《布施候補ほど大学内で人望のない人はめったにいない》 学長選考の意味するもの――悪い制度から悪い結果―― 国際総合科学部 一楽重雄、 永岑三千輝氏『大学改革日誌2008年2月29日付』(2008.2.29)

 

http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/SaishinNisshi2007/SaishinNisshi.htm 

 

 

229日 『カメリア通信』第54号(本日付)を受け取った。学長選考の問題性に関する根底的な問いかけがなされている。「市当局のコントロール」が、今回の学長選考に露骨に出ている、という主張内容である。私もそう考える。

ある有力者と立ち話したら、「今回は、市当局のコントロールはありませんでした」という。「なかった」ということをどのように証明するのだろうか?なぜ、そんなことをこの有力者は知っているのだろうか?「語るに落ちた」ということではなかろうか?この有力者の今後の行動を見れば、検証できるであろう。

 

ともあれ、下記の主張にもあるように、「市当局のコントロール」が効く2名の人物が、選考委員会のなかにいることは事実である。

OBだから、というのでコントロールが効かない、というのは、「天下り」問題など、全国的・全社会的に問題になっていることを、嘲笑するものであろう。

文書にもとづいて検証できるのは、今回の新学長の推薦者が誰であるか、これを公文書公開で明らかにさせればいいであろう。ただちに、その推薦者がほかの人に働きかけたということが浮かび上がってこよう。そう推測するのが、妥当であろう。

「ロス疑惑」ではないが、当面、個人情報などという口実で、文書資料を隠蔽することに成功しても、いずれは、本当のことが日の目を見るであろう。

 

下記、主張も言うように、問題なのは、制度そのものにあると同時に[注1]、選考委員会の選考委員の見識・選考理由がまったく不透明であり、社会的説明責任を欠如しているということである。今回もまた大学内部からの推薦を受けなかった(受けることができなかった)と思われる候補が、なぜ過半数を取りえたのか、という疑惑が浮上しているのである。

そのことが合理的に説明されなければ、すなわち、各選考委員の責任ある選考理由の説明抜きには、疑惑は疑惑として残り続けるであろう。それは、大学の自由で民主主義的な発展にっては、マイナスであろう。

 

 

[注1

「悪い制度」であっても、選考委員の良識を信じて、選考委員が大学内部の問題、大学が対社会的に抱えている問題を直視し、吟味を重ね、議論を積み重ねれば、おのずと、いい結果も出てくるだろうと考えて、われわれは、矢吹候補を支援し、支援理由を公開で説明してきた。

 問題は、したがって、「悪い制度」それ自体にあるのではなく、「悪い制度」に便乗して「根回し」が行われた、ということにあるであろう。

 制度が根本的に悪く、大学の発展に向けて、なんらの希望も可能性も持たないようなものであるならば、われわれは矢吹候補を推薦したりはしなかったのではなかろうか?

 制度が根本的に悪いので、教員の推薦15名を集めて出すなどというのはやめたほうがいい、という意見も強かったのである。私としては、一縷の望みであれ、また、学長たるものは公あるべきだという主張の場を確保するためにも、ごくわずかかもしれない可能性にかけたのである。それが裏切られた、というのが現実だろう。

 

各選考委員は、社会的説明責任を果たしていないということ、これを選考委員諸氏はどのように受け止め、どのように社会的に説明していくのだろうか?

 

少数の選考委員の選考理由に大学の命運がかかっている以上、それを広く公開する責任は、各選考委員にあるのではなかろうか?

 

 

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横浜市立大学の未来を考える

『カメリア通信』第54

  2008229(不定期刊メールマガジン)

Camellia News No.54, by the Committee for Concerned YCU Scholars

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学長選考の意味するもの――悪い制度から悪い結果――

                                国際総合科学部 一楽重雄

 

2月25日に横浜市立大学の新学長の選考結果が発表された。24日に候補者の面接審査があった翌日という超スピードであったが、驚くにはあたらない。すなわち、選考が始まる前から決まっていたというのである。この噂には、今のところ証拠はない。しかし、大学内部のものにとってはいかにも腑に落ちる話なのである。所信表明を聞いたものにとっては、とてもあり得ないと思った布施候補に決まったからである。この所信表明も実に中途半端である。教職員しか入場できない。そして、教職員に投票権が与えられているわけでもない。普通に考えて、いったいどういう意味があるのだろうか。なぜ一般公開しないのか、そのわけが今回の結果でよくわかった。教職員に限っておけば、マスコミは直接取材が出来ないからである。

