松岡慈子先生不当人事不服審査―――最終公開口頭審理を傍聴して 横浜市立大学国際総合科学部 一楽重雄 横浜市立大学の未来を考える『カメリア通信』第48号(2007.3.31)

 

 

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横浜市立大学の未来を考える

『カメリア通信』第48

  2007331(不定期刊メールマガジン)

Camellia News No. 48, by the Committee for Concerned YCU Scholars

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松岡慈子先生不当人事不服審査---

最終公開口頭審理を傍聴して

横浜市立大学国際総合科学部

一楽重雄

 

去る2月28日に,松岡先生の人事委員会不服審査の最終口頭審理が開かれた.裁決はいつになるかわからない.本当は不服申し立てが行われたらすぐに結論が出されないとその意味は半減する.今回の件も,元々個人の問題というより横浜市立脳血管医療センターが市民にとってどれだけ充実したものとなるかという重大な問題が背後にあったのだから,これだけ審理が長びいてはしまっては,どういう裁決が出されてもその意味は半減してしまう.ある程度は仕方のないことではあるけれども,このような公平を確保するための委員会は早く結論を出さないと,結果として公平性を確保することはできず行政の味方をすることになってしまう.

最初の公開審理を傍聴して,私自身は「この問題の本質が分かった」と書いた.以後の6回に渡る審理では,言わば駄目押しが続き私の最初の印象は正しいものだった.しかし,最初の公開審理の際には,事実関係や背景などに無知であったことから,理解が十分にできなかった点もあった.今になると事件の内容ははっきりつかめたが,横浜市がなぜこれほどまでに理不尽な対応をしているのかという点については,いまだに理解できない.常識では考えられない市の対応をみると,一部にささやかれているこの問題には大きな利権がからんでいたのだという説も一概には否定できないとも思う.

公開審理で明らかになったことのひとつに,横浜市の市立病院の無責任体制がある.患者のことよりも,自分たちの保身ばかり考えている一部の人たち.ここのところ,横浜市に限らず「民営化」イコール「善」であるかのような風潮があるが,忘れてはならないのは役所自身の健全化である.どんなに多くの部門を民営化したとしても役所が完全になくなることはない.絶対に残る.それも重要な役割を果たす部分が残る.そこが,いつまでも無責任体制では困るのである.今回の裁決がどう出るかは予断を許さない,何しろ人事委員も市長に任命されている人たちなのであるから.しかし,裁決がどう出ようとも,これまでの公開審理で真実は明らかとなった.

松岡先生の異動が通常の人事異動でないことは,処分者側がその理由を示す際に明確になっている.飯野医師や滝童内元看護部長らの証言でも,松岡先生の叱正の声が大きいということを証言しただけで,その内容は間違っていなかったと証言しているのである.そして,地方公務員法上の処分は手続きが大変だからそれはせず,異動させたと岡田職員課長は証言した.これは,明確に通常の人事異動ではなかったことを示している.また,同じ証言で事実の確認をせずに,一方の当事者の言うことを信じて人事異動を行ったことも明らかになった.さらには,請求者本人の証言により,公務員としてふさわしくないことをしていた人たちがたくさんいたことが明らかにされた.上司の指示だからと言って事実と異なることを発表した課長会議での元センター長の発言を絶対に議事録には載せないとした部長院内飲酒事件を起こした人たち,そしてそれを告発した人を脅そうとした課長フロッピーディスク紛失事件でその内容について患者家族に対して虚偽の説明をした人たち,このような公務員としてしてはいけないことをした人たちについて,横浜市はその責任を明確にすべきである.いろいろな関係で心ならずも間違った行動を取ってしまった人もいると思う.私は,そういった人たちにまで重い処分をしなければいけないとは思わない.しかし,間違ったことをした場合には間違ったことを認めなければ同じ過ちが繰り返されてしまう.組織の健全化がなされない.

私が以前大学改革に関して公文書の公開を求めた際にも,多くが黒塗りとなった文書しか開示されなかった.これに対して,私は異議申し立てをした.そして委員会の審理の結果全面公開となったのだが,黒塗りの文書しか公開しなかった人たちもまったく責任を取った様子がない.間違った仕事をした人たちは,それなりの処分をすることは必要なはずである.権力にしたがった仕事をしていれば,たとえ,間違った仕事をしたことが明確になっても責任は問われず,権力に都合の悪いことをした人に対しては,それが正しきことであっても不当な人事異動をするなどということが,今の時代に許されてよいのだろうか.

