守女は泣いていた、多くの人が悲しんでいることを知って欲しい!(2006.4.6)

 

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2006年04月06日

守女は泣いていた、多くの人が悲しんでいることを知って欲しい!

 下記の囲みは,今春守山女子高校を卒業した短大生の新聞投書である。守山女子高校の立命館への移管に関わって,犠牲となった女子高校生の心情を吐露するものであり,読んでいてとても悲しい思いにさせられる。
 「人の痛みが分かる人間になりなさい」と小さい頃から言われ続けた生徒たち,しかしそのなかにあって直接教育に責任を負う当事者たちの「人の痛み」など一考だにしない立命館大学および守山市教育行政のやり方に対する怒りと悲しみがここに込められていると感じる。同時に,この怒りと悲しみはこの事件に関連して,キャンパスを突然奪われた平安女学院大学の学生たちにも通じるものがある。この点も決して忘れてはならないと思う。

 一昨日,京都新聞紙上(「大学全入時代と何か」4月4日付)において,立命館大学総長は,守山女子高校「移管の件では一部に批判もあるが、誤解が大きい。公的補助を受けてキャンパスを建てた平安女学院大の撤退で市や県と裁判になりかねないのを、うちが間に入ることで三方が喜ぶ形にした。批判はあたらない」とコメントした。つまり,立命館大学は移管問題に対する批判は「誤解」であって,むしろ逆に平安女学院大学守山キャンパス移転問題における「救世主」であるという驚くべき認識をここに示した。

 まず,自らの大学は「救世主」あると公言するならば,キャンパス移転問題に関わる関係者・関係機関との協議過程をすべて明らかにすべきである。昨年1年間,マスコミの多くは,この問題の処理が立命館・平安女学院・守山市長の3者による水面下での協議(密室協議)に委ねられたと報じてきた。事実,立命館は,昨年5月の守山女子高校移管に関する「覚え書」調印に至るまでの全経過に関して,現在に至っても社会的な説明責任を放棄している(保護者会での説明会も関係者以外追い出した)。

 立命館守山高校への移管については,守山女子高校の置かれている状況,移管せざるを得ない理由,公教育機関としてのこれまでの歴史と果たした役割,その他もろもろの一切について,本来責任を負うべき当の市教育委員会でも,また市議会においても事前の議論は全くなされてはいない(2005年度守山市議会審議経過)。すなわち,関係機関における議論を経た結果としての立命館への高校移管では決してなかった。このような移管劇はかつて日本の教育界においてあったであろうか。要するに,高校移管は正式な機関に十分諮られることなく突然発表され,そのまま形式的な手続きだけが進行し,今日に至ったのである(したがって,この決定は市民も,学校関係者も,父母も,もちろん生徒たちにとっても全く「寝耳に水」であった)。

 立命館が,守山キャンパス移転問題に乗じ,密室協議を経て,公立高校と莫大な価値をもつキャンパスを,平安女学院への7億円に達する資金提供の見返りとして「乗っ取った」との誹りを受けたくなければ,自らの説明責任を果たすべきである。立命館の川本理事長は平安女学院の理事長と2人でいつ何を話したのか。自民党の県会議員(これらの議員は平安女学院大学からキャンパス移転の「功労者」として表彰された)とどのような話をしたのかも含めて明らかにすべきである。

 そもそも,キャンパス移転に絡む守山市への補助金返還問題は,立命館への高校移管問題とは全く別ものである。それを一緒くたにして処理したことは紛れもない事実である。ここに至って守山市の血税25億6000万円と県の補助金分6億円が,当初の目的・趣旨とは全く異なる立命館大学の高校拡張事業のためにいわば「横流し」された。従って,高校生のみならず,地域住民に対しても多大な被害を与えた。上記,立命館総長のように「移管の件では一部に批判もあるが」などとコメントを発し,女子高校生が述べるように「多くの人が悲しんでいる」事実を認識しないようでは,この大学のまともな再生など永久にあり得ない。

 私学も含め学校教育では,学生・生徒たちに民主主義とは何か(人の痛みとは何か),あるいは多様な価値判断を含む意見を公の舞台で議論しつつ,いかに一つの結論に導くのかを自ら事業経営において体現し示すことも生きた教育機能の一つである。この事件は,その意味で生徒に対して大学事業のしわ寄せやツケを押しつけたばかりでなく,教育の理念なり神髄という側面において極めて有害な影響を与えた事件といわざるを得ない。

 「母校なくなる悲しみを知って」。卒業生のこの悲痛な叫びに,立命館大学の教育関係者はいつまで耳を塞ぎ続けるのだろうか。

母校なくなる悲しみを知って

 3月末,卒業したばかりの母校を訪れた。雨が降っていた。滋賀県の守山市立守山女子高校。玄関の校名が取り外されていた。ショックだった。守女が泣いていると思った。
 移管話が出たのは1年前。財政難に苦しむ市が,高校を新設にしたい立命館に移管し,4月から守女はなくなった。最初に守女を見たときは,小さな高校だなという印象だった。けれど,入学してからわかった。生徒はあいさつができて,元気が良く,生き生きとしていた。
 先生方はとても親切で,生徒一人ひとりをきちんと指導してくれた。人生について教えてくれる先生,雑談のおもしろい先生,教え方のとても上手な先生。様々な先生がいて,とても楽しい高校だった。守女の生徒であったことを本当によかったと思っている。
 多くの反対があった。しかし,思いは届かなかった。小さい頃,「人の痛みが分かる人間になりなさい」と言われた。今度の問題で,人の心に触れられたことがあっただろうか。多くの人が悲しんでいることを知って欲しい。私も守女を生涯忘れない。

 

投稿者 管理者 : 20060406 00:17