【抜粋】 「岸信介のDNAを継ぐ男」と「南原繁の思想を受け継ぐ者」の本格対決が始まる――憂国の緊急寄稿 立花隆 安倍晋三改憲政権への宣戦布告 月刊「現代」2006年10月号より(2006.9.10)

 

森田実の言わねばならぬ[316] 立花隆の『月刊現代』論文〈安倍晋三に告ぐ「改憲政権」への宣戦布告〉へのコメントを求められて(2006.9.3) 参照

 

 

【抜粋の抜粋】

アカデミック・フリーダム(学問の自由)

・・・南原は日本にあの戦争の時代をもたらした主要な要因の一つが、昭和初期の時代、アカデミック・フリーダムに対する攻撃が集中的に起きたとき、大学の側がその攻撃に抗することができなかったことにあると思っていた。その結果、ズルズルと言論の自由が社会から失われていった。結局、軍部とそれにつらなる連中が国政をほしいままにする体制を作ってしまった背景には、アカデミック・フリーダムの喪失と言論の自由の喪失があったことを、南原は痛恨の思いをこめて噛みしめていたのだった。・・・

 

教育基本法

・・・だが、最近の両法(注:教育基本法と憲法)改正に関する議論を聞いていると、あまりにも安易かつ薄っぺらな議論がまかり通っているような気がしてならない。たとえば、教育基本法の改正を叫ぶ人がすぐ主張するのは、愛国心を教えないのはけしからんとか、親子の情をもっと強調すべきである、子供に公徳心をもっと教え込むべしといったことだが、なにか、教育基本法について考えるべきことがそもそもズレているような気がしてならない。教育基本法とは何かというと、敗戦によって教育勅語がなくなってしまうことを心配した人々が、何かそれに代わるものをと考えた結果生まれたものである。・・・親に対する孝行の心と、天皇に対する忠義の心は同一であるとする「忠孝一如」の世界が教育勅語の世界だった。・・・教育基本法はあくまで「個を尊(たっと)ぶ」ことを教育の基本に置いている。それは、先の南原の言にあったように、「自由な精神的独立人」をできるだけ沢山作り、その結合体として日本を作っていくことを構想していたからだが、多分、復古主義者たちはそこのところも気にくわないのだろう。もっと権威というか政府に従順な人々が社会に満ちあふれることを望んでいるのだろう。だが、歴史が教えるところは、そのような権威に従順な(教育勅語に忠実な)人々が作った社会は、結局のところ、弱い社会にしかならず、個の価値がより尊ばれている社会と戦争をしたらあっさり負けてしまったということである。・・・

 

「岸のDNA」VS.「南原のDNA」

・・・その面妖なパーソナリティと謎に包まれた部分があまりに多い政治的生涯から、あの「昭和の妖怪」と呼ばれた岸信介こそ安倍(晋三)が尊敬してやまない政治家なのである。・・・安倍の政治的見解は、ほとんど戦後民主主義社会の根幹をなす枠組みを全否定しようというもので、いわば南原繁が作ったものをすべてぶちこわしたがっている人といってよい。・・・そして、時代は間もなく岸信介のDNAを受け継ぐ者と南原繁のDNAを受け継ぐ者とが本格的に対決しなければならない時代を迎えつつあるような気がする。南原のDNAを受け継ぐ者とは、一言でいえば、戦後日本国の基本的あり方に高い価値を認める者である。教育基本法前文にある、「個人の尊厳を重んじ」、「真理と平和を希求する」、「個性ゆたかな文化の創造をめざす」ことが大切だと思う者である。そして、岸信介が歴史的に体現してきたような日本、すなわち満州国家や東条内閣、戦後の金権腐敗政治、対米追随路線、そして安保国会における民主主義の基本ルール踏みにじりの数々、警官隊を国会に導入してまで自分の意志を押し通そうとした独裁者的政治スタイルなどなど、政治家岸のあり方のすべてにノーの心情を持つ者である。そのような人々は、岸信介のDNAを受け継ぎ、岸信介をあがめたてまつり、南原の作った戦後日本をすべてぶちこわそうとする政治家に対してもノーをいうべきである。

 

 

【抜粋】「岸信介のDNAを継ぐ男」と「南原繁の思想を受け継ぐ者」の本格対決が始まる――憂国の緊急寄稿 立花隆 安倍晋三改憲政権への宣戦布告 月刊「現代」2006年10月号より(2006.9.10)

 

 

安倍が書いた本、安倍シンパが書いた安倍本を読みあさった。安倍の政治的見解は、戦後民主主義社会の根幹をなす枠組みを全否定しようというものだ・・・

 

