愛国心について 日々通信 いまを生きる 第201号 (2006.4.17)

 

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  >>日々通信 いまを生きる 第201 2006年4月17日<<
       
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愛国心について

       
前号「知覧再訪」にはブログのコメントの他に、掲示板や個人メール
       
でろいろな意見感想をいただいた。お礼を申し上げます。

       
ブログのコメントに大和撫子さんが丁寧に隊員の遺書を読んだ感想を
       
寄せられ、その遺書の言葉がみなよく似ていることを指摘して、小宮
       
山量平の『千曲川』の言葉を紹介している。

       
「去年の秋から今年にかけて、新兵たちを教育することに熱中しなが
       
ら気がついたんだけれど、なにやら重大な変化がわが国の軍隊に生じ
       
つつあるんじゃないかって気がするんですよ。、、、どうやら入隊し
       
てくる壮丁たちが、既に苗木のうちに形を整えられましてね、みんな
       
同じような顔つきをしており、誰もが似たような言葉つきで入ってく
       
る。言うなれば見事に訓練され、覚悟しきってとでも言うんでしょう
       
か」

       
小宮山氏はこれを「戦陣訓」とむすびつけているらしい。
       
大和撫子さんは「戦陣訓」の「第七 死生観 死生を貫くものは崇高
       
なる献身奉公の精神なり。生死を超越し一意任務の完遂に邁進すべし。
       
心身一切の力を尽くし、従容として悠久の大義に生くることを悦びと
       
すべし」という言葉を引用して、特攻隊員たちの遺書は見事にこの戦
       
陣訓と一致していたと述べている。

       
私は一九五〇年にはじめて高校に就職したころ、校長が、戦争中に中
       
学校で、新しく入学してきた生徒たちが天皇陛下という言葉を聞くと
       
気をつけの姿勢をするようになったという話をした。二年生以上はそ
       
んな新一年生の事を笑っていた。しかし、翌年は二年生以下がみな気
       
をつけをするようになり、次第に全校生徒が気をつけをするようにな
       
ったというのである。

       
前にも書いたことがあると思うが、一九五〇年は朝鮮戦争がはじまっ
       
た年であり、日本が再軍備の道を歩きはじめた年である。逆コースと
       
いわれたこの時代に、校長は戦時中のことを思い出したのであったろ
       
う。

       
ただ、出撃前の遺書というものが、必ずしも自分の気持を十分にあら
       
わしたものではなかったことは注意しなければならない。

       
「戦艦武蔵の最後」に渡辺清さんが、出撃前夜に遺書を書かされたと
       
き、これを読む人たちの思惑、とくに心配性の母親の気持を思いやっ
       
て何と書いていいかに悩んだことを記している。

       
<どうせ別れの挨拶だから、ただ一言、さようならでもいいわけだが、
       
それだけではいかにも素っ気ない。恐らく切羽つまって、苦しまぎれ
       
にこれだけ書くのがやっとだったんだろう、と思われても困る。とい
       
って、未練がましい、じめじめした書き方では、人一倍苦労性の母を
       
徒らに悩ますだけで、なおさらまずい。もう今となっては、どつちに
       
しろ死のしがらみから逃れることはできないのだから、そんならいっ
       
そ、青竹の切り口のようにスツパリと、潔いところをみせて、両親を
       
納得させてやったほうがいい……。おれはそう決めて、急いで万年筆
       
のふたをぬいて手箱の前に坐り直した。それから片手で便箋をおさえ
       
ながら、ふだんの手紙でも書くようなつもりで書いていった。>

       
<おれはこれを便箋四枚に、一行あきにとばして、字もなるべく大ぶ
       
りに書いた。むろんこれだけでいまの自分の心境を十分いい尽くせた
       
とは思えないし、海軍に三年もいれば、その間の軍艦生活や戦闘体験
       
からいろいろ思い知らされたことはいくらもあり、それもこのさい正
       
直に書きのこしておきたいという気持ちはあったが、これにはあと厄
       
介な分隊長の検閲があるので、そういうことは一切心の底にたたみこ
       
んで、文面には出さなかった。>

       
出撃する特攻隊員も思うことはさまざまだったろう。しかし、彼らは
       
自分の遺書が検閲されることを意識していた。それに彼らは自分の頭
       
で考え、自分の考えを持つ訓練を受けず、自己の真実の心を表現する
       
ことを学んでいなかった。型にはまったことを言い、型にはまったこ
       
とをするしか、その生き方を知らなかった。そのような教育が若い世
       
代ほど徹底していたのだ。

       
いま、教育基本法の改訂が問題になり、国を愛する態度を養うという
       