 

前置きが長くなってしまったが,第7回の公開審理の様子を報告しよう.裁判で言えば,最終弁論に当たる今回の審理では,松岡先生の代理人から堂々たる,かつ心を打つ意見陳述が行われた.それと対照的に,処分者側代理人は陳述書のとおりと発言しただけで意見陳述をまったく行なわなかった.この姿勢の違いにも,ことの本質は現れている.

最初に委員長から釈明がある(釈明を求めるという意味か)と言って,処分者側に質問がなされた.処分者側から提出された書類の作成者と作成月日を問うたのである.それに対して,処分者側は作成者については医事課の職員の誰々,作成日は決済を取った日が○月○日だから○月○日です,と答えた.その文書は,松岡先生にサマリーを書くように催促をした文書であった.処分者側はいまだにそんなことを主張しているのだということが分かった.しかも決済済みの文書に日付が入っていないというおよそ常識では考えられないことが露呈した.もちろん横浜市でも決済された文書には必ず日付が入っている.日付なしでの決済はありえない.ずっと以前の審理からサマリーのことを問題にしていたのに,今頃になって催促状が提出されることも不思議である.まさか,弁護士である代理人が捏造した文書を提出するとは思えないが,なんとも不可解なことであった.

前回の審理ではどういうわけか,センターの看護部から多くの傍聴者が来ていたが,今回はセンターの管理部と市の人事関係から数名が来ていたのみであった.これもどういうことなのかはよく分からないが,傍聴も上からの指示によっていたことが窺われる.

さて,肝心な陳述内容に移ろう.彦坂俊之,彦坂俊尚両代理人から意見が述べられたが,これらはこれまでの審理のまとめであり,また,今回の事件の意味を問うたもので,格調高く胸に響くものであった.

まず,この問題の法的な争点を3つにまとめた.

第1.臨床医を本人の意に反して,行政職に異動したが,本人の能力と職との適合性

第2.この異動の真の意図が何か.内部告発に対する報復人事であるということ.

第3.適正な手続きが取られていないということ.

そして,それとは別にこの事件の意味を述べた.患者を第一に考えた医療・医療行政を行うのか,関係者の安泰だけを考えた無責任体制を温存するのか,という市民にとって非常に重要な点が問題となっていることを指摘した.

その後,時間的経過にしたがって,市長との磯子プリンスホテル(当時)での会談の内容やその後の秘書とのメールでのやり取りから始まり,医療ミスの警察の送検にいたるまでの事件や事実が復習された.この点については,これまでに明らかになっていることであるので,その多くは省略しよう.しかし,全体としてまとめると事件の本質が明確になる.ひとことで言えば,この異動は「報復人事」である.正確には「報復」というより松岡医師の医療ミスの内部告発の追及から逃れようとして,横浜市から辞めさせるためにいやがらせの人事異動をしたというところであろう.辞めると思って行った異動であることは,当初研修がまったく用意されていなかったことからもわかる.

最後に彦坂俊尚代理人が,この請求の意味について力を込めて述べた.「医道の倫理が問われている」のだと.医療と医療行政が緊張感を持って患者本位になされるか,関係者の安泰だけを願って保身にあけくれるのか,それが問われているのだと.

人事委員会の委員長は,「人事の公平を保つための審理である」と毎回述べているが,確かに制度としてはそのとおりだろうが,実際にはそれにとどまることは出来ない.この審理の持つ意味は彦坂代理人が言うとおり重大であり,歴史に残るものとなるだろう.

上野代理人は,その証言の中で「世の中には正義というものがあると思うのですね」と述べられた.まさに患者本位に正義を追求したのが松岡先生であり,それを嫌ったのが横浜市である.一日も早く多くの患者さんが待つセンターへ松岡先生が復帰され,それによってセンターの信用が回復され,立派な医師たちが集まり,センターの機能が十分に果たされることを心から望む. (以上)

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編集発行人: 矢吹晋(元教員)   連絡先: yabuki@ca2.so-net.ne.jp

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