横浜市立大学教員組合週報 組合ウィークリー(抜粋)(2008.3.14)

 

横浜市立大学教員組合 http://homepage3.nifty.com/ycukumiai/ 

http://homepage3.nifty.com/ycukumiai/kumiai-news/weekly080314.htm 

 

 

●新書記長あいさつ 新書記長 高橋 寛人

 

 組合の書記長を務めるのは2回目になります。前の書記長の時、教員組合は地方公務員法上の職員組合でしたが、法人化に伴って教員は公務員ではなくなったので、いまでは民間企業と同様、労働組合法に基づく労働組合となりました。

 

 私の専門は教育学で、大学時代には社会科の教員免許状を取りました。そのために履修した労働法の授業で、はじめに聴いた次のような話が強く印象に残っています。

 

 「契約とは、本来対等な立場の2者が、自由な意思に基づいて結ぶ約束である(したがって、江戸時代における大名と商人の契約は、本当の契約ではない)。しかし、労働契約の場合、使用者と労働者は対等ではない。なぜなら、使用者は労働者をクビにできるが、労働者は使用者をクビにできないからである。労働者にとっては、仕事を失うことは、死活問題となりかねない。これに対し、使用者の場合は、労働者が一人やめたところで、かわりを見つけるのに手間がかかる程度で、労働者ほど困ることはない。

 

そこで、職場の労働者がひとつにまとまって、労働者と使用者がまるで1対1の対等な関係に立って労働条件について交渉することが必要である。これによって初めて対等な立場で契約できるのである。」

 

 つまり、労働者がまともな労働契約を結ぶためには、労働組合が必要だというわけです。

 

ところで、労働組合法の他に労働基準法という法律もあります。労働者の立場が弱いので、労働者を守るために労働条件について最低基準を定めています。さらに、労働基準法は、裁量労働制、変形労働時間制、個別の休憩時間、時間外休日労働などについては、労働者の過半数を組織する労働組合(そのような組合がなければ過半数の労働者を代表する者)が合意した場合でなければ、実施できないと定めています。

 

 ここで「過半数」とは、「事業場」ごとに算定します。本学の場合、金沢八景キャンパスがひとつの事業場です。現在、金沢八景キャンパスの教員の8割以上が教員組合に加入しています。大学の教員組合の中で、これほど加入率の高いケースはあまりありません。とはいえ、他の学部、キャンパスでは加入率が低迷しています。いま、一人でも多くの教員に教員組合に加入してもらうことが必要です。組合に入っていない教員が身近にいらっしゃれば、ぜひ入会を働きかけて下さい。

 

2008年度は、教員評価制度の内容、そして評価制度と処遇との関係が最重要問題となります。当局は、教員評価制度の結果にもとづいて、給与だけでなく、任期更新、昇任についても決めようとしています。教員評価制度そのものが悪いものであるというわけではありません。優れた評価制度は教員の教育研究能力の向上につながり、職場を活性化させます。しかし、劣等な評価制度は職場を様々の点で破壊します。

 

本学では法人化以降、教員組合などの強い反対にもかかわらず、任期制が強引に導入されてしまいました。いいかげんな教員評価制度が強行されてしまうと、不当な更新拒否がまかり通る恐れがあります。

 

他の大学で徐々に教員評価制度が導入されていますが、本学のように多くの教員について任期制をとっているところは例外中の例外です。本学での教員評価制度は、慎重の上にも慎重な制度設計が必要です。杜撰な制度を実施させるわけにはいきません。教員評価について、組合員の意見・不満の声を寄せて下さい(教員組合のアドレスは、kumiai@yokohama-cu.ac.jp です)。

 

 

●「一年を振り返って」 前書記長 河野 純一

 

 団交や折衝の場で、繰り返し私が発言したことに、次のようなことがあります。「現在、当初の制度設計の通りにはいっていない。当初の制度設計に無理があった」ということです。

 

なぜそのような言葉を何度も言ったのかということを少し説明しようと思います。私が書記長になったときは、ちょうど新給与制度交渉の大詰めの時でした。前執行部から受け継いだ交渉の中で、はっきりしてきたことがいくつかありました。基本給と職務業績給の区分の仕方が、当初の年俸制の設計では、基本給は一定にしておいて職務給業績給を変動させていくというものでした。

 

しかし、昨年春合意した新給与制度においては、そのようなやり方にはなっていません。しかも、職務給業績給は、いつの間にか「職務・業績給」と書かれるようになり、さらには「・」が取れて「職務業績給」となっています。

 

職務と業績は本来明確に性格が異なるものです。にもかかわらず、それらを一体化した給与体系とせざるをえなかったということです。年俸制とはいっても、現実の教員配置の仕方を無視した方法は取れなかったのです。

 

大学は、それぞれの分野において優秀な人材を集めていかなければなりません。一点豪華主義のような方法は、それでしか名を売れないような大学だということを示していることに他なりません。各分野の優れた研究者がいることによって、大学全体の質は上がっていくものです。きちんとした研究を行う研究者なくして大学は成り立ちません。そしてそれなくしては、良い教育などありえません。

 

良い研究者・教育者が、ぜひこの大学で研究・教育を続けていきたいという気持ちが持てる大学でなければなりません。現在のような「任期制」は、そうした気持ちにさせるものなのでしょうか。法人化の前後から現在まで、横浜市立大学は多くの優秀な教員、高い評価を受けている教員、将来のある有能な教員を、転出によって失ってきたことを、はっきりと認識しなければなりません。こうした「流動性」は、たんに人材の流出でしかありません。

 

そのようなことによって、一番の被害を受けるのは、学生に他ならないのです。彼らへのよりよい教育をどう保証していくか、学生中心ということを謳う大学であるのなら、まずそのことを考えなければならないはずです。当初の制度設計、例えば

Toefl500点等がどのような意味を持つのか、はたしてこのままでよいのか、またToefl500後のより深く広い教育はどうするのか、当初の制度設計のままでは、もはや立ち行かないところに至っていると思います。

 

「当初の制度設計」からすでにあった杜撰さや矛盾が、現在の大学においてさまざまな面で噴出してきているのは、誰の目からも明らかです。当初の、机上の杜撰な制度設計に、教員、学生、そして事務当局までも振り回されているというのが実際でしょう。

 

しかし、矛盾だらけの状態であっても、その中で、教員の処遇を少しでも良いものにしなければならないと思い、昨年夏から秋にかけては、再任に関して折衝を重ね、一方的に任期が更新されないという危険性をできる限り少なくするよう、またそうした場合の客観性を確保し、その際、教員組合との協議を義務づけるように努力してきました。

 

この点では、一定の成果があったと考えていますが、まだ大学全体を見たときには、多くの問題が山のようにあります。それらは、新しい執行部にさらに取り組んでいっていただけなければなりませんが、少なくとも一歩を踏み出しバトンだけは渡せたのではないかと思っています。これからも、当初の制度設計を乗り越え、大学らしい大学になるようにするために、一般教員の組織としての教員組合の持つ意味は大きいと思います。ぜひ、新執行部にも、声と力を寄せていただきたく思っています。