中田市長は、《この間、非常によく仕事をする人がたくさん脱出したというこの現実をどう捉えるのだろうか?》 永岑三千輝氏『大学改革日誌』(2006.3.23)

 

http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/SaishinNisshi.htm

 

 

資料

“市民派”中田市長のダーティーな素顔

横浜市長選、中田氏「市大には多額の市税を投入してきた。やる気のない職員が長くいるのは問題だ」(2006.3.23)

横浜市長選 公開討論会、海洋学者の松川康夫候補《格差を是正するあたたかい市政に転換を》 VS 中田宏現市長 《生活保護を受けている方が働くよりいいじゃないかというような福祉では困る》 「しんぶん赤旗」(2006.3.13)

横浜市大の破壊者中田宏、再選出馬 3月26日投票 是非落選させよう!(2006.2.10)

 

 

3月23日 「全国国公私立大学の事件情報」(本日付)によれば、選挙戦告示前の討論で、全員任期制問題に関して、それが「やる気のない職員」を排除するためのものだと主張したという。もしそれが事実なら、現実にこの間、非常によく仕事をする人がたくさん脱出したというこの現実をどう捉えるのだろうか?

今谷明氏のような全国的に非常に有名な日本中世史研究者が、新聞で公然とどのような怒りを語っていたか。「やる気のある教員」、そして顕著な実績を積んだ教員がしかるべく評価されないばかりか、今回の改革でいるべき場所を失ったと感じて抗議辞職や脱出をしたのではないか?抗議辞職した人は、わたしの見るところでは、「やる気のない職員」どころか、かえって非常にやる気がある人であり、業績もしっかりある人だと、私には思われる。まさにその業績をどのように評価するのか、これが大学の自治や学問の自由、大学内部における自由のあり方と深く関係しているのである。

「やる気のない職員」を排除する効果ではなくて、実際には、やる気などは出さないで、「普通にやっていれば」問題ないというのが、今回の「全員任期制」の構想ではないか?「普通にやっていれば」という言い方は、任期制に関する当局の正当化のいいかたでもあった。

しかし、まさに教員組合(ウィークリー参照)が問題としているように、「普通にやっていれば」とはなにを意味するのか?不明確・あいまいな基準で研究教育活動が縛られれば、精神の自由への恐るべき圧迫となるのではないか? それは大学を生き生きと発展させることにならないのではないか?この重苦しい精神抑圧効果こそ、由々しいと思われる。

しかも、大阪大学など任期制を導入する場合にも、これまでの研究教育体制を根底から揺るがさないために、また法秩序を乱さないために、新しく採用した教員に関して限定的に任期制を適用している(これとても、新しい採用の科目が果たして任期法に照らして活性化に適しているかどうかといった点が問題になるのであり、新任に一律適用であれば、限定的ではないでが問題が発生すると思われるが、何か問題が起きれば法律論争・法律問題となろう)。ところが本学では? 教員組合が主張しているように、重大な問題をはらんでいるのである(cf.教員組合委員長の挨拶参照[脚注1])。

また、最近報じられている奈良の県立医大の場合も、あくまでも医科大学という特殊な大学であり、医学部系統に属する部局であって、けっして学問の分野を問わないものではない。文科系を中心に、教員一人一人の従事している仕事の多様性・多次元性などから、仕事の評価が非常に難しく、したがって学問の自由(精神活動の自由)の束縛に結びつきやすい制度設計に多くの教員が反対しているのであって、このことは、どのように理解されるのか?

教員組合は、全員任期制導入に反対してきた根拠を示し、「やる気のない職員」の排除のためという市長の言説(この間(どのようにいっているのか知らないが)を批判しておくべきではなかろうか?教員組合はどのように対処するのだろうか? 少なくとも報じられていることが本当かどうか、まずその趣旨などを確認しておくことが必要かもしれない。

「やる気のない職員」という以上、それは大学に限らず、普通の市当局の部局にもいるはずである。市長は、みずから率先して、この間その普通の部局にも一律に「全員任期制」(有期雇用契約)を導入したか? その市当局の部局全体に任期制(有期雇用制)を導入しようとしているであろうか?そもそも、大学以外の普通の部局のなかの「やるきのない職員」に対しては、どのような政策と行動をとってきたのだろうか?

