私の政治家人生の中での一番の痛恨事 太田正孝(横浜市議会議員)(2008.4.10)
横浜市議会議員 大田正孝氏ホームページ http://www.ota-masataka.com/index.htm
掲示板 http://8005.teacup.com/ota/bbs/1686 より
私の政治家人生の中での一番の痛恨事 投稿者:太田正孝 投稿日:2008年 4月10日(木)21時10分53秒
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中田さんが初めて日本新党で衆議院に出る時、日本新党を応援していた関係から私は彼を支援しました。その後、私が自由党に関係していたときに自由党で彼を市長に推薦することになり高秀市長に対抗して応援することになりました。彼の腹心で、のちに、入札妨害の汚職で逮捕された佐藤行信市会議員からも、ビラの配布等を依頼され、私なりに一生懸命中田さんを応援しました。清新な市政運営をしていただけるものと確信しておりました。私はその時分は参議院選挙に落選しておりましたが、やがて市会議員として復活させていただきました。議会にまいりますと中田さんは私を見るなり「先生ご指導ください」などと握手を求め、議場でもいつもニコニコ会釈をしてくれる、私はその礼儀正しさに感服いたしておりました。少したって、私は無所属議員5人を集めて「無所属クラブ」という会派をつくることになりました。ところがそのうちの一人の議員に市長は執拗に電話をかけて「太田と会派を組むのは山口組に入るようなものだ」「俺と太田とどっちについた方が得かわかるな」等と脅迫しました。その議員に市長が電話してきたときに隣席しておりましたので私もその電話のやり取りを直接耳にしました。私は驚きました.我が耳を疑いました。市長が私をこんなにひどく誹謗中傷するなんて、普段の市長との関係から夢にも思わなかったことだからです。そのことがあっても無所属クラブは誕生しました。脅迫された議員も、断固、市長の故なき妨害を排除したのです。そんなことがありましたのに、市長は廊下で会う私に、何事もなかったように挨拶する、その無所属クラブと市長との懇談会では、市長は「私は議会は本来みんな無所属であるべきで、皆さんのおつくりになった無所属クラブが議会で一番素晴らしい」などと、電話のことがまるでなかったように話をする、私は市長の「裏と表の違い」に大変驚きました。私はこのままこれを看過してはならぬと思い、当時の清水助役の立会にもと市長に面談してことの一切を述べて、市長の真実を聞いたところ、市長は最初はとぼけておりましたが、ついには「私はたとえによく山口組を出すんです」等と詭弁を弄するばかりで謝罪もありませんでした。私は市長に厳重に抗議してその時は分かれたのですが,以後、市長の「二重人格性に」大いなる疑いを持ちました。そののち、市長の行動に、いろいろな事件を見出すこととなったのです。もとより市政は是々非々でやっております。中田さんのおやりになっていることでも良いことはどんどん支援します。しかし利権がらみが多すぎるようです。利権の最たるご仁が仲裁に入ったこともありましたし、驚くことに、外国の大使館の方まで中田さんの依頼を受けたのでしょう、私を慰撫しにきたこともありました。
そんな場合でも、私は、「市民によいことをやってくれればなんでも支援します。悪いことは断固、これを弾劾します」とはっきりと申し上げたことでありました。
そう遠くない時期に、彼は馬脚を現すでしょう。はっきりとその実相を世間に暴露された時、横浜は救われ、本当に喜べる開港150周年を迎えることと思います。たくさんの市民が誤解されて彼を市長に選びました。彼のはじめての市長選挙に私がこれを支援したことをおわびしなければなりません。私の政治家人生の中での一番の痛恨事であり、誠に申し訳なく、残念なことであります。
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