国旗国歌判決:新聞社説の一覧(2006.9.24)

 

 

去る9月21日に、「国旗・国歌訴訟」違憲判決が東京地裁で言い渡された。東京都教育委員会による執拗きわまりない国旗・国歌の強制が、憲法19条(思想・良心の自由)および教育基本法10条(行政の不当支配の排除)に照らして違法であると断じたまさに歴史的・画期的判決である。司法の良識を遺憾なく示した難波孝一裁判長に敬意を表するとともに、困難な訴訟を闘ってきた原告団の方々に心からのエールを送りたい。都教委および石原慎太郎知事は判決の意味するところを真摯に受けとめるべきであろう。

この判決に関して、全国の各紙がどのような姿勢で報じたのか、22日および23日の社説を調べてみた。社説を読むことのできた全部で40紙のうち24紙がこの判決について論じており、この判決が全国に強い反響を与えたことがわかる(下記参照)。しかも、このうちの21紙が判決を全面的に支持し、不支持はわずかに3紙(読売・産経・北國)であった。注目すべきことに不支持は、地方紙では20紙のうちのわずかに1紙(北國)のみだったのに対し、全国紙では4紙(朝日・毎日・読売・産経)のうちの半数(読売・産経)を占めていた。権力に対する批判精神・反骨精神が、中央よりもむしろ地方に深く根づいていることを示す証拠だろう。同時に、系列の日本テレビおよびフジテレビが教員に対するバッシングとともに判決を否定的に報じたのを見るにつけ、これら中央のマスメディアはもはや批判精神のかけらも持ちあわせていないのではと思わざるをえない。

近く発足する安倍政権では手始めとして、教育基本法の全面改訂(全面改悪)を第一の目標にするという。今回、「国旗・国歌訴訟」違憲判決を強く支持した全国の各紙が、ふたたび、教育基本法改訂(改悪)に際してもどうように批判の論陣を張ってくれることを大いに期待したい。

(ホームページ管理人 2006.9.24;その後、数日ぶりに「全国国公私立大学の事件情報」を見たところ殆んどどうようの主旨の記事「日の丸・君が代強制反対予防訴訟」東京地裁判決、各新聞社社説の取り上げ方(2006.9.24)が掲載されていることを知った。おそらく、同一のデータベースを用いて調査したものと思われる。)

 

一覧表

2006.9.22〜9.23の社説の内容(○:判決を支持、●:判決を不支持、なし:判決に関する論述なし)

 

朝日(○)毎日(○)読売(●)日本経済(なし)産経(●)東京(○)北海道(○)東奥日報(なし)秋田魁新報(なし)岩手日報(なし)河北新報(○)福島民報(なし)神奈川(○)新潟日報(○)北日本(なし)北國(●)信濃毎日(○)岐阜(○)中日(○)伊勢(なし)紀伊民報(なし)京都(なし)滋賀報知(なし)神戸(○)中国(○)福井(なし)日本海(なし)山陰中央新報(○)山陽(なし)徳島(○)四国(なし)愛媛(○)高知(○)西日本(○)佐賀(なし)熊本日日(○)宮崎日日(○)南日本(なし)沖縄タイムス(○)琉球新報(○)

 

 

タイトル

国旗・国歌 「強制は違憲」の重み  「朝日新聞」(2006.9.22)

国旗・国歌 「心の自由」を侵害するな 「毎日新聞」(2006.9.22)

[国旗・国歌訴訟]「認識も論理もおかしな地裁判決」 「読売新聞」(2006.9.22)

君が代訴訟 公教育が成り立たぬ判決 「産経新聞」(2006.9.22)

国旗国歌判決 「押しつけ」への戒めだ 「東京新聞」(2006.9.22)

国旗国歌*違憲判決が鳴らす警鐘 「北海道新聞」(2006.9.23)

国旗国歌訴訟判決/「強制」はやはり行き過ぎだ 「河北新報」(2006.9.23)

国旗国歌判決 やはり「強制」はいけない 「神奈川新聞」(2006.9.23)

国旗国歌判決 「強制なし」が大原則だ 「新潟日報」(2006.9.23)

国旗国歌訴訟判決 首をかしげざるを得ない 「北國新聞」(2006.9.23)

国旗掲揚・国歌斉唱 処分や強制は行き過ぎ 「岐阜新聞」(2006.9.22)

「押しつけ」への戒めだ 国旗国歌判決 「中日新聞」(2006.9.22)

国旗・国歌 「強要しない」原点踏まえ 「信濃毎日新聞」(2006.9.23)

国旗国歌訴訟/「行き過ぎ」が指弾された 「神戸新聞」(2006.9.23)

国旗国歌判決 「強制は違憲」明確に断 「中国新聞」(2006.9.22)

国旗掲揚・国歌斉唱/自然体で定着させよう  「山陰中央新報」(2006.9.23)

国旗国歌判決 強制に「待った」掛けた 「徳島新聞」(2006.9.23)

国旗国歌の強制 違憲判決の重みをかみしめよ 「愛媛新聞」(2006.9.23)

【国旗国歌判決】教育に強制は要らない 「高知新聞」(2006.9.23)

やはり強制は行き過ぎだ 国旗国歌判決 『西日本新聞』(2006.9.23)

射程  「教育再生論」にも影響する判決 「熊本日日新聞」(2006.9.23)

国旗掲揚・国歌斉唱 権力による強制は行き過ぎだ 「宮崎日日新聞」(2006.9.23)

[日の丸・君が代]思想良心の自由は侵せぬ 「沖縄タイムス」(2006.9.23)

国旗国歌判決・異なる意見も認めるべき 「琉球新報」(2006.9.23)