「希望を持て。理想を見失うな」

 

 ・・・敗戦ショックでほとんど虚脱状態になり、何をどうしたらいいのかわからず、ただ右往左往している人々に、いま何をなすべきか、明快な指針を示したのが南原だった。・・・これまでの日本はあまりに「日本的なるもの」や「日本精神」を強調しすぎる日本精神主義におちいっていた。そして、「民族宗教的神聖さの世界」(天皇中心主義)から全体主義に入っていった。ここに、あの戦争の真の原因が求められる。・・・あのような外国人には理解できない偏狭な日本精神の世界を脱して、これからの日本人は、「世界精神」的理性の世界、世界的普遍文化の世界に入っていく必要があるとした。そうすれば日本人が作り出す文化的産物もあまねく世界中で理解されるようになるだろうと予言した。・・・「私はあえて言う――日本をして真に復興せしめるには、人間性理想を国民の胸奥に徹底せしめるにしくはないと」

 そのような人間性理想を胸の奥に抱いた人間とはいかなる人物かといえば、「自由な精神的独立人」というにつきる。戦前の日本では、国民の一人一人がそのような精神的独立人でなかったが故に、日本の政治は「独裁制と少数の指導者政治」になってしまった。

 これからの日本は、精神的独立人が民主的に結合した国家でなければならない。そのような結合にもとづく国家は、内面的にきわめて強固になり、真に強大な国家となることができる。日本がそのような国家に生まれ変わることができるなら、敗戦の結果、領土は狭小で、人口ばかり過密な国になってしまったが、そんなことは心配するに及ばない。・・・

 戦いに敗れ、精神的にドン底状態に落ちこんでいた国民に対して、精神の持ち方さえ変えるなら、日本はかつてなく素晴らしい国に生まれ変わることができると南原は力説したのである。領土も国富も失い、もはや弱小国家として生きるしか道がないと多くの人が思っていたのに、逆に新生日本こそ真に強大な国になることができると呼びかけたのである。

 

天皇信仰から普遍的合哩性信仰へ

 

・・・あの時代の日本がどんどん狂っていった背景には、このように天皇を神格化してしまう信仰があった。それは同時に天皇が統治する日本を「神の国」として特別視する信仰(「神国日本は不敗」など)でもあった。

 このような天皇の神聖性を利用することで、統帥権によって天皇に直結していた軍部もまた自己を神聖化することに成功した。軍部はそれによって一切の批判を許さないアンタッチャブルな存在になることができた。これが、あの時代、軍部に独裁といっていいほどの専断専横を許してしまった最大の背景である。

 天皇の「人間宣言」によって、そのような軍部独裁を許した、天皇中心主義のイデオロギー装置(日本神学)は一挙に崩壊した。南原はこれこそ日本の宗教改革なのだとした――つまり、天皇の人間宣言によって、日本神学がもたらした「神聖天皇」信仰プラス「神の国」信仰が根拠を失い、人々は天皇信仰を捨てて世界人類が共有する普遍的合理性信仰に移らざるを得なくなったということである。

 このように、新しいものの見方を次々に提示することで、南原は敗戦で混乱した人々の頭を切り換え、新しい時代にふさわしい考え方ができるようにしていった。・・・

  あの時代、現実政治の上で、戦後日本を再生させるために大きな働きをした政治家として吉田茂の名前があげられるかもしれない。しかし、生きるべき方向を見失っていた国民に、進むべき方向を指示し、失っていた気力をふるいたたせつづけた南原は、ある意味で吉田以上の働きをし、吉田以上の尊敬をかちえていたといってよい。

 このような意味において、南原繁こそ、戦後日本という新国家の礎石を置いた人ということができる。

 その南原と吉田が、後に、講和条約をめぐる議論が激しくなる中で、全面講和か、単独講和かをめぐって、正面衝突することになった。

 かつて一枚岩だった連合国が、東西両陣営に分かれて激しく対立しあう、冷戦という新しい状況が生まれていた。現実政治の立場から、その中で日本が生き抜いていく道は、アメリカ側に身を寄せるしかないとした吉田に対して、南原は、このような冷戦状態の中で一方の側に身を寄せることは、そのこと自体が、第三次世界大戦の引き金を引くことになりかねないとして、断固反対した。

 そして、戦争を放棄する憲法を持つ世界唯一の国家である日本に課せられた世界史的使命は、世界全体に戦争を放棄させるような国際新秩序を建設することにあるとした。全面講和はそのような国際新秩序作りにつながるのだから、あくまでそちらをめざすべきであって、単独講和はそれに逆行して、冷戦体制の固定化をもたらすから絶対に避けるべきだとした。

