「純情きらり」と日の丸君が代 日々通信 いまを生きる 第211号(2006.6.21)

 

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       >>日々通信 いまを生きる 第211号 2006年6月21日<<

           伊豆利彦 http://homepage2.nifty.com/tizu

 

        「純情きらり」と日の丸君が代

 

         NHKの朝ドラ「純情きらり」は津島佑子の作品「火の山ー山猿

        記」原案とする作品で、1938,9年ごろの岡崎を舞台にしている。

 

         有森桜子は幼い頃からピアノが大好きでジャズに熱中し、旧弊な学

        校とのトラブルを起こす。周囲の反対を押し切って、東京の音楽学校

        を受験するが、一年目は落第した。一年浪人し、東京で苦労しながら

        勉強して、ついに入学にこぎつける。それが、1939年3月の桜子であ

        る。

 

         戦争は次第に長期戦となり、ジャズの生演奏をしていたダンスホー

        ルは禁止される。当時はジャズの演奏会などはなく、ダンスホールが

        数少ない生演奏の場であった。ジャズやダンスは頽廃的な敵性文化だ

        というのが禁止の理由だった。

 

         昭和初年はながい不況と恐慌の時代で、失業者が続出し、凶作に見

        舞われた東北の農民は飢えに苦しみ、身売りする若い女性が続出した。

         労働運動や農民運動が激化し、長期にわたる血みどろの争議がひろ

        がった。政府はこの危地を脱する道を中国に対する侵略戦争に求め、

        労働運動、農民運動に対する苛酷な弾圧をおこなった。

         しかし、プロレタリア文学運動は全盛の時代を迎え、都会ではモボ、

        モガや、マルクスボーイが時代の流行だった。

 

         だが、関東軍がおこした満州事変を契機に、プロレタリア作家も根

        こそぎ検挙され、徹底した弾圧がおこなわれた。

         小林多喜二が殺された1933年は、京大の滝川教授がそのデモクラテ

        ィックな刑法思想の故に大学を追われ、これに抗議して全国の大学生

        が立ち上がった。しかし、警察は徹底して弾圧し、社会主義、共産主

        義運動の息の根を止めた。

         プロレタリア作家同盟も解散し、転向作家や転向学生、転向青年が

        巷を彷徨することになる。太宰治はこのような時代に翻弄された青年

        たちの先端に位置する作家だった。

 

         左翼が弾圧されて、生活と思想の寄る辺をうしなった青年達は、う

        つろな心を抱いて、モダーニズム文化に流れ込んでいった。ジャズや

        ダンスホールが盛んになったのはこの時代である。

         この時代は軍需インフレもあり、都市を中心に消費生活の近代化が

        進み、新旧世代の文化意識、生活意識のずれが目立った時代である。

 

        「純情きらり」は旧家意識にこりかたまった老舗の味噌屋を舞台に、

        跡継ぎの松井達彦や桜子のようなごく若い世代の旧時代との葛藤を描

        いている。

         桜子が東京でまぎれこんだアパ−トの住人たちは時代から振り落と

        された芸術家志望の青年達である。

         この作品は当時の世相を表面的に描くのでなく、戦争から脱落した

        若者たちに眼を向け、時代の先端の問題に迫ろうとしている。

 

         このアパ−トに住んでいた画家の杉東五は飄然と岡崎に来て、桜子

        の姉笛子と結婚しようとする。笛子は女学校の国語の教師だが、学校

        から冬五が思想問題で逮捕されたことがあるという理由で圧力をかけ

        られる。

 

        さらに笛子が国語の授業で「源氏物語」を教えていることについて、

        県の視学官が、「源氏物語」のような不敬の書を教えることは許され

        ないと言って、テキストの文庫本を引き裂き、笛子は辞任を迫られる。

 

         この杉東五に、原作者津島佑子の父太宰治の姿が重なっていると思

        われる。

         太宰は津軽の大地主の子で、高校時代から左傾し、大学時代には非

        合法の共産党に資金を提供し、自らも日夜、身を削る過激な運動に従

        事した。

         1932年に転向し、以後、若い世代の苦悩を追求する作家活動にはい

        った。この間、自殺未遂を繰り返していることは、その苦悩の深さを

        語っている。

 

         1939年1月、甲府で女学校の教師をしていた石原美知子と結婚、健

        康な市民生活を送ろうと努力する。

         戦後、ふたたび混乱と苦悩、頽廃的な日々を送り、津島佑子はその

        なかで1947年に生まれたが、翌年佑子が1才のときに太宰は自殺した。

 

        「十五年間」に太宰は次のように書いている。

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        私たちの年代の者は、過去二十年間、ひでえめにばかり遭って来た。

        それこそ怒濤の葉っぱだった。めちゃ苦茶だった。はたちになるやな

        らずの頃に、既に私たちの殆んど全部が、れいの階級闘争に参加し、

        或る者は、投獄され、或る者は学校を追われ、或る者は自殺した。東

        京に出てみると、ネオンの森である。曰く、フネノフネ。曰く、クロ

        ネコ。曰く、美人座。何が何やら、あの頃の銀座、新宿のまあ賑い。

        絶望の乱舞である。遊ばなければ損だとばかりに眼つきをかえて酒を

        くらっている。つづいて満州事変。五・一五だの二・二六だの、何の

        面白くもないような事ばかり起って、いよいよ支那事変になり、私た

        ちの年頃の者は皆戦争に行かなければならなくなった。

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         佑子にとって、父の生涯は謎であり、重い問題をつきつけつづけた

        と思う。その父の生涯がこのドラマには、戦争が日々拡大し、市民的

        自由も芸術的自由も奪われていく時代の問題とともに、わかりやすく

        整理され、大衆化されて描き出されている。

         戦争はやがて作中人物のすべてをのみこんで拡大していくだろう。

        その日々を桜子たちはどう生きるか。冬五や笛子はどう生きるか。

 

         いま、日の丸君が代問題でえ教師が処分される事件が相次ぎ、さら

        に進んで来賓にも起立が強要するという事件が起こっている。そして

        <愛国心>を強調する教育基本法改定、憲法改定が緊急の問題になり、

        戦争が決して遠い世界の出来事ではなくなってきている現在、このド

        ラマは、あの時代を新しくよみがえらせ、あらためていまを考えさせ

        てくれる。

 

        このドラマの成功を祈る次第である。

 

         梅雨も中休みというところだろうか。

         村上ファンドの問題は、金融自由化とかゼロ金利とかいうものが、

        金持ちちにとって実にうまみのあることだったのだなとつくづく思わ

        せる。

 

          皆さん、めげずに日々の仕事におはげみください。