試される憲法 誕生60年: 国民の監視で軍事化防げ、東大大学院教授の高橋哲哉さん 『東京新聞』(2007.1.24)

 

 

試される憲法 誕生60年: 国民の監視で軍事化防げ、東大大学院教授の高橋哲哉さん 『東京新聞』(2007.1.24)

 

 憲法九条を変え、安倍政権が国全体を軍事力の行使に耐えうるものに変えようとしている今、教育基本法の改正において「愛国心」が重視されたのは必然です。

 朝鮮戦争後の日本の再武装について日米が話し合った一九五三年の池田勇人(自由党政務調査会長)・ロバートソン(米国務次官補)会談では既に、「防衛のための自主的精神」を育てるには教育によって「愛国心」を養う必要があると強調されている。

 今まさに同じ。米国の戦略に同盟国の日本が従うには、「お国のために働く子」が必要なのです。教育の主体が再び国家へと引き戻され、教育が国家戦略と結合する。その時、主権者である国民による子どものための教育は、国家による国家のための教育へと変えねばならない、というわけです。防衛庁も「省」に格上げされ、名実共に軍事国へと突き進む。

 この逆戻りをどう食い止めたらいいのか。庶民の生活感覚に訴える言葉として「戦死」が思い浮かびます。

 日本は戦後六十年間余、とにかく戦闘による死者を出さないでやってきたが、改憲後は違ってくるでしょう。「自衛軍」を保持し、集団的自衛権を行使できるとなれば、戦闘参加もあります。その時、国のために戦った死者の扱いが重要になります。靖国神社の国営化を検討する声も閣僚から上がっています。

 そもそも、安倍晋三首相が「現憲法や教育基本法は占領時代の残滓(ざんし)だ」と強調するのは時代錯誤です。この主張は一九五〇年代に、新制東京大学の初代総長南原繁にも「著しく真実を誤ったか、あるいは強いて偽った論議」として退けられているのです。にもかかわらず、根拠薄弱な議論で改憲へと導くやり方は、歴史の風化に乗じた無責任な政治だと言わざるをえない。

 軍事化を止める力は世論にしかない。国民の厳しい監視が必要なんです。政治家には、憲法に反することを口にした時には、国民から不信任を突き付けられるという緊張感が必要なのです。

 

(写真説明) 「根拠薄弱な押しつけ論で改憲へと導くやり方は、歴史の風化に乗じた無責任な政治だ」と指摘する高橋さん

 

たかはし・てつや 1956年、福島県生まれ。東大卒。専攻は哲学。「デリダ」「記憶のエチカ」「戦後責任論」「靖国問題」など著書多数。憲法や教育基本法をめぐり積極的に発言を続ける。50歳。