《教育を独裁政治の道具にしてはならない。政治家が教育をもてあそぶのは罪悪である》 森田実の言わねばならぬ[42](2006.4.15)

 

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2006.4.15(その1)
森田実の言わねばならぬ[42]

教育を独裁政治の道具にしてはならない。政治家が教育をもてあそぶのは罪悪である

「田舎で生まれて、田舎で育ったということは、教育の最良の部分だと思う」(オールコック、アメリカの女流作家、1832-88)


 4月14日の朝刊には二つの教育に関する暗いニュースが載っている。
 一つは毎日新聞朝刊1面トップの〈「教員の挙手、採決禁止」「職員会議――都が異例の通知」「校長主導の運営を徹底」〉の記事。毎日新聞は次のように書いている。
 《東京都教育庁は13日、職員会議で教職員による「挙手」や「採決」を行ってはならないとする通知を都立高校など263校の都立学校長に出した。校長の意思を貫徹させた学校運営が狙い。旧文部省は00年に「職員会議は意思決定権を持たない」との通知を出しているが、挙手や採決そのものを禁止するのは極めて異例。教育現場での主導権確保を目指す同庁の姿勢を反映した内容だが、教職員の反発も予想される。
 通知は「学校経営の適正化について」。中村正彦・都教育長名で出され、同日の都教育委員会定例会で報告された。
 それによると、学校経営について通知は「職員会議を中心とした経営から脱却することが不可欠」と強調し、「職員会議において『挙手』『採決』等の方法を用いて職員の意向を確認するような運営は不適切であり、行わないこと」と指示。会議の運営上の権限がある「議長」を置く学校は、単なる「司会者」に改めるよう求めている。
 そのうえで校長、副校長(教頭)、主幹教諭らによる「企画調整会議」を、学校経営の中枢として方向付けの場とするよう促している。》

 これはヒドイ。本当にヒドイ。ひど過ぎる。これではもはや学校ではない。石原都政になってから、東京都政は荒っぽくなってきている。東京都民が、マスコミに煽動されてファシスト型知事を選んでしまった大失敗が教育の荒廃に現れ始めた。それにしてもこれほどのヒドイ話を取り上げたのが毎日新聞一紙だけというのは情けない。マスコミよ、しっかりしなさい。

 もう一つは教育基本法の改正案が、自民党と公明党の密室のヤミ取引で妥協が成立し、正式決定したことだ。教育の基本を自公両党の密室のヤミ取引で決めるとは、見識極まりない。これに関与した自公両党の国会議員は責任をとれ、と言いたい。
 東京新聞4月14日付朝刊1面左上段に「教育基本法改正案の比較」が出ているが、常識ある人なら、どうして変える必要があるのか、疑問をもつのが当然である。これでは「改正」でなく「改悪」である。この「改悪」を行うことは強権的ファッショ的教育を行うことだ。まことに愚かなことである。

【教育基本法改正案の比較】(東京新聞より)
[前文]
〈現行法〉真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にして個性ゆたかな文化の創造を目指す教育を普及徹底する
〈与党改正案〉公共の精神を尊び、豊かな人間性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進
[愛国心]
〈現行法〉規定なし
〈与党改正案〉伝統と文化を尊重し、我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度
[公共の精神]
〈現行法〉自他の敬愛と協力によって(2条教育の目標)
〈与党改正案〉正義と責任、自他の敬愛と、協力を重んじ、公共の精神に基づき主体的に社会の形成に参画し、発展に寄与する態度(同上)
[学校生活での規律]
〈現行法〉規定なし
〈与党改正案〉教育を受ける者が学校生活を営む上で必要な規律を重んずる(6条学校教育)
[教員の使命]
〈現行法〉全体の奉仕者であり、使命を自覚し職責を遂行(6条学校教育)
〈与党改正案〉崇高な使命を自覚し、研究と修養に励み、職責を遂行(9条教員)
[家庭教育の内容]
〈現行法〉規定なし
〈与党改正案〉保護者は生活のために必要な習慣を身に付けさせ、自立心を育成させるよう努める(10条家庭教育)
[学校・家庭・地域住民の連携]
〈現行法〉規定なし
〈与党改正案〉教育におけるそれぞれの役割と責任を自覚し、相互の連携協力に努める(13条学校、家庭および地域住民等の相互の連携協力)

 自民・公明両党に問う。どうしてそんなに急ぐのか。このような「改正」ならぬ「改悪」をどうしてそんなに急がなければならないのか。
 教育の問題は全国民の問題である。ゆっくりと長い時間をかけて議論すればよい。拙速は止めなければならない。
 政治は教育を乱暴に扱ってはならない。『老子』にあるように「大国を治むるは小鮮を煮るがごとし」である。とくに教育は丁寧に丁寧に扱わなければならぬ事柄である。