教員評価制度説明会についての組合員からの意見 『横浜市立大学教員組合週報 組合ウィークリー』(2007.4.17)

 

 

横浜市立大学教員組合週報

  組合ウィークリー

2007. 4.17

教員評価制度説明会についての組合員からの意見

教員評価制度に関する教員説明会が、大学当局により3月におこなわれましたが、組合員の方々から意見が寄せられました。以下に、その一部を掲載いたします。

 

当局提示の教員評価制度について

一組合員

 

 3月に教員評価制度に関する大学当局による説明会が行われた。そこで説明された制度は、もともと予測されていたかたちと大きくは変わらないが、今回の制度提示によって、いわゆる教員評価制度が多くの問題を抱えていることが、より一層明らかになった。説明会では質問の時間が厳しく制限されてしまい、質したいことも質すことができなかったので、この場を借りて評価制度の問題点と思われることを述べたい。

 今回示された教員評価制度には、細かい点を挙げればきりがないほどであるが、特に大きな問題が六つあると思われる。1、大学自治原則に関する問題、2、手続の適切さに関する問題、3、制度の公正さの問題、4、相対評価の問題、5、処遇反映の問題、6、学問の自由の問題である。もちろん四点は相互に分ちがたく結びついているが、以下、分けて説明したい。

 

1)大学自治原則に関する問題

 そもそもこのような教員評価制度を今回のようなかたちで導入すること自体、大学自治の原則に照らせば大きな問題がある。

 たしかに、教員評価制度の導入自体がただちに大学自治の原則に違反するとは言えない。しかし、教員評価制度のような、大学の活動のありかたを大きく左右する制度の導入にあたっては、大学自治の原則が傷つけられることがあってはならない。大学自治は、基本的人権たる学問の自由を保障するために、何よりも尊重されなければならない原則なのである。そのことは大学が独立法人になったことによっては、なんら左右されない。であればこそ、横浜市大が独立法人となるにあたっての根拠法である地方独立行政法人法の成立にあたっては、衆参両院それぞれの付帯決議が、「公立大学法人の定款の作成、総務大臣及び文部科学大臣等の認可に際しては、憲法が保障する学問の自由と大学自治を侵すことのないよう、大学の自主性・自律性が最大限発揮しうる仕組みとすること。」と述べているのである。

 ところで、当局の説明では、教員評価制度を導入する最も大きな根拠は、大学の中期計画である。大学の設置者たる市に対して提出した中期計画に、同制度の実施が含まれており、従ってどうあっても今年から実施しなければならないと言うのである。

 その場合、横浜市立大学の中期計画なるものが、大学自治の原則にのっとって策定されているのであれば、問題はない。大学自治は、大学の重要事項の決定過程に、一般構成員が発言権を保障されたうえで参加していることによって実現される。そのために学校教育法は、大学に教授会を設置することと、大学の重要事項を教授会が審議することを定めているのである。ところが、現行の横浜市立大学中期計画は、大学の独立法人化の直前に、市が大学の一般構成員の意思と関係なく設置、運営した「大学改革推進本部」において、専断的に策定されたのである。計画案の採決はおろか、審議にすら一般教員は参加を許されていない。

 このような「中期計画」に基づくことのみをもってしては、制度導入は大学自治を尊重したかたちで行なわれたものとはならない。遵法的、合憲的に教員評価制度を導入するためには、中期計画を根拠とするのではなく、あらためて、大学構成員、特に当事者たる一般教員全体の合意を前提としなければならない。そのような合意形成のプロセスを取っていない、今回の「本格実施」は、正当性を有しないのではないだろうか?

 

2)手続の適切さに関する問題

 上に述べたことと関連するのが手続きの問題である。教員評価制度の導入にあたって、教授会の審議がなされていないばかりではなく、教員組合の求めている協議も行われていない。上に述べたように、合意形成のための手続きを取らないで、上から勝手にかかる制度を導入することはできない。

 また、昨年度の教員評価「試行」は、わずか半年行われただけであり、しかも、その内容の適・不適が全学的に討論されたわけでもない。

 こうした手続き上の不備にもかかわらず、「本格実施」が可能なのであろうか?

