平安女学院、立命館からの10億円財政支援を受け,京都に新学部(国際観光学部)設置を構想(2006.2.2)

 

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2006年02月02日

平安女学院、立命館からの10億円財政支援を受け,京都に新学部(国際観光学部)設置を構想

 平安女学院大学は,2007年4月,人間社会学部国際コミュニケーション学科(2006年度は国際観光コミュニケーション学科)を改組し,国際観光学部国際観光学科を京都キャンパスに設置し,同時に人間社会学部福祉臨床学科と生活環境学科を統合し,高槻キャンパスに生活福祉学部生活福祉学科を設置する計画を発表した。この計画は,「平安女学院大学の新学部構想について」という文書で在学生・父母全員に知らされた。

 平安女学院大学は,守山キャンパス無償譲渡問題をめぐって,立命館大学の理事長川本八郎および守山市長と密室協議を重ね,キャンパス移転による「基本協定」反故により本来無条件で返還すべき補助金に見合う金銭を,物的形態(守山キャンパスの土地・建物)において,しかも立命館から10億円(7億円の寄付と3億円の貸付)の財政支援を受けるという条件と,返還した守山キャンパスは立命館に無償譲渡するという条件付きで,市に返還した(この行為を文字通りの返還と言えるであろうか)。
 こうして,立命館は守山市の歴史的教育財産である守山女子高校と時価総額33億円の物的資産を7億円で取得し,他方,平安女学院は2000年守山キャンパス開学の際に要した投下資金(約20億円)を,立命館からの10億円財政支援によって一部「回収」し,キャンパス移転・統合問題に終止符を打った。その結果,何が残ったかと言えば,キャンパス設置後わずか5年の移転によって学生の就学権が侵害され,守山女子高校の突然の移管劇(立命館守山高校設置)の強行によって守山の公教育が破壊され,同時に移管に反対した生徒会を含む大半の女子高校生が泣き,守山市民にあっては平安に補助した25.6億円,滋賀県からの補助金6.2億円の肩代りによって,総額31.8億円の損失・ツケ,そしてたった1枚の立命との「覚書協定」という紙切れだけが残ったのである。

 ことの発端である平安女学院大学は,2000年4月,4年制大学を守山キャンパスに初めて設置した。開設学部は「現代文化学部」(現代福祉学科と国際コミュニケーション学科)であった。しかし,平安女学院常務理事会は,2004年3月9日,守山キャンパスの廃止を決定し,同時に守山で開設した学部についても2005年3月末の廃止を決めた(「人間社会学部」への改組)。この決定は,「現代文化学部」第1回卒業生を送り出す前のことである。2004年4月の新入生を含め在学生は,全員,自ら選択した学部とキャンパスが学部再編によって廃止されるとを知らずに入学した。そして,2005年4月に改組された「人間社会学部」(高槻キャンパス)は,わずか2年間でまた学科再編も絡めて「国際観光学部」と変更される(一部は生活福祉学部)。しかも,この「国際観光学部」は本部がある京都に戻された。要するに,平安女学院は4大化の事業計画を進めるにあたり,多額の補助金を受けながら自ら開設場所として意思決定した守山の地と守山を学習の場として選んだ学生たちを見捨てて,短期間のうちに学部をコロコロと変えながら,最後に元の京都に戻るということになる。
 立命館大学は,時価33億円の公的資産(守山キャンパス)と高校を手に入れるために,こうした大学に10億円の財政援助をして新学部設置を促したのである(平安女学院の理事長・学長は,立命からの7億円の「寄付は本学の新学部設立など教育改革のためで、立命館の好意は大変ありがたい。これを問題にすることは私学振興に対する妨害行為だ」(京都新聞2005年11月22日付)と述べた)。こうした一連の行為は大学の公共性という概念を事実上投げ捨てた両大学とその関係があったからこそ可能となった。

投稿者 管理者 : 20060202 00:17