平和を守るためには憲法を変えてはならぬ! 森田実の言わねばならぬ[86](2006.5.11)

 

森田実氏ホームページ http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/index2.html 

http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/

 

 

2006.5.11(その2)
森田実の言わねばならぬ[86]

【これからの日本の政治はどうあるべきか】
平和を守るためには憲法を変えてはならぬ!

憲法記念日特別講演会(山形市)に参加して「憲法9条を守る意味」について講演した。山形市の人々は上品で真面目で、私の講演を真剣に聴いてくれた。

「いかなる犠牲においても平和を(守らなければならぬ)」(ラマルティーヌ、フランスの詩人、1790-1869)


 2006年5月3日、私は、「山形県九条の会・憲法ネットワーク」より招かれて山形市に行き、会場の山形市国際交流プラザ・ビッグウィング大会議室で講演した。主催者発表によると350人が参加したとのことだった。聴衆の皆さんは大変礼儀正しく、上品な人々だった。熱心に礼儀正しく講演を聴いてくれた皆様に深く感謝したい。
 講演の要旨は次のとおり。

 1945−1953年のころ

 戦争末期の1945年4月、私は神奈川県小田原市にある相洋中学に入学した。校舎は陸軍に接収されていた。われわれ中学1年生も学徒動員された。当時陸軍が進めていた本土決戦のための陣地構築の人夫として動員された。6月からは農村へ動員され、農家の農作業を手伝った。農村への動員は8月15日の敗戦直前までつづいた。
 8月15日に戦争は終わった。玉音放送は家族(父、母、祖母、姉、兄)とともに聞いた。
 だが、わが家に“終戦”はこなかった。出征した長兄が帰ってこなかったからだ。母は復員兵の帰還が始まると伊東駅へ毎日のように通い、復員兵のなかに最愛の息子の姿を探し求めた。終戦から7カ月、ほとんど毎日通った駅で兄の戦友から「息子さんです」と白い布に包まれた小箱を渡された。
 60年前の昭和21(1946)年3月15日夕刻のことを私は決して忘れることができない。母と祖母と二人の姉の慟哭を決して忘れない。父がじっと正座し目を閉じていた姿を忘れない。この日の悲しい光景が私の人生の原点である。これほどに母を悲しませる戦争を私は憎んだ。決して二度とこんな戦争をしてはならぬと誓い、この60年を生きてきた。この情念は73歳になった今も決して変わらない。

 昭和21年の最後の帝国議会における憲法論議を、私は中学2年生ではあったが、新聞を読んで知っていた。昭和21年11月3日の新憲法公布、昭和22(1947)年5月3日の発布のこともよく憶えている。当時中学3年生だったが、新憲法に関する英語の弁論大会なども行った。ローティーンの頃のことは不思議に忘れないものである。
 昭和26(1951)年9月8日サンフランシスコ講和条約が締結され、230日後の昭和27年4月28日に米国による占領が終わり、日本は独立した。占領が終わるとともにわれわれは動き出した。  一つは原爆展を開催したことである。占領下では原爆のことはタブーだった。占領が終わるとともに、われわれは原爆展を全国各地で開催し、戦争の悲劇を訴える活動を始めた。当時私は東京で大学生活を送っていた。この年の夏、私自身が郷里の伊東市で原爆展を開いた。
 サンフランシスコ条約締結とともに、敗戦後公職追放されていた人々が追放解除により復権してきた。政治家では鳩山一郎、三木武吉らである。彼らは憲法改正・自主憲法制定を強く主張した。このなかに戦犯として巣鴨拘置所に収監されながら特例的に釈放されたかつての満州の支配者・岸信介がいた。彼らは憲法改正・自主憲法制定の運動を起こした。
 この動きに対抗してわれわれは護憲のための帰郷運動を起こした。昭和28(1953)年春、全国で護憲のための憲法講演会を開催した。私は郷里の伊東市で憲法講演会を行った。講師陣はわれわれの運動に共鳴してくれた東大の教授・助教授で、交通費まで自腹を切ってくれた。
 このとき、各講師が新憲法の意義として強調したのは、第一が国民主権(明治憲法下の天皇主権から国民主権になった)、第二が平和主義(憲法9条「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」)、第三が基本的人権の擁護、の三つだった。この現行憲法の三大原則は守り抜かなければならないと、われわれは国民に訴えた。この三原則の大切さはいまも少しも変わっていないと思う。この三原則にもとづく憲法を変えてはならない。

