「意見広告の会」ニュース351(2006.7.1) (1)京都府立医科大学と京都府立大学の法人化に反対する、(2)APU常勤講師「雇い止め」事件の迅速で公正な仮処分命令を求める大分地裁宛ネット署名のお願い、(3)なぜ、日本の大学の学費が高いのか?

 

 

「意見広告の会」ニュース351

 

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かかりません。ご氏名、ご所属等の掲載方法などもご指定下さい。

 

 

** 目次 **

1 京都府立医科大学と京都府立大学の法人化に反対する

            京都府職員労働組合大学部会

 

2−1 APU常勤講師「雇い止め」事件の迅速で公正な仮処分命令を求める大分地裁宛

ネット署名のお願い

2−2 立命館アジア太平洋大学の常勤講師「雇い止め」事件の迅速で公正な地位保全

仮処分命令を求める要請書

 *APUについては、更にサイト「全国国公私立大学の事件情報」をご覧下さい。

 

3 なぜ、日本の大学の学費が高いのか?

            池内了(総合研究大学院大学)

       日本物理学会雑誌6月号より 著者の許可を得て転載

 

 

***

1 京都府立医科大学と京都府立大学の法人化に反対し、歴史と伝統、地域に根ざした

両大学の発展を訴えます。

      京都府職員労働組合大学部会

 

 現在、京都府立医科大学と京都府立大学を法人化するための計画づくりが振興してい

ます。しかし、国公立大学の法人化は、この間の経験から明らかなように、国民や住民

にとって、決して歓迎すべきことではありません。

 国立大学は、2004年4月、すべて、独立法人に移行しました。公立大学でも、翌

年4月以降、法人化する大学が現れています。法人化した大学は、経営的観点にもとづ

く「効率化」を進めることを求められ、大学への交付金は、毎年、削減されます。その

結果、教育研究費が不足し、教育研究活動に直接の支障が生じています。教員は、法人

化に伴う新たな業務や外部資金の獲得に駆り立てられ、教育・研究に専念できない状態

です。また、教職員の削減や任期制の導入が強行されており、それらは、教育・研究の

質の低下を招いています。さらに、将来的には、法人化から6年後に、「実績」が評価

機関によって「評価」され、「評価」次第で、大学や学部が廃止される可能性すらあり

ます。

 府立の両大学が法人化されれば、両大学においても、このような様々な弊害が生じる

にちがいありません。サービスの提供という視点からすれば、両大学の法人化は、京都

府民はもとより、国内外の大学関係者に対するサービスの低下をもたらすのです。たと

えば、法人化により、両大学は、現在でも高額な学費をさらに引き上げざるを得ない状

況に追い込まれることでしょう。府立医科大学附属病院は採算の取れない分野からの撤

退を余儀なくされ、府民への医療サービスは低下することでしょう。また、両大学の教

育・研究条件はいっそう劣悪なものになるでしょう。

 京都府立医科大学と京都府立大学は、ともに輝かしい歴史と伝統をもち、多数の優秀

な人材を輩出するとともに、教育と研究、医療提供の面において、社会に多大な貢献を

してきました。私たちは、両大学が進めてきた社会貢献の流れを押しとどめる法人化に

ね強く反対します。

 大学の法人化をめぐって進行している事態を広くお知らせし、同時に、府立両大学の

発展方向を示すために、この度、パンフレットを作成しました。多くの関係者の皆さん

にご一読いただき、両大学の法人化の動きに対して反対の声を上げていただくことを願

っています。

 

       京都府職員労働組合大学部会

       同   府立医科大学支部

       同   府立大学支部

 

 

2−1APU常勤講師「雇い止め」事件の迅速で公正な仮処分命令を求める大分地裁宛ネ

ット署名のお願い

 

 立命館アジア太平洋大学(APU)において,今年3月末をもって不当解雇された常勤講

師の先生1名が、5月18日,大分地方裁判所に「地位保全の仮処分申請」を行いました

 

 現在,同常勤講師が所属する大分地域労働組合が,仮処分裁判に勝訴すべく支援活動

を精力的に展開しています。その一環として,下記のサイトにて,大分地裁宛「要請書

」についての賛同署名活動を行っています。

 

■ネット署名サイト

http://university.sub.jp/apu/saiban/

■大分地域労働組合による支援要請文

http://university.sub.jp/apu/saiban/index.php?job=yobikake2

 