 

3)制度の公正さの問題

 教員評価制度の内容として提示された評価のしくみにも、大きな問題がある。言うまでもなく、評価にあたっては公正さと客観性が求められるのであって、使用者側の恣意によって評価が左右されることがあってはならない。ところが、今回の提示内容は、到底、公正さ、客観性を担保するものとはなっていない。

 特に、評価を行う者が学長以下、すべて任命によってその任に当たる管理職であり、運用にあたって一般教員の監視、発言権がまったくないことになっている。このようなやりかたでは、使用者側の恣意により、評価が行われる可能性を否定することはできない。いくら、「恣意的運用は行わない」と使用者が述べても、どこにそれを保障するしくみがあるのか。

 さらに、恣意的運用を防止するためには、少なくとも公正な不服申立制度が設けられるべきであるが、それもない。説明資料において示されている不服申立てのしくみは、不服のある場合、もう一度評価者の説明を受け、それでも不服な場合は「教員評価不服審査委員会」で審査することになっている。同審査委員会の構成は不明だが、理事長・副理事長・事務局長を中心に構成されるらしい。そうであれば、使用者側の恣意を抑止する機能はまったくないと言ってよい。少なくとも教授会公選の委員、もしくは労働組合代表が参加する不服審査機構がなければ、公正な評価の保障はない。

 また、学長等、評価者についての評価においては、下部一般教員の評価があってしかるべきである。評価のしかた、日常的な管理運営のしかたの適・不適を知っているものは、現場の教員である。教員の評価にあたっては学生による授業評価も勘案される以上、当然である。もちろん同様の趣旨から、学生による学長・理事長等の評価、一般職員による理事長評価なども導入されてよいだろう。

 機構面において公正な評価の保障がないまま、評価制度を「本格実施」することに正当性はあるのだろうか?

 大学の自治の観点から言えば、そもそも学長は大学構成員による公選で選ばれるべきであり、また、学長が理事長を兼ねるのがのぞましい。定款・学則の変更が必要である。評価制度とは直接には関係ないが、ここで申し添えておく。

 

4)相対評価の問題

 次に挙げる処遇の問題に関連するが、教員評価において相対評価原理が導入されるおそれが強い。教員評価は教員の能力を伸ばすために行うのだというのが当局側の建前であるが、相対評価ほどそのような建前を矛盾するものはない。言うまでもなく、相対評価は、まじめに良質な仕事をしていても、たまたま他の者のうち一定の割合の者がより高い評価を受けてしまえば、「C」評価、つまり劣っているという評価を受けてしまう。つまり、全教員が優れた能力を発揮した場合に、かえってそのうち一定比率の教員が悪い評価を必然的に受けてしまうという、ゆがんだ制度なのである。もし相対評価が行われれば、評価は、教員の士気を滅し、大学の教育・研究・事務作業のすべての質が劣化し、また学内の協力関係が崩れるために、ぎすぎすとしてしかも非効率な環境となるであろう。大学に、相対評価を伴う評価制度はそぐわないのである。

 

5)処遇反映の問題

 上に述べた問題は、教員評価の結果を処遇に反映させる場合、さらに激化することは言うまでもない。良い仕事をしているのに、相対評価によって「C」などと貶められ、しかも、減給によって生活にも打撃を与えるようなシステムになるのである。そうならないという保障はどこにあるのか?

 

6)学問の自由の問題

 そもそも最も問題なのは、教員評価制度のようなしくみが、学問の自由を侵害するおそれがあるということである。

 基本的人権を支える権利として、学問の自由は最も尊重されなければならず、特に大学においては最大限に学問の自由は保障されなければならない。

 しかるに、今回提示の教員評価制度は、学長以下の評価者が、なんら教授会の審議を経ないままに大学の目標なるものを専断的に策定し、各教員はその目標に合わせて自らの目標を立てるように強いられる。外在的な上から与えられた「目標」を、あたかも各個人が自ら立てたかのごとくふるまい、その目標の達成のために努力させられるわけである。学長・評価者の「目標」の立て方にもよるが、最悪の場合には、学問の自由、内心の自由を侵害することにもなりかねない。

 そのような問題を防止するために評価者・被評価者間の「面談」の制度がくみこまれているのかもしれないが、評価者と被評価者のあいだには権力関係が存立しているのであり、対等で自由な協議となるのはむずかしい。パワハラの防止を含めて、学問の自由の保障たりうるのか大きな疑問である。

 もし、この制度が学問の自由を侵害するものであれば、違法・違憲であり、大学人として受け入れるべきではあるまい。そうではないという保障はあるのだろうか?

