こんな本を出して恥ずかしくないのか 「政策提言のための本」に「再チャレンジ」してみたら? 『五十嵐仁の転成仁語』(2006.7.29)

 

http://sp.mt.tama.hosei.ac.jp/users/igajin/home2.htm

 

 

7月25日(火)

こんな本を出して恥ずかしくないのか

 

「この人」の頭の中を覗いてしまったような気がしました。あまりにも思っていた通りで、誠にガッカリさせられました。

 

 「この人」というのは、次期総理候補としてほぼ「当確」となっている安倍晋三官房長官のことです。実際に覗いてみたのは、頭の中ではなく、『美しい国へ』(文春新書)という最近出された著書です。

 この本は、安倍さんという人を知るのに、大変、相応しいものだと思いました。「やっぱりこんな人だったのか」と、改めて失望させられること、請け合いです。

 どういうつもりで、この本を出したのかは分かりません。こんな本を出すことで、安倍さんの評判が高まるとでも思ったのでしょうか。

 

 安倍さんがダントツで支持を伸ばし、自民党総裁選挙への関心が急激に低下しています。慌てた片山参院幹事長などは、「安倍さんの独走のままの消化試合は、自民党のためによくない。今後の自民党の活力のためにも志がある人は出て、堂々と政策論争をしてもらいたい」と言っています。

 このような声が出ることを予想してか、安倍さんは新著を出しました。先日、フランスのAFP通信社から取材を受け、「まあ、選挙で言えばマニフェストのようなものでしょう」と答えました。総裁選に向けて政見を明らかにし政策を提言するというのは悪いことではない、とも……。

 そう答えた手前、早速、本書を手にとってパラパラとめくり、「おわりに」という部分を読んでガックリ来ました。そこには、「本書は、いわゆる政策提言のための本ではない」と書いてあったからです。

 

 この本は、「わたしが十代、二十代の頃、どんなことを考えていたか、私の生まれたこの国に対してどんな感情を抱いていたか、そしていま、政治家としてどう行動すべきなのか、を正直につづったもの」なのだそうです。そんな本を、どうして総裁選の前に出したのでしょうか。なぜ、堂々と、「政策提言のための本」だと書かなかったのでしょうか。

 そう言えない訳があるからです。この本は、自らの生い立ちや体験、自分の関心のあること、知っていることで成り立っており、「政策提言」のようなものは、ほとんど出てこないからです。

 すでにここに、安倍さんという人の限界が示されています。総裁選に向けて何か自分を売り出すような本を出したい。だけど、まともに「政策提言」をするような政見はない。さし当たり書けることを掻き集めて、本にして出してしまおう、ということだったのではないでしょうか。

 

 本書を一読してすぐに気がつくのは、経済について何も書かれていないということです。財政や金融問題も出てきません。

 安倍さんという人は経済のことは何も分からないのだな、ということがよく分かります。このことは、目次からも明瞭です。

 「わたしの原点」「自立する国家」「ナショナリズムとはなにか」「日米同盟の構図」「日本とアジアそして中国」というのが、第1章から第5章までの構成です。以下、「少子国家の未来」「教育の再生」というのが、第6章と第7章です。

 

 この構成からも明白なように、本書の半分以上は、安全保障、外交、歴史認識、憲法などの問題で占められています。第6章は「少子国家の未来」という表題ですが、中身の大半は年金の問題です。

 途中で、「メッセージ性の高い少子化対策を打ち出さなければならない」とか、「効果のある経済的な支援を検討していかなければならない」(172〜173頁)などの言葉も出てきますが、具体的な内容は皆無です。何も思いつかなかった、ということでしょう。

 そもそも、この「少子国家の未来」という章の最初の書き出しが、「2004年(平成16年)の国会は、『年金国会』と呼ばれた」となっています。以下、30頁ほど年金問題についての叙述が続き、その後に出てくるのが介護問題です。「少子国家の未来」においては、年金と介護が重要だと言いたかったのでしょうか。

 

 このように、本書の構成と内容は、極めて独特です。それは、安倍さんの「考えていた」こと、「抱いて」きた「感情」、「政治家としてどう行動すべきなのか」という問いへの回答が独特であるということを物語っています。

 このように偏った関心と知識しか持っていないのが、安倍さんという人なのです。そのことを、本書は誰にでも分かるように明らかにしてしまいました。

 こんな本を出して、恥ずかしくないのでしょうか。これが総理候補としての「マニフェスト」だとしたら、哀しくなるほどに貧弱だと言わなければなりません。

 

 以上は、『美しい国へ』を読んだ総括的な感想です。個別の問題についても、引き続き取り上げることにします。

 

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7月28日(金)

「政策提言のための本」に「再チャレンジ」してみたら?