是非,多くの大学関係者の皆様が,下記「要請書」を読んで不当解雇の経緯等を知って

頂き,署名にご協力下さいますようお願い申し上げます。

 

 

2−2 要請書

大分地方裁判所 民事第二部

神野泰一裁判官 殿

 

立命館アジア太平洋大学の常勤講師「雇い止め」事件の迅速で公正な地位保全仮処分命

令を求める要請書

 

 立命館アジア太平洋大学(以下APUという)は、一応の任用期間が切れた常勤講師

に対して、平成18年3月31日をもって雇い止めを強行しました。

 この雇い止め事件は、APUが開学前に常勤講師に対して「4年契約の後も契約を継

続できる」と約束したにも拘らず、昨年突然に、平成18年3月末に一応の任用期間が

終わる常勤講師から、次々と「雇い止め」することを通知してきたことから起こった事

件です。

 APUは2000年4月に開学しましたが、開学前の1999年10月24日に、就

任予定の日本語教員を京都に集めての説明会で、常勤講師たちの質問に答える形の『質

問リスト』を配布しました。その質問リストの19項に「4年後の更新について知りた

い」という項目があり、それに「一応任期はあるが、本人が望めば60歳の定年まで更

新ができる。ただし昇格も昇給もない」と説明し、継続雇用を約束しました。

 この説明会に出席した常勤講師は、雇用契約の更新が約束されたことを確認して、他

大学への応募を取りやめ、又は、他大学の職を辞してAPUに着任しました。

 このことは、この説明会に参加した常勤講師14名全員を含めた16名の教員が、「

4年後も契約を継続できるが、条件・待遇は変わらない」「どうぞ定年までいて下さい

」と説明を聞いたと、連名で署名していることからも、また数名の常勤講師が説明会の

『質問リスト』に、説明内容をメモ書きで残していることからも明らかです。

 貴裁判所へ提出している教員7名の「陳述書」でも、「継続雇用を確認して、退路を

断って着任した。当時、その約束がなければ着任していなかった」と経緯を陳述してお

り、APUが開学前の『継続雇用』の約束をしたことは、まぎれもない事実です。

また、APUは今後4年間で学生数の1.5倍化を目指し、新たに上級講師・嘱託講師・任

期5年の教員の募集もしており、依然として日本語教員の必要性が高いのです。この点

からも、既に4年間の教育・研究経験を有する常勤講師の「雇い止め」が、理不尽で不

当なものであることは明らかです。

 教育・研究の場を奪われることは大学教員としても生活者としても死活問題であり、

約束に反して雇い止めにされた常勤講師の計り知れない苦痛に、私たちは深く心を痛め

ています。

 私たちは、貴裁判所が早急に公正な判断を行い、地位保全の仮処分命令を下されます

よう要請いたします。

 

提出者代表

大分地域労働組合 執行委員長   池本 和之

 

 

3 なぜ、日本の大学の学費が高いのか?

  ー二〇〇六年問題を前にしてー

          池内 了(いけうち さとる、総合研究大学院大学)

  

高学費の根源

 表題への解答は単純簡明に答えることができる。日本の高等教育に対する公財政支出

が少ないから、の一言につきるからだ。高等教育費の対GDP比率の国際比較を行うと

、日本は〇.四八%にしか過ぎず、OECD諸国の平均の約一%の半分以下でしかない

(二〇〇四年度実績)。フランスやドイツの一.〇%、アメリカの一.一%、イギリス

の〇.八%と比べると有意に少ないのだ。因みに、これらの国々の高等教育(大学・短

大段階)の在学率(=在学者数/当該年齢人口)はいずれも五〇%前後で日本とほぼ同

一である。(対GDP比率は、国ごとの財政システムが異なるので単純比較が困難な側

面もあるが、投資額として意味がある数値と考えてよい。)

 その結果として、アメリカとカナダの教育政策研究所の調査「グローバル高等教育ラ

ンキング2005」によれば、先進諸国・地域一六カ国の学費・生活費・奨学金を基に

した国際比較では総合で日本は最下位となった。つまり、公費による負担は最も少なく

(わずか一三.一五%)、私費負担が最も重い一六位であったのだ。日本では私学が多

く(学生数の七五%が私学)、私学への公費支出が少ない(経常費補助率は約一二%)

