法廷で責任追及する場合がありますが、大学改革では、当時の責任者はみな他の部門に移っており責任の所在がわかりません。やはり、われわれが一つ一つ解決していくしかありません。市大のアイデンティティが失われていますが、教員が他の大学へ流出するという解決策だけでなく、本当に市大を立ち直らせなくてはいけません。

発言E:大学全体がおかしいということは明らかです。専任教員、非常勤講師、学生などそれぞれ立場も違うし、手一杯になりがちですが、解決のための運動をどうするか、実行に移していくことが必要です。今後は学生が主導する場も設けるべきでしょう。

発言F:市大改革問題に対しては、市民の声が大事です。「市大と当局がやりあっているだけ」という構図では、運動は広がらないでしょう。もっとアピールしないと、市民が助けてくれません。

発言G:教養ゼミAは有意義でした。学生アンケートが実施されましたが、親の収入の実態や奨学金受給など細かくお金のことを聞かれました。この結果をもとに、学費の値上げをしようとしているのではないかと不安を感じています。改革というのであればとことん改革すべきで、どんぶり勘定ではなく、アメリカのように単位ごとに設定するのが効率的だと思います。「大学に医学部があるから」という理由は、学生からすれば関係ありません。大学が専門学校化しているように思われ、学費のムダではないかと思います。大学自体のネームバリューが落ちているので、就職活動も不安です。

発言H:英語について不安はあります。学生のなかには、何が悪いのか問題なのか自体がわからず、苛立ちや怒りの矛先をどこにぶつけてよいかわからないでいる者もいます。結局無気力で講義にも出なくなり、学生たちの運動も白熱しないのではないでしょうか。

発言I:学生の声は批判として受け止めるしかありません。どうすればいい方向に進むか、ぜひ組合で戦略を立ててほしい。昨年は「あと1年やれば何か方向性が見えてくるのだろう」と思っていましたが、今日の集会で少しは見えてきたのでしょうか?

発言J:大学は学生が主役です。いかにいい教育を受けられるかが大切でこのような集会を開いているので、次回はぜひもっとたくさんの学生に来てほしい。




最後に書記長による閉会の言葉がありました。教員組合主催の集会では、教員中心の議論になりがちですが、多数の学生の参加によって、非常に新鮮な話を聞くことができました。われわれは「横浜市大残酷物語」という内容の議論に満足すべきではない。

誰が責任を取るかなどはさておき、これから市大はどうすればよくなるかを考えるべきでしょう。若い学生を抱えている人間として、当局にふりまわされているだけでなく、学生に対する責任者でもあることを教員は認識すべきです。

これまでの市大問題の原因を考えると、以下の点に集約できるのではないでしょうか。つまり市大の財政問題を解決する能力も気力もなく、「改革の点数かせぎ」しか興味を持たない政治家の存在、地方公務員の独特の人事制度のゆえに学問や学者の仕事に無理解な傾向が公立大学に存在する点、そして政治的なかけひきに不慣れな学長を選んだ点です。この三つを一つの大学で同時に抱えていたのは、市大の悲劇の始まりではないでしょうか。

さらにTOEFL500点問題に象徴されているように、教授会は実質的に廃止され、大学の運営管理に関する正常な意志決定プロセスが破壊されており、その修復には、多くのエネルギーが必要となるでしょう。教員組合は労働条件を交渉することが主な仕事であると同時に、大学の運営管理に関する矛盾点を皆さんとともに確認し、良識ある教員の声を代弁できるように努力していきます。