 このように理詰めに舌鋒するどく政府を批判しつづける南原の議論を、野党が政府攻撃に利用するようになった。それに業を煮やした吉田は、ついに国会の壇上から、南原のことを「曲学阿世」(学問の道を曲げて世におもねる学者)呼ばわりして攻撃するということまでした。

 それに対して南原は、学問的立場から政治を研究している者にとって何より大切なのは、学問の自由(アカデミック・フリーダム)を守ることであって、それにはあくまで自分が正しいと信じるところを主張しつづけることが必要だとして、その主張を曲げることをしなかった。

 それというのも、南原は日本にあの戦争の時代をもたらした主要な要因の一つが、昭和初期の時代、アカデミック・フリーダムに対する攻撃が集中的に起きたとき、大学の側がその攻撃に抗することができなかったことにあると思っていた。その結果、ズルズルと言論の自由が社会から失われていった。結局、軍部とそれにつらなる連中が国政をほしいままにする体制を作ってしまった背景には、アカデミック・フリーダムの喪失と言論の自由の喪失があったことを、南原は痛恨の思いをこめて噛みしめていたのだった。・・・

 

自らの『憲法改正』発言に縛られる安倍

 

 しかし、近年の日本に次々に起きていることは、そのようにして南原らが苦心惨憺して作った戦後民主主義国家の基本的枠組みを片端から掘り崩してしまおうとする動きである。

 憲法や教育基本法のような、戦後日本の最も基本的枠組みをなす法律ですら、いまや、変えるべしとする側の勢力が多数を占めつつある。・・・

 その結果どういうことになるかというと、そう遠くない時期に、教育基本法も、憲法も、まちがいなく改正が具体的な政治プログラムの上にのってくるだろう。そうすると、〇五年総選挙で自民党が獲得した圧倒的な議席数を背景に、意外に簡単に改正案が通ってしまう可能性がある。

 だが、最近の両法改正に関する議論を聞いていると、あまりにも安易かつ薄っぺらな議論がまかり通っているような気がしてならない。

 たとえば、教育基本法の改正を叫ぶ人がすぐ主張するのは、愛国心を教えないのはけしからんとか、親子の情をもっと強調すべきである、子供に公徳心をもっと教え込むべしといったことだが、なにか、教育基本法について考えるべきことがそもそもズレているような気がしてならない。

 教育基本法とは何かというと、敗戦によって教育勅語がなくなってしまうことを心配した人々が、何かそれに代わるものをと考えた結果生まれたものである。教育勅語というのは、教育の目的が何なのかを明示した天皇のお言葉である。それができた当時は、日本はただただ天皇お一人が国家の中心にいる上御一人(かみごいちにん)の国家だったから、結局のところ、教育の目的も、すべての国民を天皇に忠実な臣民として育てるということにつきた。教育勅語が親孝行を強調したのも、日本の国を天皇を親(家長)とする家族国家ととらえるところからきていた(国民はすべて天皇の赤子(せきし)とされた)。親に対する孝行の心と、天皇に対する忠義の心は同一であるとする「忠孝一如」の世界が教育勅語の世界だった。

 

基教育本法に文句をつけたがる人々

 

 しかし、主権在天皇の天皇制国家が主権在民の民主主義国家に生まれ変わったら、当然教育の目的もそれに従って変わらなければならない。では、戦後新国家において何を教育の目的に置くべきかといったら、南原が終戦直後の一連の論文に書いたように、ルネサンス、宗教改革などを通じて、人類社会で普遍的に認められるようになった、一連の人間存在に中心を置いた人類共通の価値体系というしかないだろう。

 これは西欧のみならず、世界全体の近代社会において当たり前に認められている考え方である。日本の教育基本法にもその当たり前のことが記されているだけで、私はこれに文句をつけることに熱中する一部の人々の考え方がまるでわからない。「個人の尊厳を重んじ」「真理と平和を希求する」「普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす」(以上いずれも前文)などなど、どれもこれも結構なこととしかいいようがない。要するに文句をつけたがる人々の内心にあるものは、多分「昔の教育勅語のほうがよかった」という復古主義的感慨の一語につきるのだろう。

 教育基本法批判の先頭に立ってきた文教族のドン、森喜朗前首相のごとく、日本をまた「天皇中心の神の国」に戻したいという人ならともかく、そうでなければ、日本の教育基本法はグローバル・スタンダードからいって標準的な内容のものである。