状況を考えると、私学の学生の私費負担はさらに高いと言わざるを得ない。(学生一人

当たり公費支出額の公私の格差は三〇対一になっている。)実際に、国民一人当たり個

人消費支出に対する授業料の割合は、国立大学が四五.三%、私立大学が七〇.二%(

二〇〇三年度実績)で、まさに「経済的格差による教育上の差別」が生じているのだ。

大学進学率がこの数年四九%で頭打ちになっているのは、格差社会が常態になり、国民

の階層分化が生じているためと考えられる。

 このような異様とも思える日本の高等教育の高学費の根源は、まず日本政府の「国家

に教育権がある」との姿勢にあるだろう。一八八六年の「帝国大学令」第一条の「国家

の枢要に応ずる学術技芸を教授」以来、百年以上経ってもその基本姿勢は変わっていな

いのだ。現に、一九九七年の文部省(当時)から大学審議会に出された「諮問」でも、

「我が国全体の知的ストックの形成による国力の維持」と「新規産業創出分野などへの

人材受容への配慮」を求めており、国家に寄与する人間の養成が大学の第一目標なので

ある。国民の誰しもが能力に応じて教育を受ける権利がある、という「国民の教育権」

の思想は無視されたままと言えよう。

 

無償教育の漸進的導入

 そのことは、国際連合が一九六六年に採択した国際人権規約(社会権規約)第一三条

(教育に関する権利)の2項(c)に対する、歴代日本政府の態度からも推し量ること

ができる。この項は、「高等教育は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸

進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等に機会が与えられるものとす

る」と定められている。その根源には一九四八年に採択された世界人権宣言第二六条の

「すべての者は、教育についての権利を有する。(中略)高等教育は、能力に応じてす

べての者に対して均等に機会が与えられるものとする」があり、経済的格差による教育

上の差別がないよう配慮することが求められたのだ。それに従い、先進諸国では各国な

りに高校や大学における「無償教育の漸進的導入」の努力を続けてきた。それが高等教

育への公財政支出となって現れているのである。

 ところが、日本政府は一九七九年に国際人権規約を批准したのだが、「『特に、無償

教育の漸進的導入により』に拘束されない権利を留保する」と宣言し、現在もなおその

態度を堅持し続けている。その結果として、家庭の経済事情によって大学進学を断念す

る学生が増えているなど、経済的格差による教育上の差別が生じているのだ。社会権規

約を批准している国は一五一カ国あるのだが、第一三条2項(c)を留保しているのは

、ルワンダとマダガスカルと日本のみなのだ。(アメリカは、例によって国際規約によ

って縛られることを嫌い、社会権規約のすべてを批准していない。)

 これまで度々国会でこの問題が取り上げられてきたが、日本政府が固執する留保の理

由は、私学の比率が高いので公立との均衡をとるのは不可能であり、進学率が高まり財

政的に達成できない、というものである。一気に「無償」は不可能ではあるにしても、

授業料免除制度の拡充や奨学金の充実など「漸進的」な施策はいくらでも取りうるのに

、留保することによってそのような努力もしないと宣言していると言えよう。実際、初

年度納付金は、一九八五年を一〇〇として、二〇〇三年度は国立大学で二一五.八、私

立大学で一四一.六となっている。この間の物価上昇率は一一三.九であったことを考

えると、政府は無策のまま高学費を容認しているのである。

 参考のために、大学入学者の初年度納付金を書いておく。私立大学平均(二〇〇四年

)では、授業料、入学金、施設設備費の合計で、文系一一四万円、理工系一四〇万円、

薬学系二二四万円、医歯系五〇六万円、である。国立大学は、二〇〇五年の授業料値上

げによって、入学金と併せて八一七八〇〇円となった。(私が大学に入学した一九六三

年では一三〇〇〇円であった。なんと、六三倍である。当時、一万円あれば一ヶ月楽に

やってゆけたことを考えると、学費の異常な高騰ぶりがはっきりとわかる。)

