8・15に思う 日々通信 いまを生きる 第219号(2006.8.15)

 

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>>日々通信 いまを生きる 第219号 2006年8月15日<<
         伊豆利彦 http://homepage2.nifty.com/tizu/

        8・15に思う

        今年もまた8月15日が来た。
        イスラエルがレバノンにはげしい砲爆撃を加え、地上軍も侵入して、廃
        墟と化した都市の様子、家を焼かれ、家族を殺された市民の姿が伝えら
        れる。医薬品もなく、負傷者が治療も受けずに死んでいく。

        8月6日の広島、9日の長崎の悲惨な映像が、3月10日の東京大空襲以来繰
        り返された都市爆撃の記憶と重なり合い、いま、戦禍に苦しむイラクや
        レバノンの映像と重なり合って、戦争とは何かをさらに新しく訴える。

        総理大臣の靖国参拝の是非がいまもまだ繰り返されている。
        戦争の犠牲になった死者を悼んでなぜ悪いと小泉首相はいい、中国や韓
        国からかれこれ言われる筋合いはないという言葉が、戦争とは何かを知
        らぬ若い世代の共感を呼んでいるようだ。

        私たちは、戦争の時代を目隠しされて生きてきた。戦争の時代を生きて、
        戦争とは何かをほとんど知らなかった。いまの若者も、戦争とは何かを、
        もちろん知らずに生きて、それを知ろうとする意欲にさえ欠けているよ
        うだ。そこにあるのは現状を肯定し、いまの日本ほどいい国はないとい
        う自己満足であるらしい。戦争など遠い昔の話だ。老人だけが古い記憶
        にたたられて、戦争の話をしたがるのだと思っているようだ。

        しかし、いま、私たちは戦争の時代を生きているのではないだろうか。
        イラクやレバノンは遠い世界の出来事だというのだろうか。つい先程ま
        で、日本はイラクに陸自の部隊を派遣していた。陸自は撤退したが、輸
        送業務に携わる空自は増強されて、イラク戦争に参加している。戦争に
        参加しながら自覚せず、自分たちがいまどこにいて、どこに行こうとし
        ているかに無自覚なのが、いまの若者の多数なのではないだろうか。私
        はそれを非難するつもりはない。かつての日本の若者の多数が目隠しさ
        れて、そのように生きたのだった。いまと昔はちがう。いまの自分たち
        は、かつての若者のようにだまされはしないと考えていることの虚妄を
        いいたいだけだ。

        かつて、日本の若者は、昔の日本人が戦争に参加し、戦争を防ぎ止めな
        かったことを非難した。しかし、いまの若者は戦争を防ぎとめるどころ
        か、戦争体制を着々と作りあげている勢力を支持し、戦争に反対するも
        のを「自虐」だの「反日」だのと罵倒するものたちさえあらわれている。
        この数年の変化のはげしさは驚くばかりである。いま日本はどこにいて、
        どこに行こうとしているのか。

        朝鮮(北)を制裁せよという声が高まっている。軍事力に訴えてでも金
        正日体制を崩壊させよという声さえ聞える。しかし、朝鮮(北)を崩壊
        させることがどんな結果を招くのかということに対する顧慮はほとんど
        ないのだ。韓国が対北包容政策をとっているのはなぜか。米軍からの自
        立をはかり、やがて米軍が撤退することになるかもしれないということ
        の意味をどう考えるのか。

        朝鮮(北)のミサイルが日本に照準を合わせているという情報にいきり
        立つばかりで、なぜ、朝鮮のミサイルが日本に向けられているのかを考
        えようともせず、ひたすら米軍の庇護をたのみ、軍事力の強化をめざす
        ばかりである。朝鮮(北)には日本を侵略する理由もなければ、能力も
        ない。ミサイルの強化も核開発も、日米の軍事力の脅威に対する抑止力
        としての意味しかない。なにしろ、ブッシュ政権は朝鮮を「悪の枢軸」
        と呼び、金正日体制の転覆を求めて、先制攻撃も辞せずと言明している
        のだ。いまは中東の戦況が悪化してそれどころではないが、日本はその
        尻馬に乗って、「敵基地攻撃」論などということが重要閣僚から発言さ
        れる状態だ。

        いつ日本にミサイルを撃ちこむかもわからない邪悪な独裁国家朝鮮
        (北)というイメージが国民のあいだに浸透させられている。いまはそ
        のような想像は現実的ではないが、事情が一変してそのような事態が起
        これば、日本国民は、朝鮮(北)撃つべしの声にわきたつのではないだ
        ろうか。そして、これに反対するものは反日のレッテルを貼られて排撃
        され、反対行動をすれば共謀罪に問われ、反戦の言論は弾圧されること
        になるだろう。そのとき、韓国や中国はどう動くか。明治以来、日本は
        朝鮮を通路として中国を侵略してきた。これはいまは現実にはあり得な
        い悪夢だが、しかし、その方向をめざす勢力はあり、日本の若者が無自
        覚でありつづけるなら、かつてと同じその道を辿ることがないとは言い
        切れないのだ。

        8・15を迎え、私たちの青春、日本国民の運命を支配したあの戦争の
        ことを考えていると、泥沼に落ち込んだアメリカのことが思われ、日本
        の危険な未来のことが思われてならない。はたして、これは老いの繰り
        言だろうか。

        「平和新聞」に「雲の墓標」について短い紹介文を書き、読者欄に共感
        の投書が掲載された。編集部には多くのはがきが寄せられているという。
        ホームページにuploadしておいたので、興味のある方はご一読ねがいた
        い。

        文学にみる戦争と平和 第64回 阿川弘之「雲の墓標」(その1)
        http://homepage2.nifty.com/tizu/sensoutoheiwa/hs@64.htm

        なお、8・15に関する過去の記事は次の通りである。
        第162号 2005年8月22日 私の1945年8月15日
        http://tizu.cocolog-nifty.com/heiwa/2005/08/1622005822__194_1673.
        html
        第161号 2005年8月15日 死んだ人々はどこへ死んでいったのだ
        http://tizu.cocolog-nifty.com/heiwa/2005/08/1612005815__7005.htm
        l
        第38号 2002年8月25日 私の兵営生活
        http://homepage2.nifty.com/tizu/tusin/tu@38.htm

        第37号 2002年8月17日 その日私は甲府の連隊にいた
        http://homepage2.nifty.com/tizu/tusin/tu@37.htm

        あっと言う間に立秋を迎え、夏も盛りを過ぎて行こうとしている。
        皆さんはこの夏をどうお過ごしですか。
        まだまだ暑い日がつづきます。
        体に気をつけて、過ぎていく夏を元気にお過ごしください。