こう考えてみると、一律の全教員に対する任期制(有期雇用契約)適用がいかにおかしいか、わかるのではなかろうか。

「全員任期制」の導入と「やる気のない職員」の排除とを一緒くたにするのはおかしいのではなかろうか?教員組合はじめ、だれも、法律に従った任期制の適切な導入には反対していない。まさにその適切な制度設計をこそすべきだというのが、普通の教員のスタンスであろう。

それに、そもそも、大学教員の任期制の導入に当たっての立法趣旨・精神はなんだったのだろうか?

「やる気のある教員」、現在確実な実績を上げている教員・研究者を大学に取り入れ、あるいは顕彰し、一定期間は引き止め(そのためには給与条件などを他の教員よりしかるべき高くする・・・東北大学の場合は確か学長以上の給与を払うのではなかったか)、大学の研究教育を活性化するためのもの(その意味で積極的で建設的発展的な前向きの精神)ではなかったのか?「やる気のない職員」を排除するといった後ろ向きの否定的で気分が暗くなるような立法精神・立法趣旨ではないと思われるが、いったい何のための「任期制」なのか?実績を挙げれば、すなわち、「やれば報われる」というのが、趣旨ではなかったのか?排除の論理と建設的で前向きの評価の論理とは、表面上は煮ているように見えるかもしれないが、大きな違いがある。

「任期制」が、教員評価のあり方とも関連し、またそれが給与条件などとも結びつく場合、教員全体の疑心暗鬼を拡大し、精神的自由を束縛する効果こそが、これまで繰り返し一貫して教員組合によって批判されてきたのではなかったか?

市長発言が報じられるとおりであれば(その内容如何によっては)、大学への任期制導入の根本精神からして、問題だということではないか?

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横浜市長選、中田氏「市大には多額の市税を投入してきた。やる気のない職員が長くいるのは問題だ」

日経神奈川版(3月11日)で,12日告示の横浜市長選で,10日夜,現職の中田氏と新人の松川康夫氏が横浜市の課題をめぐって舌戦を繰り広げた。以下,教育分野でのそれぞれの主張の要約。

 

 …… 教育では松川氏が横浜市立大学での教員任期制導入などを「学問の自治を尊重すべき」と批判。中田氏は「市大には多額の市税を投入してきた。やる気のない職員が長くいるのは問題だ」と切り返した。……

 

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[脚注1]

たとえば、「大学当局は一貫して「教員全員任期制」を大学改革の目玉にしています。全員任期制は大学教員任期法はじめ関連法規の精神に全くそぐわないもので、教員の身分を不安定にし、教員が安心して教育・研究に取り組める環境を破壊していますその結果、とどまるところを知らない人材の流失が進行しています。研究棟の廊下を歩くと空室が目立ち、まるでシャッターを閉めた店が連なる崩壊寸前の商店街のようです。横浜市大が長い歴史の中で脈々と育んできた知的伝統の森は乱開発で根こそぎなぎ倒されているように感じます。実に腹立たしく悲しい想いです。

 横浜市立大学から公立大学法人への移行に際して、教員の身分は法に基づいて継承されました。当局は任期制への同意を求める文書を各教員に送りつけましたが、多くの教員は正当な法的権利に依拠して任期制受け入れを拒否し、従来どおり定年までの雇用保障の権利を維持したまま勤務しています。しかし、ここに再び重要問題がもちあがりました。教授や準教授への「昇任」を契機に、任期付きの新しい労働契約を迫るという事態です。これは定年までの期間の定めのない雇用保障を放棄することになるので、実に重要な労働条件の変更になります。組合との協議は不可欠ですが、当局のやり方は一本釣り方式で新契約締結を強行しようとしているように見えます。その上、当局は契約期間終了後の「再任」について何ら説明をしていません。まるで白紙委任状の提出を求められているのに等しく、5年ほどの任期が切れたら「契約期間満了」という名の「雇い止め」になる可能性も否定できません。これではリスクが高すぎて「昇任」という甘い香りに誘われて任期付き契約に同意することは賢明ではないと言わざるを得ません。」