 教員組合も指摘しているように、市大の学長選考の制度は、まったく非民主的であり「悪い制度」である。一般論で言えば、悪い制度にもかかわらず、関係する人々の努力によって、悪くない結果をもたらすこともある。今回の結果は、まったく逆であって、制度の欠点がそのまま結果として出てきたと言えよう。学長選考という大学にとってとても重要なことについては、「公正らしさ」が求められる。しかし、市大の制度には、最初からそれが欠けている。実際に「公正」であるかどうかは、委員個人の胸に聞くしかないが「公正らしさ」は検証可能である。今回の学長選考委員会の構成を見ると、まったく「公正らしさ」は担保されていない。

選考委員会のメンバーが、市に直接関係している、あるいは、過去に関係していた人が2名、大学幹部が2名、その他に外部委員が2名という人選である。外部委員なら、常に公正であるということも元々あり得ない話であって、むしろ、お金の出所に忠誠を尽くすのは一般的にありうることである。よほどの人でないとその地位をかけてまでも信念に沿った行動をするということはなかなかできない。

こんな構成では、横浜市が圧力をかけることは容易である。しかし、市の幹部に良識があれば、憲法の保障する学問の自由の意味を分かっていれば、選考委員に圧力をかけるなんてことはありえない。また、見識を持った選考委員であれば、権力の圧力に屈することもない。そのような場合は、悪い制度であっても必ずしも悪い結果は生じない。

どうやら、今回は違うようだ。直接証拠はまだ入手していないが、状況から見れば大学の自治への干渉という大きな問題が発生したことは確かなことだと思う。

大学の公式ホームページには以下のような選考理由が掲げられている。

 

学長選考会議では、「大学運営に関して、どのような問題があると考えているのか」「問題解決のために、どのようなことが必要と考えているのか」「どのような大学にしていきたいのかという抱負について」の3点を評価基準とし、所信表明・面接等をもとに慎重かつ公平な審議を行いました。最終的には投票の結果、布施 氏が過半数の票を獲得し選考されました。

 

上の評価基準に照らして、どうして布施氏に決定したのか、摩訶不思議としか言いようがない。このような少数で選考するのであるから、もともと、多数決で決めさえすればよいというものではない。投票結果ではなく選考理由が明快で納得のいくものでなければならないはずである。

選考基準を公表しても、いわば試験問題を公表しただけであって、各人の答えがそれにふさわしかったかどうか、そこが示されなければまったくもって「選考理由」にはなっていない。

 

なぜ私が、布施候補がもっともふさわしくない候補であると考えたのか、その根拠を述べよう。

第1に、布施候補ほど大学内で人望のない人はめったにいない。前回の学長選考の際に、支持者が推薦人15人を集められなかったという話は、大学内部ではよく知られた話である。また、そのことには理由がある。すなわち、市大の「改革」前夜に、多くの教授会の決議がなされ、教員の多くが横浜市という権力の横暴と戦っていたその時期に「大学改革を推進する会」を発足させたと神奈川新聞に報じられたのである。もちろん、思想信条の自由から言って、そのことだけで不見識だというつもりはない。しかし、その発表内容が真実を伴わないとすれば、それは非難に値しよう。当時の「小島、馬来、布施」の3教授が会を作ったという新聞報道はあったが、その会がまったく実態を持たないものだった。会合を開いたこともなければ、会員の勧誘もなかったし、会主催の行事も聞いたことがない。念のため、前回の学長選考の折に、私は布施候補にこの会の活動内容を教えてくれるよう質問状を出したが、回答はまったくなかった。

教職員の信頼を集めることができない人が学長として十分な責務を果たせるとは思えない。

第2に、その後の大学改革では、教員と対立して強権的にことを進めた。現在のPractical English問題の一番の責任者は布施氏なのである。教員サイドの強い反対を押し切って、3年への進級条件としてTOEFL 500点を課すことを制度化したのである。この問題がいよいよ大詰めを迎える今、布施氏の登板は事態を一層の混迷に陥らせるだけであろう。

今回、布施氏を学長にしたのが本当のところ誰なのかは分からないが、その人は市大の現実をまったく見誤っているとしか思えない。外部にいてまったく市大の状況が分かっていないと思われる矢部候補と布施候補を除いて、他の4候補はみんな現状に問題を感じ、このまま改革路線を続けさえすればよいと言った人はいなかった。また、

ストロナク現学長も「プロジェクトRは外部だった、今度は内部で学部のあり方を考えなければならない」と我々教員に呼びかけていたのである。誰の目にも、今回の改革が大きな問題をかかえていることが明らかになっているのである。そんな時期に改革当初の責任者が大学に戻って何ができるというのであろうか。今後、布施氏は教員を押さえつけ、改革路線を突っ走るばかりであろうが、そこには非暴力不服従やサボタージュといった抗議行動が発生するだろう。あるいは、短期的には改革が進むようにも見えることもあるかも知れないが、本質的には矛盾を増大させるばかりであり、そう遠くない将来に自壊の道をたどるに違いない。 

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編集発行人: 矢吹晋(元教員)   連絡先: yabuki@ca2.so-net.ne.jp

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