戦争、人権、そして天皇 日々通信 いまを生きる 第195号(2006.2.25)

 

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        >>日々通信 いまを生きる 第195 2006年2月25日<<

       
戦争、人権、そして天皇

        1933
220日は小林多喜二が警察の拷問で殺された日である。
       
しかし、多喜二にはもう一つの220日がある。

        1928
220日は第1回普選の投票日で、この選挙のときに、はじめて
       
多喜二は大衆に直接呼びかける選挙運動に参加した。その感動を「東
       
倶知安行」に書いている。

       
中国では北伐がはじまり、田中内閣は1927年6月27日〜77日の東方
       
会議で、満蒙の分離と支配、中国革命に対する干渉と侵略の方針を確
       
立した。これは満州事変からその後の中国侵略の基本路線となった。
       
田中内閣は19275月、19281月、北伐軍を阻止するために山東に出
       
兵した。284月には済南市内を砲撃して、5000の市民を殺傷し、同
       
市を占領した。また、満州の張作霖をつかって北伐を阻止しようとし
       
たが、張は敗れて逃げ帰り、一九二八年六月に爆殺された。

       
1回普選は対支干渉戦争の最中のことであった。労農党は対支非干
       
渉、田中反動内閣打倒を旗印にたたかった。この選挙で共産党は労農
       
党から11名が立候補し、間接的ながら初めて大衆の前に公然と姿を現
       
し、宣伝活動した。

       
労農党の当選者は山本宣治ら2名だったが、この選挙で大衆の前に公
       
然と姿を現した共産党に対して、315日、治安維持法による大弾圧
       
が行われた。

       
小林多喜二の「一九二八年三月十五日」はこの大弾圧を正面から描い
       
た作品だが、この日は田中反動内閣打倒の演説会が予定されていたと
       
書いている。組合事務所には多数の組合員がその準備のために泊り込
       
んでいて、その寝込みを警察に襲われたのだ。

       
全国では約1,600名が逮捕され、484名が起訴された。小樽でも選挙で
       
いっしょにたたかった仲間たちが次々に検挙され、言語に絶する拷問
       
を受けた。

       
治安維持法は、普選法と同時に1925年第50議会で成立した。普選法と
       
治安維持法は抱き合わせだった。普選によって左翼が進出するのをお
       
それ、治安維持法で弾圧しようとしたのである。

       
松尾洋「治安維持法」は議会で質問した山本宣治代議士の演説を紹介
       
している。寒い函館の拷問部屋で、裸でコンクリートの床の上をはい
       
回らせ、床をなめさせたとか、十五の娘が眼の前で凌辱されるのを見
       
せられたとか、この弾圧、拷問のすさまじさを、山本代議士は生々し
       
い事実の数々をあげて告発し、その違法を追及した。

       
これに対して秋田政府委員は、明治、大正、昭和を通じて、この聖代
       
において、想像するだに戦裸を覚ゆるようなそんなことがあったとは
       
信じられない、政府としては、そういう事実のあるということを断じ
       
て認めることはできない、存在しない事実について答えることはでき
       
ないと言って答弁を拒否した。

       
戦争は敵とする国の兵士や人民を殺戮するだけではなく、自国の人民
       
に対しても、人権を蹂躙し、苛酷な収奪をおこなうのだ。しかもそれ
       
らは「聖代」にあるべからざることとして隠蔽される。

       
多喜二はこの隠蔽された事実をあばき出し、描き出した。国家とはな
       
にか、戦争とはなにかを、戦争に動員される農村と工場の実態をえぐ
       
り出して国民に示した。

       
それ故、満州事変がはじまって間もなく、真実をおそれる権力は多喜
       
二を殺したのだ。多喜二と同じころ、野呂栄太郎や岩田義道も殺され
       
ている。《お前らなんか殺したっていいんだ。》という刑事の言葉が
       
多喜二の作品には何度か出てくる。そしてその言葉の通りに多喜二は
       
殺された。

       
最近まで、私は日本の警察と軍隊は特別だと思っていた。しかし、黒
       
人弾圧の事実を知り、グアンタナモでの拷問を知ることで、日本だけ
       
が特別なのではないと知った。911の同時多発ビル破壊を契機にア
       
フガンに侵攻したアメリカは愛国者法を制定し、戦争に反対するもの
       