 

全国行脚を始めたのだそうです。次期総理の座ををほぼ手中にした安倍官房長官のことです。

 

 安倍さんは、岩手県を皮切りに、自民党総裁戦に向けた全国遊説をスタートさせました。今日も、「再チャレンジ支援推進議員連盟」によって地方議員と交流する「東京タウンミーティング」が開かれ、安倍さんも出席しています。

 できるだけ注目されず、盛り上がらないままに総裁選が終わることを願っている私としては、勝敗が決まっている「できレース」に一喜一憂することはないだろうと思います。しかし、それでも次の日本のトップリーダーを選ぶ選挙です。

 政策を明らかにし、政権構想が理解されるようにするべきでしょう。その意味では、政策を訴える全国行脚の開始は、悪いことではありません。

 

 この遊説で、安倍さんは自ら提唱する「再チャレンジ(挑戦)」支援政策をアピールする「再チャレンジふれあいトーク」をスタートさせると言います。

 はて、「再チャレンジ」? そう言えば、『美しい国へ』(文春文庫)のなかでも、何か書いてあったなー、と思って本を開きました。

 でも、なかなか出てきません。やっと見つけたのは、本文の最後から2頁目の「再チャレンジの可能な社会へ」というところです。

 

 驚きましたね、これは。いくら「政策提言のための本ではない」といっても、これはあまりにもひどい。

 総裁戦に向けた全国遊説でアピールしようという「再チャレンジ」支援政策が、総裁選目当てに書かれた本の一番最後に出てくるなんて……。

 しかも、「『再チャレンジ可能な社会』には、人生の各段階で多様な選択肢が用意されていなければならない。再チャレンジを可能にする柔軟で多様な社会の仕組みを構築する必要がある」と書かれているだけで、そのためにどうするのか、が全く触れられていません。

 

 それも当然でしょう。何しろ、このテーマが登場するのは、この本の一番最後の部分なのですから……。

 これからの安倍政治の柱になる政策であるなら、どうして「再チャレンジ可能な社会」という章を立てなかったのでしょうか。何故、この問題から書き始めなかったのでしょうか。

 どうして、第7章「教育の再生」の最後に、ちょこっと触れるような低い位置づけにしたのでしょうか。せっかくの目玉政策なのに……。

 

 私は最初に、「こんな本を出して恥ずかしくないのか」と書きましたが、この「恥ずかしい」点の一つがここにあります。中心となる政策を真正面から訴えることができず、その具体的な中身も詳しく書くことができないということが、この本によってはっきりしてしまっているからです。

 恐らく誰かに、「安倍さん、総裁戦に向けて本でも出したらどうですか」と、誘われたのでしょう。それで気楽に引き受けて書き飛ばしたために、このような本ができあがってしまったにちがいありません。

 日ごろ考えていることを「正直につづった」ものだから、日ごろ余り考えていないことは書けなかったということではないでしょうか。この本を読めば、安倍さんの頭の中は拉致問題やナショナリズムの問題で一杯になっていて、経済政策や「再チャレンジ政策」などは入り込む余地がないということがよく分かります。

 

 安倍さんにおける「再チャレンジ政策」の位置は、全部で228頁もある『美しい国へ』という本の最後の2頁弱を占める程度のものにすぎません。何のために、このような本を出したのか、どうしても不思議になります。

 自民党総裁戦に向けてアピールするというのなら、きちんとした「政策提言」の書を出すべきではないでしょうか。安倍さんには、このような著書の執筆に、是非、「再チャレンジ」していただきたいものです。