 いま日本にとって何が問題か

 小泉内閣誕生後1年ほど経ってからのことだったと記憶しているが、大阪である元自衛隊大幹部と会ったことがある。大正後半生まれで私より10歳以上年上の方だった。彼はこう語った。
 「森田さん、あなたにぜひお願いしたい。憲法改正だけは食い止めてください。いま日本は米国の支配下にある。現行憲法は米国の占領下でつくられたが、いままた事実上の米国の占領下で憲法を改正したら、二度まで国の基本法である憲法を米国の占領下でつくることになる。こんな国は世界から信用されない。
 米国の支配下で憲法9条を改正して集団的自衛権を認めることになれば、日本の自衛隊は米軍に従って世界のどこへでも行かなければならなくなる。そんなことになれば、日本の自衛隊は、ベトナム戦争当時の韓国軍のように米軍の前線に立たされ、盾として使われる。
 憲法9条2項を改正して集団的自衛権を認めれば、徴兵制が可能になる。そうなれば、米国は必ず日本に徴兵制を求める。日本の若者が米軍の盾として使われることになる。
 こんなことをさせてはいけない。最近は多くの政治家が憲法改正を主張しているが、これほど危ないことない。日本の若者、日本の自衛隊員の命を守るためにも、憲法改正は阻止しなければならない。森田さん、よろしくお願いします」。
 しばらく経ってこの方は私に手紙をくれた。切々と憲法改正阻止を訴え、平和を守ってくださいと書いてあった。繰り返すが、この方は自衛隊の大幹部だった人である。この方の日本の行き先を思う熱い思いが、いまも私の胸の中に重く生きつづけている。いまの防衛庁と自衛隊の幹部は、この方とは異なり、米国の言いなりの従米主義者ばかりである。
 もう一人、同じことを私に訴えた元防衛庁幹部がいる。
 「森田君、日本の若者を守ってくれ。憲法改正だけはさせてはいけない。米国政府の支配下で憲法改正をやれば、米国は次に徴兵制を要求してくる。いまの自公連立政権は米国の要求には必ず従う。そうなったら、自衛隊員だけでなく、徴兵制によって入隊させられる日本の若者のすべてが米軍の前線に配置され、米軍の盾として使われる。いま憲法改正をすれば、自衛隊は本当に米軍の走り使いにされてしまう。
 ブッシュ政権は日本国民のことなど何も考えていない。考えているのは、ブッシュ政権をいかに強化するか、ブッシュ大統領を支持する大企業をいかに儲けさせるかであり、そのために日本を徹底的に利用しようとしている。
 小泉首相はブッシュ大統領の従順な子分だ。いまの日本は事実上、米国の植民国家だ。こんな状況下での憲法改正などはとんでもないことだ。森田君、ぼくはもう引退したが、君はいまも現役で仕事をしている。どんなことがあっても、日本の若者を守ってくれ。頼む」。
 今日の憲法改正をめぐる問題点は、この二人の防衛庁・自衛隊OBの証言に尽くされていると思う。いまの日本は米国の隷属下にある。米国のブッシュ政権は軍事力で世界を支配しようとしている。米国のための憲法改正は絶対に許してはならない。

