奇妙な外交感覚 森田実政治日誌(2006.2.19)

 

森田実の時代を斬る

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2006年森田実政治日誌[100]

奇妙な外交感覚

「我を非として当(むか)う者は我が師なり」(荀子)
[私の欠点を指摘してくれる人は私の師と考えるべきだ」という荀子(中国・戦国時代の思想家、前340〜前238)の教え]


 米紙『ニューヨーク・タイムズ』(以下NY紙)は二月十三日号の社説で日本の麻生外相をきびしく批判した。社説のタイトルは「日本の攻撃的な閣僚」。意訳すれば「日本の無礼な閣僚」。痛烈だ。他国の新聞からわが国の外務大臣が非難されるのは、日本人にとっては愉快なことではない。NY紙の無礼を咎(とが)めたくなるのが自然である。
 だが、われわれは、NY紙のこの社説を忠告として冷静に受け止めるべきである。今、われわれに必要なのは「謙虚な心」である。
 NY紙社説は冒頭で次のように述べ、自らの基本的立場を明らかにしている。
 「人は、誰でも自国の歴史のすべてを誇りにしたいと願っている。しかし、正直な人々はそれが不可能であることを理解している。賢明な人々は自国の過去の犯罪的行為というつらい事実を認め、そこから教訓を学ぶことに積極的な価値があることを理解している」。
 この指摘は正しい。つづいてこう述べる。
 「さて、日本の新しい外務大臣に麻生太郎という人がいる。彼は、第二次世界大戦にまで突き進んだ日本の軍国主義と植民地主義、そして戦争犯罪の悲惨な時代について、扇動的な発言を行った。その発言を聞くと、彼は正直でもないし、賢明でもない」。
 「彼は、日本が同盟者ないし貿易パートナーとして必要としている近隣の諸国民の感情を害した。その上、今まで協調関係にあった人々の気持ちを害している」。
 この指摘は、中国、韓国などアジアの近隣諸国の人々だけでなく同盟国米国の国民も傷つけている、という意味に解すべきであろう。
 NY紙社説はつづく。
 「第二次世界大戦は、今日の大多数の日本人が生まれる前のことだ。しかし、日本の世論や学校の近代史教育において、多くの強制連行、朝鮮の若い女性を性的奴隷化したこと、生物兵器の残酷な実験、南京での多数の中国人虐殺などのおそろしい事件に対する日本の責任を、受け入れてこなかった。
 これが、多くのアジア人が昨年秋に外相に任命されて以来麻生氏が述べた一連の乱暴な発言を聞いて怒っている理由である。最近、麻生氏は二つの発言をした。天皇が十四人の戦犯が合祀されている靖国神社に参拝べきだということと、台湾の高い教育水準は日本の五十年にわたる啓蒙的政策のおかげだというものである。
 麻生氏はまた、中国の長期的な軍備増強を日本に対する『注目すべき脅威』であると強調して、すでに関係が悪化している相手国の中国をわざわざ挑発している」。
 そしてNY紙社説はこう結ぶ。「麻生氏の外交感覚は、その歴史感覚と同様に奇妙である」。
 NY紙の麻生外相に対するきびしい批判を、われわれ日本人は「忠告」として謙虚に受け止めたいと思う。 最近ワシントンから帰国した友人は私に次のように語った。「日本は最近の米国の対日感情が悪化していることを理解していない」。
 周知のとおり靖国神社には第二次大戦のA級戦犯が合祀されている。小泉首相の靖国参拝が中国、韓国との外交問題になるのは、小泉首相の靖国参拝が「日本政府のA級戦犯の名誉回復行為」と捉えられているからである。この捉え方は、最近では、東南アジア諸国、欧米各国にまで広がっている。
 われわれ日本人には「惻隠の情」というすぐれた情念が備わっているはずである。第二次大戦時に日本軍国主義によって被害を被った中国、韓国、アジア諸国の人々の心をこれ以上傷つけないことこそ、真の日本人らしい生き方ではないかと思う。
【以上は2月18日付け四国新聞に「森田実の政局観測」として掲載された小論です】