ことが強調されることになるようだ。
       
これを自民党と公明党の協議によって決め、国会を短時間で通過させ
       
るつもりだという。

       
この基本法改定にもとづいて指導要領がつくられ、一度、指導要領に
       
書き込まれれば、それが教科書の基準となり、教師の授業もその枠の
       
なかに閉じこめられる。

       
日の丸君が代の強要と処分も指導要領に従う教育の強制ということで
       
行われている。

       
「国を愛する態度を養う」とはどういうことか。しかし、指導要領で
       
は、それを「道徳」だけでなく国語や社会でも実践することが求めら
       
れるだろう。

       
教育が国の支配から自由であることが、この前の戦争の教訓だった。
       
しかし、いま、教育が国の支配に従属させられようとしている。

       
「国を愛する態度」という言葉で、いまの日本に対する批判は禁じら
       
れることになるだろう。
       
戦争に対する反対も禁じられることになるだろう。
       
現在の日本を美化し盲従することが求められることになるだろう。
       
みなが同じようなことを同じようにいう。
       
自己の真実を語ることができない、それが愛国教育の帰結ではないか。
       
そのとき、日本は発展をやめ、滅亡するのだ。

       
戦争の時代の愛国主義運動はまず子供たちを狙い、年若い世代から順
       
次愛国主義を浸透させていった。

       
いま、愛国心を強調する人が本当に国を愛しているかは疑問である。
       
道徳的に高潔とはとても思えない政治家たちが愛国心を強調し、道徳
       
を強調して、教育改革を迫っている。

       
戦時中の東条首相らの腐敗を、永井荷風が「断腸亭日乗」に記録して
       
いる。

        1943
3月初8 流言録

       
 築地二丁目に河庄といふ待合あり。おかみさんは大正の初頃浦子と
       
いひし新橋の妓なり。この待合上海戦争の頃より陸軍将校らの遊場と
       
なれり。塀外に憲兵の立番をなしゐる晩は軍人中にても大あたまの者
       
攀柳折花(はんりゆうせつか)の戯(たわむれ)に耽る時なりといふ。
       
今年三月一日は芸者買に二十割の税かかる最初の夜なるに、軍人の宴
       
会あり。東条大将は軍服のままにて公然自働車を寄せたりとこれを目
       
撃したるものの話をここにしるす。

       
また、日本の愛国心強調の欺瞞性を次のように告発している。

        
日本人の口にする愛国は田舎者のお国自慢 短所欠点は口外すまじき
       
こと腹にもない世辞 嘘でかためて決して真情を吐露すべからず

       
七月初五。晴。
       
   冗談剰語

       
日本人は忠孝及貞操の道は日本にのみありて西洋になしと思へる
       
が如し。人倫五常の道は西洋にもあるなり。但しやや異なるところを
       
尋ぬれば日本にては寒暑の挨拶の如く何事につけても忠孝々々と口う
       
るさく聞えよがしに言ひはやす事なり。また恨みありて人を陥れんと
       
する時には忠孝を道具につかひその人を不忠者と呼びかけて私行を訐
       
(あば)くことなり。忠孝呼ばはりは関所の手形の如し。これなくし
       
ては世渡りはなりがたし。

       
一 日本人の口にする愛国は田舎者のお国自慢に異らず。その短所欠
       
点はゆめゆめ口外すまじきことなり。歯の浮くやうな世辞を言ふべし。
       
腹にもない世辞を言へば見す見す嘘八百と知れても軽薄なりと謗(そ
       
し)るものはなし。この国に生れしからは嘘でかためて決して真情を
       
吐露すべからず。富士の山は世界に二ツとない霊山。二百十日は神風
       
の吹く日。桜の花は散るから奇妙ぢや。楠と西郷はゑらいゑらいとさ
       
へ言つて置けば間違はなし。押しも押されもせぬ愛国者なり。

       
一 隣の子供の垣を破りておのれが庭の柿を盗めば不屈千万と言ひな
       
がら、おのれが家の者人の家の無花果を食ふを知りても更に咎めず。
       
日本人の正義人道呼ばはりはまづこの辺と心得置くべし。

       
一 近頃の流行言葉大東亜とは何のことなるや。極東の替言葉なるべ
       
し。支那印度赤道下の群島は大の字をつけずとも広ければ小ならざる
       
こと言はずと知れたはなしなり。
        Greatestin
 the world などと何事にも大々の大の字をつけたがる
       
は北米人の癖なり。
       
今時北米人の真似をするとは滑稽笑止の沙汰なるべし。

       
永井荷風の「断腸亭日乗」については、下記を参照されたい。
       
http://homepage2.nifty.com/tizu/bassui/basu%20nagai%20a%20dantyou.htm 

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