 いまの日本、政治・行政のすべてが米国政府の支配下におかれている。外交も安全保障も経済政策すらも、米国政府の支配下におかれてしまっている。
 米国はいま戦争をしている。日本は、小泉政権のもとで「ブッシュの戦争」に巻き込まれた。憲法に違反して自衛隊を海外に送り、「ブッシュの戦争」のために多大の戦費を負担している。 ブッシュ政権は軍拡を行う一方、人気維持のために減税を行ってきた。この結果、米国の財政は大赤字になっている。この穴埋めの役割を担わされているのが日本である。いまの日本、まさに米国の植民国家になっている。
 いま、自公連立政権のもとで進められている憲法改正や教育基本法などの諸々の法改正、共謀罪法案などの新法制定の動きは、すべて日本という植民国家において民主主義を許さない独裁体制を固めようとする日米両国政府による共同の試みである。
 これは絶対に許してはならない。阻止しなければならない。民主党を中心とする野党各党が結束して戦えば、憲法改悪阻止は可能だと私は考えている。

 新たな戦争の危険性――日米台による反中国冒険主義の台頭

 いま、アジアに新たな戦争の危険が迫っている。“迫っている”というより、無理矢理戦争をつくり出そうとしている戦争挑発者の一団がいる。東シナ海ガス田開発をめぐる日本と中国の対立・紛争を利用して、日中間に軍事紛争を起こそうとしている勢力が蠢動をつづけているのだ。バックにいるのは米国と台湾の反中国冒険主義者である。
 これに日本の愚かなジャーナリスト、学者、政治家が乗せられ踊らされている。新聞では産経新聞、雑誌では『文藝春秋』『正論』『諸君!』『週刊文春』『週刊新潮』『サピオ』などである。このほか日中対立を煽る書籍が出版されている。ジャーナリストでは、ハネ上がりの先頭に立っているのが櫻井よしこ氏である。台湾を守るために中国と戦争をしろとけしかけている。どこの国とであろうと戦争は決してしてはならない。また、現在の日本は戦争などできるはずはない。これを承知の上で、日中対立だけでなく戦争を煽り立てるとは、度し難い「戦争狂」と言わざるを得ない。
 最近、これらの「戦争狂」たちが論拠としているのは、中国における軍事費の増大である。これについては米国政府も台湾もそして日本国内の反中国主義者も大騒ぎしている。それだけではない。中国に侵略的意図があるだけではなく、台湾と日本に武力攻撃をかけ、占領し、中国に併呑しようとしているという乱暴な論理をでっち上げている。
 米国内にも中国脅威論が台頭しつつあり、一時下火になっていた米国の「対中国新冷戦戦略」が動き出す気配が出てきた。
 日本はあくまで平和路線を貫くべきである。平和外交に徹さなければならない。外交ルートを通じて平和に向けての話し合いを行い、相互の信頼感を醸成するなかで、平和的な関係を構築すべきである。中国脅威論を騒ぎ立てることは百害あって一利なしである。

 ここで、日本国民がとくに注意しなければならないことがある。5月1日の「在日米軍再編2+2合意」である。日米両国政府は、「日米同盟は新たな段階に入る」と宣言した。その上で6月末に行われる(予定の)小泉首相とブッシュ大統領との首脳会談において「新たな安保共同宣言」を発表することを検討中だ。
 この危険極まりない日米合意を大喜びしている産経新聞はこう書いている。
 《日米両国政府が合意した在日米軍再編計画は、自衛隊と米軍の「一体化」を促すものだ。米中枢同時テロ以降の国際テロの脅威と、中国、北朝鮮という伝統的な脅威への共同対処能力は格段と強化されることになった。》