 教育基本法はあくまで「個を尊(たっと)ぶ」ことを教育の基本に置いている。それは、先の南原の言にあったように、「自由な精神的独立人」をできるだけ沢山作り、その結合体として日本を作っていくことを構想していたからだが、多分、復古主義者たちはそこのところも気にくわないのだろう。もっと権威というか政府に従順な人々が社会に満ちあふれることを望んでいるのだろう。

 だが、歴史が教えるところは、そのような権威に従順な(教育勅語に忠実な)人々が作った社会は、結局のところ、弱い社会にしかならず、個の価値がより尊ばれている社会と戦争をしたらあっさり負けてしまったということである。

 真に強大な国家を作ろうと思ったら、やはり南原がいったように、「自由な精神的独立人」の結合体がよいのである。為政者からいったら、それは不従順で、政府のいうことをさっぱりきいてくれない、いつも文句タラタラで、うるさいことばかりいっている連中が多い社会(アメリカは歴史的にいつもそうだった)になってしまうかもしれないが、結局はそのほうが、いざとなると強いのである。

 安倍が次の総理の座に座ることが確実になってきたので、このところ、安倍が書いた本、あるいは安倍シンパの筆者が書いた安倍本を読みあさってみたが、そこで見えてきた安倍像というか、安倍がめざしている国家像は、そのような南原がめざした国家像とは対極にあるものである。

 安倍が自分でいっていることだが、安倍が最も尊敬する、あるいは自分がモデルにしている政治家像がどんなイメージかといえば、自分の祖父である岸信介のイメージなのである。

統制官僚の雄として満州国経営に力をつくし、日本に戻ってからは、東条英機内閣の商工大臣になり、開戦詔勅にサインした岸信介。その後は軍需省次官(兼国務相)となって、戦争体制の中心にいた岸信介。またそうであるが故に、戦後A級戦犯容疑者(不起訴)とされた岸信介である。

 岸は戦後長らく追放されていたが、講和条約締結後、政界に復帰した。自由党、民主党を経て、自民党に入り、たちまちリーダーとして頭角をあらわした。そして最初の自民党総裁選に出馬して大々的な金権選挙を展開したが、石橋湛山に敗北した。石橋が総理就任後間もなく病に倒れるとそのあとを継いで、第五十六代内閣総理大臣になった。

 岸は総理大臣にたるやアメリカのイコールパートナーになることをめざして、安保条約の改定をもくろんだ。しかし、強引きわまりない政治運営によって、ついにあの安保騒動を引き起こし、総理辞任のやむなきにいたった。岸はグラマン疑惑、インドネシア賠償問題、日商岩井疑惑などなど、生涯、黒い金とのつながりをウワサされつづけ、国会での疑惑追及も何度も受けたことがある。

その面妖なパーソナリティと謎に包まれた部分があまりに多い政治的生涯から、あの「昭和の妖怪」と呼ばれた岸信介こそ安倍が尊敬してやまない政治家なのである。

 

「岸のDNA」VS.「南原のDNA」

 

・・・安倍は血脈において岸信介と安倍晋太郎のDXAを受け継ぐ者だが、血脈としてのDNA以上に、政治的DNAも受け継いでいるといってよい。

 安倍の政治的見解は、ほとんど戦後民主主義社会の根幹をなす枠組みを全否定しようというもので、いわば南原繁が作ったものをすべてぶちこわしたがっている人といってよい。・・・

 そして、時代は間もなく岸信介のDNAを受け継ぐ者と南原繁のDNAを受け継ぐ者とが本格的に対決しなければならない時代を迎えつつあるような気がする。

 南原のDNAを受け継ぐ者とは、一言でいえば、戦後日本国の基本的あり方に高い価値を認める者である。教育基本法前文にある、「個人の尊厳を重んじ」、「真理と平和を希求する」、「個性ゆたかな文化の創造をめざす」ことが大切だと思う者である。

そして、岸信介が歴史的に体現してきたような日本、すなわち満州国家や東条内閣、戦後の金権腐敗政治、対米追随路線、そして安保国会における民主主義の基本ルール踏みにじりの数々、警官隊を国会に導入してまで自分の意志を押し通そうとした独裁者的政治スタイルなどなど、政治家岸のあり方のすべてにノーの心情を持つ者である。

 そのような人々は、岸信介のDNAを受け継ぎ、岸信介をあがめたてまつり、南原の作った戦後日本をすべてぶちこわそうとする政治家に対してもノーをいうべきである。