に対する弾圧をはじめた。

       
イラクに対するアメリカの戦争は大義なき戦争だった。このアメリカ
       
の無法な戦争が、いまの日本の過去の侵略戦争を肯定する動きに力を
       
与えているのであろう。

       
多喜二らを検挙し、残酷な拷問で殺したのは、治安維持法にもとづく
       
警察の暴力だった。治安維持法は、国体を変革し、私有財産制度を否
       
定する運動を取り締まることを目的とする法律だった。

       
多喜二らは不忠者、国賊、非国民と呼ばれ、「忠良なる」天皇の警察
       
に拷問され、殺されたのであった。

       
戦後、治安維持法は米軍によって撤廃された。天皇のありかたも変わ
       
った。新憲法で言論・思想の自由が宣言され、男女同権の日本になっ
       
た。元来なら天皇制は廃止されるべきだったと思うが、あいまいな形
       
で残された。

       
変身した天皇のありかたを国民の多数は好意を持ってむかえたと思う。
       
支配し、畏敬される天皇家から信愛される天皇家へと変貌した。それ
       
は新憲法に対応する変貌だった。その自然な帰結として、皇太子の一
       
人娘の愛子さんが皇太子の後をついで女性天皇となることを多くの国
       
民は予想して、そのことに新鮮なものをさえ感じていたと思う。

       
これに対して、一部から男系の男子による万世一系の天皇制というこ
       
とが協力に主張され、問題は紛糾しはじめたように見える。

       
「万世一系の天皇」という言葉を聞けば、戦争中、いやというほど繰
       
り返されたその言葉に、「復古」の勢いはそこまで来たかと思われ、
       
いまの世情に強い反感をおぼえるのを禁じ得ない。

       
天皇制の実態が何であったか、戦争の実態が何であったかを知らない
       
ままに、いまの矛盾からの脱出を「復古」に求める結果が日本をどこ
       
に導くか。

       
それは治安維持法を肯定し、天皇の名によって「国賊」「非国民」の
       
小林多喜二が殺されたことを肯定することになるのではないか。

       
まさかと思うが、まさかと思うことが次々におこるのが戦争の時代で
       
ある。いま日本は、戦後の日本を否定しようとする勢力が台頭して、
       
急激に変わろうとしている。

       
戦争の時代に青春をむかえ、陸軍二等兵として終戦を迎え、戦後の60
       
年をさまざまな思いで生きた一人の老人は、日本の若者たちのこれか
       
らの生涯を思い、心配でたまらない。

       
日本は変わった。しかし、一面では少しも変わらないとも言える。
       
歴史は繰り返さない。しかし、歴史は繰り返すとも言えるのだ。
       
変わらないものをを見つめて、そこに変化を見出すことが必要なので
       
はないか。
       
変化だけを見て、変わらぬものを見うしなうなら、その認識は危うい。
       
思いもかけず、80年の生涯を生きて、自分の生涯に日本の歴史を見る
       
思いがする。
       
それは、若い皆さんにとってただ無意味なだけであろうか。
       
私が高等学校で最初に習ったのは「土佐物語」と「大鏡」だった。世
       
継ぎという老人が、自分の生きた過去を語る「大鏡」は、いまもまざ
       
まざと思い出す。

       
いまの世に生きることをやめた、世間の利害得失から自由になった老
       
人だけが語り得る過去というものがあるのではないか。
        2
20日、多喜二の死を思うとき、治安維持法を思わずにはいられず、
       
天皇について考えざるを得なかった。

       
天皇とは何なのだ。
       
いまと昔がごちゃごちゃになってさまざまなことが思われる。
       
しかし、問題はこれからまだ長い時代を生きなければならない若い人
       
々にかかっている。
       
ライブドアの事件が騒がしく伝えられるが、あれもこの世の掟、自然
       
の法則を忘れた、思い上がった若者の脱線であり、挫折なのであろう。
       
私は私とほぼ同年の東大生がおちこんだ犯罪、光クラブのことを思い
       
出し、危ない、気をつけなければ危ないという漱石の言葉をあらため
       
て思うのである。

       
気候が不安定なこの頃です。しかし、春は確実にやってくるのでしょ
       
う。皆さん、お元気で。

         
伊豆利彦 http://homepage2.nifty.com/tizu

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