学問の自由、『憲法』(第三版) 芦部信喜(岩波書店、2002年)より抜粋(2006.11.20)

 

 中田市長および配下の横浜市官僚が強権的におしすすめた《大学“敵視”政策》により、横浜市立大学では、数学や語学などの基礎的学問が強引に廃止もしくは大幅に縮小させられた。また、教授会を実質的に消滅させて人事権を教員から剥奪したうえに、“全員任期制”を強要して教員の身分を不安定な状態に追い込んだ。このような「学問の自由と大学の自治」に対する行政権力による蹂躙が制度化・常態化した現状では、もはや、横浜市立大学を普通の“大学”と呼ぶわけにはいかないだろう。しかも、嫌気がさした教員が大量流出した結果、教育・研究環境が急速に劣化したにもかかわらず、学費を値上げしてさらなる負担を学生に強いるのだという。

以下に、『芦部憲法』から「学問の自由」についての解説箇所を抜粋し、横浜市の《大学“敵視”政策》の違法性・無法性を再確認しておく。

 

 

学問の自由、 『憲法』(第三版) 芦部信喜(岩波書店、2002年)より抜粋(2006.11.20)

 

学問の自由(第八章 精神的自由権(一)――内心の自由 三)

 

 憲法二三条は、「学問の自由は、これを保障する」と定める。学問の自由を保障する規定は、明治憲法にはなく、また、諸外国の憲法においても、学問の自由を独自の条項で保障する例は多くはない。しかし明治憲法時代に、一九三三年の滝川事件(京大の滝川幸辰教授の刑法学説があまりにも自由主義的であるという理由で休職を命じられ、それに教授団が職を辞して抗議し低抗した事件)や三五年の天皇機関説事件(第二章―2参照)などのように、学問の自由ないしは学説の内容が、直接に国家権力によって侵害された歴史を踏まえて、とくに規定されたものである。

 学問の自由の保障は、個人の人権としての学問の自由のみならず、とくに大学における学問の自由を保障することを趣旨としたものであり、それを担保するための「大学の自治」の保障をも含んでいる。

 

1 学問の自由の内容

 

 学問の自由の内容としては、学問研究の自由、研究発表の自由、教授の自由の三つのものがある。

 学問の自由の中心は、真理の発見・探究を目的とする研究の自由である。それは、内面的精神活動の自由であり、思想の自由の一部を構成する。また、研究の結果を発表することができないならば、研究自体が無意味に帰するので、学問の自由は、当然に研究発表の自由を含む。研究発表の自由は、外面的精神活動の自由である表現の自由の一部であるが、憲法二三条によっても保障されていると解すべきである。

 教授(教育)の自由については、大きな議論がある。従来の通説・判例(後掲3(二)**の東大ポポロ事件最高裁判決)は、教授の自由を、大学その他の高等学術研究教育機関における教授にのみ認め、小・中学校と高等学校の教師には認められないとしてきた。この考えは、学問の自由が、伝統的に、とくにヨーロッパ大陸諸国で大学の自由(academic freedom)を中心として発展してきたという沿革を重視したものと言える。しかし、今日においては、初等中等教育機関においても教育の自由が認められるべきであるという見解が支配的となっている。・・・

 

2 学問の自由の保障の意味

 

(1)憲法二三条は、まず第一に、国家権力が、学問研究、研究発表、学説内容などの学問的活動とその成果について、それを弾圧し、あるいは禁止することは許されないことを意味する。とくに学問研究は、ことの性質上外部からの権力・権威によって干渉されるべき問題ではなく、自由な立場での研究が要請される。時の政府の政策に適合しないからといって、戦前の天皇機関説事件の場合のように、学問研究への政府の干渉は絶対に許されてはならない。「学問研究を使命とする人や施設による研究は、真理探求のためのものであるとの推定が働く」と解すべきであろう。

 

 (2)第二に、憲法二三条は、学問の自由の実質的裏づけとして、教育機関において学問に従事する研究者に職務上の独立を認め、その身分を保障することを意味する。すなわち、教育内容のみならず、教育行政もまた政治的干渉から保護されなければならない。この意味において、教育の自主・独立について定める教育基本法(一〇条参照)はとくに重要な意味をもつ。

 

3 大学の自治

 

学問研究の自主性の要請は、とくに大学について、「大学の自治」を認めることになる。大学の自治の観念は、ヨーロッパ中世以来の伝統に由来し、大学における研究教育の自由を十分に保障するために、大学の内部行政に関しては大学の自主的な決定に任せ、大学内の問題に外部勢力が干渉することを排除しようとするものである。それは、学問の自由の保障の中に当然のコロラリーとして含まれており、いわゆる「制度的保障」の一つと言うこともできる(第五章三3参照)。

 大学の自治の内容としてとくに重要なものは、学長・教授その他の研究者の人事の自治と、施設・学生の管理の自治の二つである。ほかに、近時、予算管理の自治(財政自治権)をも自治の内容として重視する説が有力である。

 (一)人事の自治 学長・教授その他の研究者の人事は、大学の自主的判断に基づいてなされなければならない。政府ないし文部省による大学の人事への干渉は許されない。一九六二年(昭和三七年)に大きく政治問題化した大学管理制度の改革は、文部大臣による国立大学の学長の選任・監督権を強化するための法制化をはかるものであったが、確立された大学自治の慣行を否定するものとして、大学側の強い批判を受け挫折した。

(二)施設・学生の管理の自治 大学の施設および学生の管理もまた、大学の自主的判断に基づいてなされなければならない。この点に関してとくに問題となるのが、大学の自治と警察権との関係である。・・・

 最も問題となるのが、警備公安活動のために警察官が大学構内に立ち入る場合である。警備公安活動とは、「公共の安寧秩序を保持するため、犯罪の予防及び鎮圧に備えて各種の情報を収集・調査する警察活動」である。これは、将来起こるかも知れない犯罪の危険を見越して行われる警察活動であるから、治安維持の名目で自由な学問研究が阻害されるおそれはきわめて大きい。したがって、警備活動のために警察官が大学の了解なしに学内に立ち入ることは、原則として許されないと解される。この点に関して、東大ポポロ事件の最高裁判決が、警察官による大学構内の調査活動が大学の自治にとっていかに危険であるかを不問に付している点などには、批判が強い。・・・