  比較のため、簡単に諸外国の学費・奨学金事情を述べておこう。イギリスでは、受益

者負担原則が導入されて約二〇万円(二〇〇六年から最高六〇万円)の授業料が徴収さ

れるようになったが、卒業後後払い制度と授業料免除(四割の学生)が認められている

。また、貸与奨学金の返済も年収が三〇〇万円を超えた時点からという粋な制度となっ

ている。ドイツは無償であったが、大学教育行政が州政府権限となって有償化(五年以

上の在学者から徴収)される見込みである。一般にアメリカの学費は高いと言われてい

るが、連邦政府の給与・貸与の奨学金は七四四億ドル(八兆五千億円、二〇〇〇年)で

、学生全体の七割が奨学生となっている。(日本の六八二〇億円(二〇〇四年)と比べ

一〇倍以上の差違がある。)スカンジナビア諸国、デンマーク、フランスの授業料は無

料である。いかに日本の学生が高学費を強いられ、安い奨学金しか措置されていないこ

とがわかるであろう。

 

私学補助に関して

 私学への公費助成に関して、憲法によって禁止されているという言説がある。その出

所は、二〇〇五年三月参議院予算委員会において、小泉首相が憲法第八九条「公の支配

に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し公金の支出は禁じられていること」を

持ち出し、私学への公費助成に消極的な姿勢を示したことにあると思われる。しかし、

これは憲法の精神を踏みにじった曲解である。私学が公共的な性格を有していることは

既に認められた事実であり、決して「公の支配に属しない」事業ではないからだ。現に

、一九五〇年から施行された私立学校法には「私立学校の特性にかんがみ、その自主性

を重んじ、公共性を高めることによって、私立学校の健全な発達を図ることを目的とす

る」と書かれ、私学の公共性が認知・奨励されているのである。

 さらに、一九七五年に成立した私立学校振興助成法では、「国は、大学又は高等専門

学校を設置する学校法人に対し、当該学校における教育又は研究に係る経常的経費につ

いて、その二分の一以内を補助することができる」としており、私学への公費助成は憲

法と整合的に行使されてきたのだ。であればこそ、私立大学も国が認可した認証評価機

関の認証を受けなければ廃校もあり得ることを許容しているのだ。(なお、この私立学

校振興助成法成立時の国会付帯決議には、「できるだけ速やかに二分の一とするよう努

める」という文言も付されている。現在の私学への経常費補助率が約一二%であること

を考えれば、いかに国がサボっているかがわかろうというものである。)

 

受益者負担の原則?

 その根底には、高等教育を受ける学生は「受益者」であるとみなしていることにある

。そして「受益者負担が原則」などという言辞が政府や財政当局者から出され、それに

従わされているのが現状だろう。法律用語では「受益者」とは、「特定の公共事業の施

行により特別の利益を受ける者」と定義されている。従って、「受益者負担」は「特定

の公益事業に必要な経費に充てるため、その事業により特別の利益を受ける者に負わせ

る負担」となる。教育は特別な利益を個人にもたらすから、教育に関する経費は自己負

担せよ、というわけだ。

 しかし、教育は特別な個人の利益のみなのだろうか。本来教育は、人権の一部であり

、発達保障のためになされるものである。また、未来の社会・経済を担う人間を養成す

る公共的な性格も持っている。すべての人に能力に応じて必要かつ適切な教育を平等に

保障するのが国家の義務であり、家庭の経済的な格差による教育上の差別がないように

措置されるべきなのである。

 百歩譲って、高等教育を受けた者が受けていない者より生涯賃金が多いから受益者で

あるとしよう。しかし、高等教育を受けたいと望む人間は、未来の受益者であって、そ

の段階ではまだ利益は発生していない。「特別の利益」を得るようになってから負わせ

るのが本来の受益者負担ではないだろうか。例えばイギリスでは、授業料の卒業後払い

制度を導入しており、貸与奨学金も卒業後年収が一.五万ポンドを超えた時点から返済

開始すると決められている。利益の発生後の負担を原則としているのだ。

 むろん、私は高等教育の無償教育を直ちに実行せよと言うのではない。高等教育の公

共性を認め、せめて高等教育への国家予算を先進国並に引き上げるべきことを主張して

いるのである。まさに「漸進的」に無償教育に向かって努力するのが政府の成すべきこ

とと考えているのだ。誰でもが経済的な問題の懸念なしに高等教育を受けられるように

することこそが国家の役割であり、入口のところで「機会不平等」を課すべきではない

のである。またイギリスの例を持ち出せば、年収一万ポンド以下の低所得家庭の就学困

難学生を対象に年額一〇〇〇ポンドの奨学金給付を行い、授業料免除を受けている学生

が四割にもなる。授業料を徴収しているイギリスでも、経済的困難者にも高等教育を受

ける権利を保障しているのだ。

 ところが、国立大学法人移行二年目で授業料標準額を値上げし、日本学生支援機構(

かつての日本育英会)は半分以上を有利子奨学金とすることになった。競争原理に基づ

く経済論理に従った大学経営が貫徹されようとしているのだ。このままで行けば日本の

大学の高学費・高負担はまだまだ続きそうである。

 