 米軍と自衛隊の「一体化」とは、米国が日本の事実上の支配者であり、日本が米国の従属国になっている状況下では、自衛隊が米軍の直接的な指揮下に置かれることを意味する。「一体化」とは「従属化」のことである。この日米の軍事的一体化が狙うところは、中国と北朝鮮だということになる。米国の、日中両国を対立させ、その対立を激化させ、あわよくば日中戦争を起こさせるという狙いが、かなり露骨に表れてきている。 イラク戦争で失敗したブッシュ政権が、支持率の低迷、レームダック化を逃れるために、アジアで戦争を起こすという選択をする可能性は考えられないわけではない。ブッシュ政権は何事も力で解決しようとする好戦的な政権である。追いつめられたブッシュ政権が、ブッシュ政権に対して幼児のごとく従順な小泉政権をけしかけて中国に戦争を仕掛けさせるおそれは十分ある。小泉−安倍−麻生政権は冒険主義的なきわめて危ない政権である。その誘いに乗る可能性は考えられないことではないと思う。
 ハネ上がりジャーナリストの櫻井よしこ氏が『週刊新潮』(06.5.4〜5.11合併号)に書いた記事のタイトルは「中国が日本に〔軍事侵攻〕する日」。これからこのようなヒステリックが叫び声が高まるかもしれない。だが、われわれはこれらのヒステリックな挑発者に攪乱されてはならない。冷静に対処しなければならない。
 戦争好きの櫻井よしこ氏や若手政治家は、世の中のことにまったく無知である。無知というのはおそろしい。いったん戦争を始めたらどんなにおそろしいことが起こるか、彼らは何も知らない。その想像力すらもない。
 戦争は簡単に始められるが、戦争を終わらせるのは至難である。いったん戦争を始めたら、やめるのがいかにむずかしいか、第二次大戦末期の日本の体験が教えている。第二次大戦末期、日本政府がようやく「和平」に動き出したあと、どんな悲劇が起きたかを想起すべきである。沖縄戦、広島・長崎への原爆投下、ソ連軍の満州・北方領土への侵攻、全国各都市への容赦なき空爆など、筆舌に尽くしがたい惨害が日本国民の上に加えられた。
 日本が中国と対立し戦争するなどということは、とんでもないことである。日本は中国とあくまで友好関係を保つべきである。とくに経済面で協力すべきである。経済協力のテーマはいくらでもある。協力によってお互いがお互いを必要とする関係になれば、末永く平和な関係を維持することが可能になる。
 中国は平和を熱心に訴えている。日本もこの中国の訴えに呼応して、アジアに平和を築くために努力すべきである。ブッシュ政権内の戦争屋のおだてに乗せられて戦争するような愚は絶対になすべきではない。

 平和か戦争かが問われる日が近づいている

 戦争か平和か、日本国民が選択を迫られる日が近づいているように私には感じられる。ブッシュ政権はいずれ日本政府に対して米国とともに戦争することを要求してくるであろう。
 日本国民は、平和の道を進む以外に道はない。ブッシュ−小泉−安倍−麻生の戦争路線を断固として拒否して、アジアを平和にするために行動しなければならない。
 その第一歩が、後半国会における小泉政権への責任追及であり、来るべき自民党総裁選後の平和主義的政権の樹立である。さらに2007年夏の参院選における与野党逆転である。自公連立与党の議席数を15以上減らすことができれば、与野党逆転する。野党が力を合わせれば、これは十分に実現性のあることである。
 民主党の前原体制が終焉したことは本当によかったと思う。前原体制が存続していたなら、国民投票法案は簡単に成立したであろう。憲法9条の改定を含む憲法改正を衆参両院において発議できる態勢が国会においてできたかもしれない。前原前民主党代表は危険なネオコン政治家である。前原氏のようなネオコン政治家を、一時的とはいえ党代表に選出したことについて、民主党はきびしく自己批判すべきである。
 小沢一郎代表のもとでの民主党は、今国会における国民投票法案の成立に抵抗し、その結果、自民・公明連立与党は今国会での成立を断念した。民主党の前原体制の崩壊=小沢体制の成立によって、自民党政権下における憲法改正を阻止し得る可能性が高くなってきたと私は思う。
 いま、日本にとって小泉的政治の否定が急務である。このためには、日本国民が小泉政治の危険性とまやかしに目覚めなければならない。