 

 

比較のために、朝日新聞および読売新聞の社説を下記に引用しておく。

 

国旗・国歌 「強制は違憲」の重み  「朝日新聞」(2006.9.22)

http://www.asahi.com/paper/editorial20060922.html#syasetu1 

 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである――。

 学校教育が軍国主義の支えになった戦前の反省から、戦後にできた教育基本法はこう定めている。

 この「不当な支配」に当たるとして、国旗掲揚や国歌斉唱をめぐる東京都教育委員会の通達や指導が、東京地裁で違法とされた。

 都教委は都立高校の校長らに対し、卒業式などで教職員を国旗に向かって起立させ、国歌を斉唱させよと命じた。処分を振りかざして起立させ、斉唱させるのは、思想・良心の自由を侵害して違憲であり、「不当な支配」に当たる。それが判決の論理だ。

 教育委員会の指導を「不当な支配」と指摘した判断は昨年、福岡地裁でも示された。その一方で、公務員の仕事の公共性を考慮すれば命令に従うべきだという判断も東京高裁などで出ており、裁判所の考え方は分かれている。

 私たちはこれまで社説で、「処分をしてまで国旗や国歌を強制するのは行き過ぎだ」と批判してきた。今回の判決は高く評価できるものであり、こうした司法判断の流れを支持する。

 日の丸や君が代はかつて軍国主義の精神的支柱として利用された。いまだにだれもが素直に受け入れられるものにはなっていない。教職員は式を妨害したりするのは許されないが、自らの思想や良心の自由に基づいて国旗掲揚や国歌斉唱を拒む自由を持っている。判決はこのように指摘した。

 判決は「掲揚や斉唱の方法まで細かく定めた通達や指導は、現場に裁量を許さず、強制するものだ」と批判した。そのうえで、「教職員は、違法な通達に基づく校長の命令に従う義務はなく、都教委はいかなる処分もしてはならない」とくぎを刺した。原告の精神的苦痛に対する賠償まで都に命じた。

 都教委の通達が出てから、東京の都立学校では、ぎすぎすした息苦しい卒業式が続いてきた。

 だが、都教委は強硬になるばかりだ。今春も生徒への「適正な指導」を徹底させる通達を新たに出した。生徒が起立しなければ、教師が処分されかねない。

 通達と職務命令で教師をがんじがらめにする。いわば教師を人質にして、生徒もむりやり従わせる。そんなやり方は、今回の判決で指摘されるまでもなく、学校にふさわしいものではない。

 「不当な支配」と指摘された都教委は率直に反省しなければならない。国旗や国歌に関する通達を撤回すべきだ。これまでの処分も見直す必要がある。

 卒業式などで都教委と同じような職務命令を校長に出させている教育委員会はほかにもある。

 国旗や国歌は国民に強制するのではなく、自然のうちに定着させるというのが国旗・国歌法の趣旨だ。そう指摘した今回の判決に耳を傾けてもらいたい。

 

 

[国旗・国歌訴訟]「認識も論理もおかしな地裁判決」 「読売新聞」(2006.9.22)

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20060921ig90.htm 

 日の丸・君が代を教師に義務づけた東京都教委の通達と校長の職務命令は違法――東京地裁がそんな判断を示した。

 教師には、そうした通達・命令に従う義務はない、国旗に向かって起立しなかったり、国歌を斉唱しなかったとしても、処分されるべきではない、と判決は言う。

 都立の高校・養護学校教師、元教師らが、日の丸・君が代の強制は「思想・良心の自由の侵害だ」と訴えていた。

 学習指導要領は、入学式などで「国旗を掲揚し、国歌を斉唱するよう指導するものとする」と規定している。判決は、これを教師の起立・斉唱などを義務づけたものとまでは言えない、とした。

 しかし、「指導」がなくていいのだろうか。不起立で自らの主義、主張を体現していた原告教師らは、指導と全く相反する行為をしていたと言えるだろう。

 判決は、「式典での国旗掲揚、国歌斉唱は有意義なものだ」「生徒らに国旗・国歌に対する正しい認識を持たせ、尊重する態度を育てることは重要」と言っている。だが、こうした教師たちのいる式典で、「尊重する態度」が生徒たちに育(はぐく)まれるだろうか。

 教師らの行動に対する認識も、甘すぎるのではないか。「式典の妨害行為ではないし、生徒らに国歌斉唱の拒否をあおる恐れもない。教育目標を阻害する恐れもない」と、判決は言う。

 そもそも、日の丸・君が代に対する判決の考え方にも首をかしげざるをえない。「宗教的、政治的にみて中立的価値のものとは認められない」という。

 そうだろうか。各種世論調査を見ても、すでに国民の間に定着し、大多数の支持を得ている。

 高校野球の甲子園大会でも国旗が掲げられ、国歌が斉唱される。サッカー・ワールドカップでも、日本選手が日の丸に向かい、君が代を口ずさんでいた。

 どの国の国旗・国歌であれ、セレモニーなどの場では自国、他国を問わず敬意を表するのは当然の国際的マナーだ。

 「入学式や卒業式は、生徒に厳粛で清新な気分を味わわせ、集団への所属感を深めさせる貴重な機会だ」。判決は結論部分でこう述べている。

 それにもかかわらず、こうした判決に至ったのは、「少数者の思想・良心の自由」を過大評価したせいだろう。

 逆に、都の通達や校長の職務命令の「行き過ぎ」が強調され、原告教師らの行動が生徒らに与える影響が過小に評価されている。

 今後の入学式、卒業式運営にも影響の出かねない、おかしな判決だ。