「将棋博物館」閉鎖で木村名人の娘を怒らせた「米長会長」 『週刊新潮』2006年11月30日号(2006.11.30)

 

 

「将棋博物館」閉鎖で木村名人の娘を怒らせた「米長会長」 『週刊新潮』2006年11月30日号(2006.11.30)

 

未だに名人戦のドタバタが続く日本将棋連盟で、また新たな騒動が勃発している。10月末に閉鎖された「将棋博物館」の処置を巡って、目下、棋士たちから米長邦雄会長(63)に対する批判が沸き起こっているのだ。さらに、こんな人からも怒りの声が……。

 

 木村義雄十四世名人――。 第一期実力制名人戦に勝利して以後、無敵の"常勝将軍"として棋界の項点に君臨し続け、連盟の会長も務めた功労者である。

 「あの品々は、父が常々"将棋界の宝"と大切にしていた貴重なもの。でも、将棋ファンのためならと思って寄贈したのです。それを、私どもには何の説明もなく他所に移すなんて……」

 そう憤りを顕にするのは、86年に没したその永世名人の長女である木村朝子さん(77)だ。

 今から24年前、関西将棋会館が建設された際、4階に開設した「将棋博物館」には各方面から多くの寄贈品が寄せられた。中で最も貴重な品が、木村名人が所蔵していた逸品だった。

 「当時の連盟会長だった大山康晴名人からぜひにと頼まれ、父も"これは世に二つとない品々だし、個人で持つと金銭絡みで散逸するから"と申し、喜んで寄贈させていただいたのです」

中には、国宝級の貴重品もある。例えば、徳川宗家16代当主・家達公由来の『葵紋蒔絵入り将棋盤』と『駒箱』。さらに『伝・関白秀次愛用駒』や『伝・後水尾天皇真筆駒』などなど。

 「あの将棋盤なら1億円出しても欲しい。重要文化財に指定されてもおかしくない」(高位の古参棋士)

 が、10月31日に「将棋博物館」が閉館。お宝の大半は大阪商業大学に寄託してしまったというのである。

 

絶対に反対

 

 その経緯について、連盟常務理事の東和男七段は、「今は学芸員もいません。恥ずかしい話、きちんと管理ができていなくて。将棋盤も傷つけてしまったので、倉庫に置きっぱなしでした」と説明するが、

 「数年前にも一度、どこかに寄贈という話が出たんですが、僕を含めて理事や多数の棋士が猛反対して立ち消えになった。もちろん、今回も反対の声が多かったんですが、米長会長が中心になって、執行部で一気呵成に突っ走ってしまったんです」(元理事)

 その当時、館長だった木村名人の三男、義徳九段も、「今年はじめ、連盟の理事から"了承してくれ"と言われましたが、もちろんしてません。そもそも博物館だって、別に維持に苦しんでいたわけじゃないのだから、潰す必要なんてない」

 と言えば、先の朝子さんもこう続ける。

 「本釆なら国立博物館などの公的機関に寄贈したかったのです。父の遺志に反するようなところへいくのは納得できない。絶対に反対です。米長会長には、今からでも返していただきたいくらいです」

 当の米長会長は、「僕が主導したわけではなく、連盟できちんと決めてやったことです。木村名人の遺族が怒ってるだなんて、そんなことあり得ません」

 と言うのみ。朝日、毎日両新聞を天秤に掛けた名人戦の契約金吊り上げに、いつまでも現を抜かしている場合ではないようだ。