「戦艦武蔵の最期」と日本の兵士たち 日々通信 いまを生きる 第206号(2006.5.26)

 

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       >>日々通信 いまを生きる 第206号 2006年5月26日<<

 

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        「戦艦武蔵の最期」と日本の兵士たち

 

        『平和新聞』に連載「文学に見る戦争と平和」の第63回「『戦艦武蔵

        の最期』その2」の原稿を送った。短いものなので、書きたいことが

        ほとんど書けず苦労する。

 

        苦労が多くて連載を中止したいと思うことも多く、何度か編集部にそ

        の旨伝えたが、その都度慰留されて今日に至った。

 

        しかし、63回もつづいてみれば、さまざまな作品が集積されて、戦争

        の諸相が一望されるようになり、戦争と平和について考えるのに少し

        は役に立つのではないかと思われてきた。私にとっては案外大事な仕

        事になるのかも知れない。

 

        「戦艦武蔵の最期」が日本の戦争文学で特別な位置を占めるものであ

        ることを知ったのもこの仕事のおかげである。

 

        「戦艦大和の最期」はよく知られているが、この作品についてはあま

        り知られていない。

 

        作者の渡辺清は高等小学校卒業後、16才で海軍を志願し、太平洋戦争

        開始直前の十六年春から敗戦までの4年余を、ほとんど前線の艦隊勤

        務で過ごした。その間幾度か海戦に参加し、戦艦武蔵が撃沈された時

        は一等水兵、敗戦時は二等兵曹だった。

 

        高小卒の志願兵が自分の体験にもとづいて書いた作品は貴重である。

        彼らこそ日本の軍隊の実質的な中核だったと思う。

        彼らの多くは貧しい農家の出身で、軍隊に入ってはじめて肉を食べ、

        軍隊生活がこれまでの生活より快適なのに満足したというようなこと

        も少なくなかった。

 

        海軍は志願兵が多かったと思うが、召集兵もあり、師範を卒業して6

        カ月で下士官になる短期現役制度などもあった。

        対米戦争開始後は、かなりの年配で召集されたものもあり、彼らは年

        下の上級兵士から愛国精神を注入するこん棒で殴られるしごきを、ひ

        たすら家族を思って耐えた。

 

        このしごきは海軍も陸軍に負けずにひどかったようだ。自ら志願した

        兵士も、これで海軍に幻滅して、退役後の生活を夢見て退役の日を待

        ちわびるようになったものが多かったようだ。

 

        このしごきに耐え、今度はしごく側にまわって、下士官になり、昇進

        して準将校になることを目指して頑張るのは、多くは貧農出身で、他

        に職業がなく、軍隊を割りのいい職業と考え、生涯をかけた者たちだ

        った。

 

        召集された者には、学生時代に運動に参加して、そのためいつになっ

        ても下士官になれず「赤の万年兵長」とからかわれるものもいた。

 

        棍棒をふるうたびに「貴様ら、でれでれしやがって、そんなことで帝

        国海軍の水兵がつとまるか」と脅していたのに、いま、いよいよとい

        うときになって、物陰に隠れて逃げまどう下士官もいた。

 

        しかし、彼らも、同年兵、家族持ちの老召集兵も、16才の少年兵も、

        みな悲惨な死にかたをしたのだ。

 

        この作品は敵編隊のあいつぐ襲撃のすさまじさ、兵士たちのむごたら

        しい殺されかたをなまなましく描いている点でも感心させられるが、

        兵士たちのさまざまんな生い立ちを記して、彼らを生み出す日本社会

        の根底に迫っている点でも注目される。

 

        貧困のなかに育った彼らは、ささやかな夢を見、いつまでも生きよう

        と懸命だった。

        しかし、彼らを無残な死に追いやった東条やその他将軍や大臣たちは

        贅沢な暮らしをし、芸者遊びなどしていたのだ。

 

        いまも、教育基本法で子供たちに愛国心を植えつけようとしている政

        治家たちは、国民の金で高級料亭に遊び、国会対策だのなんだのをし

        ているという。

 

        戦争の末期、だれが国のために死のうと思ったか。

        中学生くらいまでの若者が国のために献身しただけで、表向きはとも

        かく内心ではだれもが生きよう生きようともがいていた。自分のこと

        ばかり考えていた。

 

        それなら、特攻隊で死んで言った若者たちをどう考えたらいいか。

        彼らも本当は生きたかったのだ。

        しかし、その術を知らなかったのだ。

        時代に流され、自分自身を生きることができなかった。

        いまは、その無残さを耐えがたく思う。

        そして、彼らを死に追いやったものをゆるすことができない。

 

        小泉首相はいま、何を考えているか。

        神妙な顔をして靖国に参拝しながら何を考えているか。

 

        いまはもう若者を美しい言葉で二度と殺してはならない。

        愛国心だの人道だの正義だのと臆面もなく口にするものは、みな、偽

        物だ。

 

        「坊っちゃん」の「ハイカラ野郎の、ペテン師の、イカサマ師の、猫

        被(ねこっかぶ)りの香具師(やし)の、モモンガーの、わん  わん鳴け

        ば犬も同然な奴」という言葉が思い出されてならない。

 

        今年の5月ははっきりしない日が多かった。

        あの年の5月は晴れた日が多く、相次いで米軍機が東京、横浜を襲っ

        た。

 

        5月25日には東京の私の家が焼かれた。

        B29はずい分低空までおりてきて投弾し、次々に投弾して去って行っ

        た。

 

        沖縄ではひどい戦闘がおこなわれ、島民はしだいに追い詰められてい

        た。

        しかし、焼跡では沖縄で大戦果のデマが飛び、万歳の声が次々にひろ

        がって行った。

        この日は知覧からもっとも多数の特攻機が飛びたったのだ。

 

        この5月のはじめにベルリンが陥落し、宮本百合子は獄中の夫に<歓

        喜の5月>について書いている。

 

        毎日、新聞を心踊る思いで読んだと書いている。

        私はベルリンの陥落にもそれほど心を動かされなかった。

        なにか、痴呆症のようになっていたのではないかと思う。

        ただ、日々を生きていた。

        やがて死なねばならぬと心に思いながら一日一日を生きていた。

 

        世代によって、歴史を見る目のちがいによって、世界はどれほどちが

        って見えるだろう。

 

        思いがけなくも、幸運にもその後65年を生きて、いま、あらためて戦

        争できる国にならなければならない、子供たちに愛国心を植えつけな

        ければならないと、私利私欲のかたまりのような偉い人たちがしきり

        に言う時代にめぐりあった。

 

        今こそ、考える力、世界を見る目がが求められているのだろう。

        子供たちから思考力、認識力をうばういまの時代について考え、いま

        の時代の教育はどうあるべきかを考えるときだと思う。

 

        愛国心の強調は子供たちから思考力、認識力をうばい、いっそう偽善

        者的にするだろう。

 

        なにか、はげしく時代がうごいているのが感じられる。

        みなさん、お元気で。