小林多喜二と反戦平和 日々通信 いまを生きる 第207号(2006.6.4)

 

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        >>日々通信 いまを生きる 第207号 2006年6月4日<<

 

        小林多喜二と反戦平和

 

        いま、<小林多喜二と反戦平和>について書いている。

        晩年の多喜二の反戦平和のたたかいといえば、権力の暴圧に抗して最

        期までたたかったことばかりが強調され、不屈の闘士としてひたすら

        美化され、私達の及びもつかない点ばかりが強調されがちだ。

 

        しかし、多喜二はいかにたたかったのか。

        「沼尻村」や「党生活者」は、満州事変前後の国民の大多数が戦争へ

        と押し流されていく時代の農村と工場のたたかいを描いている。

 

        平和新聞 第19回 2001年12月 小林多喜二 『沼尻村』

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        ながくつづいた不況は金融恐慌・世界恐慌へと発展し、労働者は職場

        を追われ、失業者として故郷へ帰っても、農村もまた不況と凶作に苦

        しんでいた。食う米もないのに小作料の強制取り立てが強行される。

        現金収入を得るために働きにでている炭坑にも首切りの嵐が吹き荒れ

        る。凶作を理由に米価は高騰し、食う米がない農民は飢えに苦しむ。

        追い詰められた農民はどうすればいいか。

 

        不況と恐慌からの脱出を戦争に求め、政府や新聞は戦争をあおってい

        た。満州でも取らなければやっていけないという思想が農民たちをと

        らえ、戦争を待望する気分が支配的になっていく。国家社会主義者が

        青年団や在郷軍人会と結び、アカを撲滅せよと策動し、小作料減免の

        要求を掲げてたたかおうとする小作人集会を襲撃する。

 

        そこに召集令状が来て、働き手が奪われていく。残された家族はどう

        すればいいか。「国のため」に、あらゆる苦しみが押しつけられ、反

        対や抵抗が圧殺される。

 

        「党生活者」では不況で大量につくりだされた失業者を臨時工として

        かりあつめ、残業と低賃金、きびしい労働条件で酷使し、あらゆる反

        対や不平、不満を「国のため」ということで押さえつける。労働組合

        の幹部は今度の戦争はこれまでの戦争とちがって、労働者のためなの

        だと言い、警察や憲兵とむすびついて、戦争に反対する動きを弾圧す

        る。しかし、やがて臨時工が一斉に解雇される日が来る。

 

        農民のため、労働者のためという戦争は、戦争のため、国のために労

        働者、農民の生活を破壊する。

 

        多喜二は戦争の問題を労働者農民の日々の生活と結びつけて描き出し

        た。今日、あの時代の労働者農民の生活をを知ろうとするなら、多喜

        二の作品を読む必要がある。それがあの時代の現実を今日に伝える記

        念碑的な作品だ。

 

        多喜二の不屈のたたかいが讃美されるが、それは、彼が当時の労働者

        農民の現実に密着していたからばかりでなく、戦争の現実、世界の動

        向に深い関心を抱き、それを知っていたからだ。彼は中国の革命的な

        運動の発展に励まされ、それに支えられて、困難なたたかいが勝利に

        終わることを信じてたたかった。

 

        多喜二は創作活動で反戦平和をたたかったばかりでなく、満州事変開

        始の直前に作家同盟書記長となり、精力的な評論活動をおこなってい

        る。

 

         戦争は勝利して、兵士たちははなばなしく凱旋して来たたが、それ

        で彼等の公約通りの幸福な生活が勤労大衆にもたらされているか。い

        くら戦争に勝ったと言っても実際は国民の生活は悲惨になるばかりで

        はなかったか。

 

         大陸進出というが、満洲でも朝鮮、支那の労働者で一杯で、日本の

        労働者に比して低い労働条件で働いているので、無暗に満洲に出て来

        られても困るというのが現実で、「それは同時に究極には内地の労働

        者の労賃とその諸々なる条件をも引き下げる契機となるもの」なのだ。

 

        「馬占山の叛乱」「反吉林軍の叔乱」と叛乱がつづき、満蒙の「革命

        運動」(それはパルチザン闘争となってあらわれている)が未曾有に

        激化している。多喜二は匪賊出没件数が一日に約六十件にも及ぶこと

        をあげ、日本帝国主義は今や絶大なる困難のもとに置かれていると述

        べている。

 

        戦争の時代は言論文化弾圧の時代だ。戦争と国家を笠に着て警察の弾

        圧は苛酷をきわめた。作家同盟の同志たちは蔵原惟人も中野重治もそ

        の他目ぼしいものはつぎつぎに検挙投獄された。

 

        いまの時代は当時とはちがう。しかし、多喜二もこんな時代が来ると

        は想像してもいなかったのだ。戦争が始まればどんなことがおこるか

        わからない。なにより言論の自由が奪われる。戦争に反対する運動は

        共謀罪で弾圧される。共謀罪のかくされた狙いはそこにある。

 

        愛国心の強調といい、憲法改定の動きといい、いま、日本の現実は、

        当時とおどろくほど似てきている。差異ばかりを強調するのでなく、

        共通性にもしっかり目を向けて過去の再現を実現させないようにする

        必要がある。

 

        過去に学ぶとはそういうことだろう。

        このごろ、私のホームページ掲示板に若いひとの右翼的な書き込みが

        目立つ。削除するのは容易だが、彼らがどんなことを書くのか知るこ

        とが必要だと思って、削除は最小限にしている。

 

        その感想はあとでまた書くとして、彼らの右翼的言辞が、かつての右

        翼とちがうのは日本の現実に対する批判を欠いていることだ。いまの

        日本は平和で豊かだと思い込んでいるらしいことだ。そして、朝鮮・

        韓国、そして中国に対するはげしい反感に満たされている。ただ、ひ

        たすら憲法を改定し、軍事力を強化して、中国に対抗しようというの

        であるらしい。ひたすら強くなれ、強いものはどんな無法も許される。

        アメリカを見よ。なんとも空しい子供っぽさだ。

 

        多喜二の時代もおどろくべき速さで変化して行った。いまの変化も驚

        くべき速さだ。多喜二の時代、満州事変に突入して行った時代のこと

        は、もっと深く、いまの時代と引き比べて検討する必要があるようだ。

 

        原稿に追われてまとまったことが書けない。おゆるしを乞う。

        6月に入って少しは晴れた日がつづく。

        しかし、やがて入梅だ。

        皆さん、お元気でお過ごしください。

 

          伊豆利彦 http://homepage2.nifty.com/tizu

 

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