 

本格実施は認めない—問題解決と交渉を

 以上雑駁ではあるが見てきたように、大きなものだけでも数多くの問題がある。制度の内容の細部に至っては枚挙にいとまがない。こうした問題が解決されないのであれば、今回の教員評価制度導入は違憲・違法、不当であり、大学の利益にも反するから、反対しなければならない。当局がそうした問題はない、あるいは問題はあるが解決されるというのであれば、当局はそうした問題を解消するために、組合との交渉に応じ、また、問題が解決するまで「本格実施」などと称さずに制度導入を控えるべきである。

 

 

●「教員評価制度」は昇任審査に使ってはならない

一組合員

 

 教員評価制度について、当局は平成19年度の評価結果を処遇に反映しないことを約束しています。しかし、教員評価制度による評価は、将来においても昇任の際に使われてはなりません。

 

 教授、准教授、講師、助教、助手の資格は、大学設置基準という文部科学省が定める省令で定められています。例えば、教授の資格は次のようです。

 

14条 教授となることのできる者は、次の各号のいずれかに該当し、かつ、大学における教育を担当するにふさわしい教育上の能力を有すると認められる者とする。

一 博士の学位を有し、研究上の業績を有する者

二 研究上の業績が前号の者に準ずると認められる者 (以下略)

 

  准教授、講師なども同様、大学の教員の資格は、研究業績と教育能力を有することとされています。そして、これらの職への採用・昇任は、対象となる教員がその時点で研究業績と教育能力をもっているか否かの判断によって行われます。研究業績がどれだけ蓄積したか、教育能力がどれだけ備わっているかを見るわけです。

 

 昇任の際の判断材料として、本学のような「教員評価制度」の評価結果を用いることは、上記との関係から二つの点で許されません(他にも問題はありますが、ここでは省略します)。

 第一に、これらの教員の称号は、研究と教育の分野での力量を示すもので、それ以外の要素は対象外です。これに対し、今回実施されようとしている教員評価は、「地域貢献」や「学内業務」を含んでいるからです。

 第二に、教員の資格として問われるのは、これまでの研究業績と教育能力の有無です。その時点までに研究業績の蓄積があるか否かですから、そこに至るプロセスは問われません。むかし数年間全く研究図書も学術論文も書いていなかった人でも、最近業績を量産した場合や、逆に昔は一時期たくさん論文を書いていたけれども、その後寡作になり、最近少し業績を上げた人でも昇任可能です。しかし、教員評価制度を取り入れると、一年間という短期的評価の集合(=寄せ集め)が問われることになります。悪い評価が続くと昇任の際不利になります。

 

 ところで、大学は学校教育法が定めるように、研究と教育を行う機関です。

 

51条 大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする。

 

 優れた研究は長期的な展望をもちつつ、日々の努力の積み重ねの中で成就するものです。教育能力も長期間にわたる経験と試行錯誤のくりかえしにより向上していくものです。

 

 したがって、大学では長期的評価こそが重要です。教授、准教授といった資格要件も、上に見たように、研究と教育の蓄積があるか否かについて判断するものです。本学でも従来は他のほとんどすべての大学と同様に、教授への昇任の場合は助教授就任以降における研究教育活動の全体、助教授昇任の場合は講師就任後または赴任後における教育研究活動全体をまとめて評価の対象としてきました。これに対し、1年ごとの短期的評価である教員評価制度の評価結果を昇任審査の際に用いることは、教授、准教授といった大学教員の資格制度の考え方と矛盾し、許されるものではありません。

 

以上

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教員組合に皆様の声をお寄せください

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