変化の兆し

 しかし、変化の兆しはある。中央教育審議会の二〇〇五年一月二八日の答申「我が国

の高等教育の将来像」において、「学生個人のみならず現在及び将来の社会も高等教育

の受益者である」という認識を初めて示したのだ。社会も受益者として位置づけ、高等

教育の公共性を広言したことになる。そこから必然的に、「高等教育への公財政支出の

拡充」を行い、「公的支出を欧米諸国並みに近づけていくよう最大限の努力が払われる

必要がある」と述べるに至った。学生の納付金が国際的に見ても高額化しており、「高

等教育を受ける機会を断念する場合が生じ、実質的に学習機会が保障されないおそれが

ある」という現実を認めざるを得なくなったためだろう。私立大学に対しても、高い公

共性を持つと評価し、基盤的経費の助成を進めるべきことも言及している。中教審委員

にも、余りに貧弱な高等教育政策に苛立ちの気持が出てきたのかもしれない。(もっと

も、一九七一年の答申でも「公費負担の強化」を謳ったけれど体よく無視された経緯が

ある。)

 

二〇〇六年問題

 もう一つ重要なことは、二〇〇一年九月に国際連合の社会権委員会は、「日本政府に

対する最終見解」をまとめて「提言及び勧告」を行ったことである。そこでは、日本政

府に対して、国際人権規約第一三条2項(c)(「無償教育の漸進的導入」)の「留保

を撤回する意図がないことに特に懸念を表明」した上で、「留保の撤回を検討すること

を要求」し、「報告を二〇〇六年六月三〇日までに提出し、その報告の中に、この最終

見解に含まれている勧告を実施するためにとった手段についての、詳細な情報を含める

ことを要請する」となっている。国連の組織からの要請事項であり、日本政府は回答す

る義務があるのだ。ところが、経済大国と言われる日本として留保継続は恥ずべきこと

であるが、現在のところ変化はなさそうである。(これでは常任理事国入りも無理であ

ろう。)

 これに対し、有志によって「国際人権A規約13条の会」を発足させ、日本政府に対

し、期日までに「無償教育の漸進的導入」の留保撤回を要求している。これを「二〇〇

六年問題」と呼び、全国各地の取り組みや国連人権(社会権)委員会への働きかけを強

めてきた。(留保撤回にならない場合、引き続き会を存続させ運動を継続する所存であ

る。)多くの方々の参加を望みたい。(事務局は、龍谷大学角岡研究室。)

 

おわりに

 日本社会は勝ち組と負け組に分化し、厳しい格差社会になろうとしている。その中で

、文化を継承し発展させる上で不可欠の教育まで市場原理にさらされ、経済的格差によ

る教育的上の差別が顕在化しつつある。「教育が人格の完成及び人格の尊厳についての

意識の十分な発達を指向し並びに人権及び基本的自由の尊重を強化すべき」(国際人権

規約第13条)であり、経済的理由で教育を受ける権利を奪われることがあってはなら

ない。しかし、日本は、特に高等教育の高学費の負担によって、学ぶことを断念する若

者も増えている。これは将来の日本にとっても由々しき問題と言わざるを得ない。

 その基本的解決には、公的予算を増やして個人負担の割合を下げていくことであり、

「無償教育への漸進的導入」を日本政府に認めさせることである。そのことを強く訴え

たい。

 

参考文献

 本原稿は、田中昌人『日本の高学費をどうするか』新日本出版社を参考にした。また

、いくつかのデータは、シンポジウム「日本の高学費をどうするか」(二〇〇五年一二

月二二日開催、龍谷大学)の資料(国際人権A規約一三条の会事務局作成)から採った

。