「意見広告の会」ニュース455(2008.8.17)

 

** 目次 **

1 横浜市大学位審査問題

1−1 金銭要求 処分重く 前医学部長ら2教授は退職 再建への道のり険しく

           7/30東京新聞

1−2 なぜ、「大学が」というのか? 

            永岑三千輝大学改革日誌

2 都立三鷹高:挙手禁止通知で校長が公開討論を要求

      8/5毎日新聞

 

 

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1−1 金銭要求 処分重く 前医学部長ら2教授は退職 再建への道のり険しく

           7/30東京新聞

 

学位審査をめぐる金銭授受問題で二十九日、前医学部長の嶋田紘教授(64)と前副学長の奥田研爾教授(62)の停職を含む計二十人の処分者を出した横浜市立大学。キャンパスを揺るがせた一連の問題にひとまず区切りがついた形だが、大学の信頼性は大きく傷ついた上、停職の二教授も退職しており、大学の再建への道のりは険しい。

 

 二十人のうち懲戒処分は嶋田、奥田両教授を含め五人で、いずれも副学長などの管理職にあった人物。同大の田中克子事務局長は「管理者責任を重視した」と説明した。

 

 学位取得者やその親から計四十三万円を受け取っていたことが新たに判明した奥田教授は最も重い停職四カ月の処分。同大の本多常高理事長は「親族の学位審査に立ち会った点や金銭の要求があった点などが(処分を重くした)対象となった」と述べた。

 

 当初、同大懲戒審査委員会は奥田教授を停職六カ月、嶋田教授を同三カ月とする処分案を決めていたが、二人の辞意表明などを考慮した本多理事長が処分軽減を決めた。

 

 退職理由について嶋田、奥田両教授は「大学や市民に迷惑をかけたことを反省した」などと話しているという。二人の退職について本多理事長は「二人とも優秀な先生で、大学にとっては痛手だ」としている。後任は未定で、当面は現有教員で対応する。

 

 市議からは「大学が受けた悪影響は計り知れない」との声も出る中、本多理事長は「こうしたことが二度と起きないように教員らの意識を改革していきたい」と再発防止を誓った。(中山高志)

 

 

1−2 なぜ、「大学が」というのか? 

            永岑三千輝大学改革日誌

http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/Nisshi20080703-31.htm 

 

学部問題に関して、中田宏横浜市長は三十一日の定例会見で、横浜市立大学医学部の学位謝礼金問題で関係者計二十人の処分が出たことについて、「大学が浮くも沈むも自分たちの運命は自分たちの責任であることを再確認し、しっかりと再建に取り組んでほしい」と述べた、という(カナロコ)。

 

問題の流れからすると、医学部の学位審査問題なので、それならば、「医学部が・・」といえばいい。なぜ、「大学が」というのか? 

 

     「自分たち」とは、誰のこと?

 

 誰が、どのような権限を持っているのか?

 誰がその権限に応じて責任を果たしうるのか?

 

 今朝の新聞には、小坂井 敏晶『責任という虚構』(東京大学出版会)という本の広告が出ていた。

 

大学の経営陣を任命しているのは、かつてから、市長であり、法人化した後も、公立大学法人として、大学を発展させるような経営陣を構築するのが、市長の責任であることはいうまでもないであろう。法人の法的最高責任者・理事長の任命は、市長である。事務局長以下の管理職の中心ポストも市当局の任命である。そうした体制で学長や学部長・研究科長が選ばれる。責任の所在は、きちんと整理しなければならない。

 

国立大学などのように、大学教員の中から選ばれた人が学長・総長として理事長もかねるという、独立性のあり方とは決定的に違うのが本学や首都大学であろう。とりわけ、大学改革の過程を見ても、市当局の改革本部が果たした役割が決定的なことは言うまでもないであろう。

 

市大で何か問題が起きると、「責任は大学にある」といい、市大が何かいいことをすると、市長・市当局の功績とするというのでは、大学人はむなしくなるだけであろう。最近の組合ニュースが示すように、「何とか私学にでも脱出したい」と願望する人がいるひとつの要因もその辺りにあるのであろう。

 

 そもそも今回の問題において、「責任は大学にある」という命題が成立するかどうか、いかなる意味において成立し、いかなる意味で単なる責任逃れ、単なるプロパガンダになるのか、検証が必要である。その際、この間の経営陣・管理職の任命のあり方、および定款・学則(これらを定めたのは市当局である)なども含めて、吟味が必要である。

 

責任主体として、自治の主体として大学は存立していたのか?

 

法人化後3年間の理事長・副理事長は誰が任命し、学長は誰が任命したのか?

 

その突然の、任期途中の退任(「逃げ出し」あるいは暗黙の辞任強制?)や転職に関して、いかなる責任の所在の明確化があったのか?

 

前学長は、アメリカ的で、給料が倍になるから(いや3倍になるから)、トラヴァーユしたのだ、それが本当のところだ、などという噂話で済まされるのか?

 

少なくとも、大学人の多くは、彼らの辞職に唖然としただけである。責任ある人々からの合理的な説明を聞いたことがない。それともどこかで説明されているか?

 

予算決定権(これはかつての公立大学時代から大学にまったく権限がない状態だったが)や人事などの決定権限などむしりとられてもなおかつ、この間のむなしさ・不安にもかかわらず、多くの教職員が必死なってがんばっている、何とか大学の責任主体となれるように、すなわち大学自治を回復するために多くの教職員が模索している、必死になっている、何とか崩壊を食い止めている、というのが本当のところだ、と私は考える。権限のない普通の人々が、不安を抱えながら、がんばっている、と。その多くの人々にとっては、「責任の取りようのないシステムですよ」ということになろう。

 

中田市長の新自由主義的改革によって、多くの教員に広がるむなしさや不安は、まさに最近の組合ニュースが生々しく伝えるところである。

 

 

2 都立三鷹高:挙手禁止通知で校長が公開討論を要求

      8/5毎日新聞

 

都立三鷹高:挙手禁止通知で校長が公開討論を要求

 東京都教育委員会が職員会議で教職員による挙手や採決を全面禁止した問題で、通知の撤回を求めている都立三鷹高の土肥信雄校長(59)や教育評論家の尾木直樹さんらが4日、都教委との公開討論を求めて都庁で記者会見した。「お互いの意見を述べ合って都民、国民に判断してもらいたい」と訴えており、都教委に20日までの回答を求めている。

 

 都教委の通知は06年4月に都立校向けに出されたが、土肥校長は校長会などで「教員の言論の自由を奪う」と撤回を求めてきた。先月10日、都教委に公開討論を申し入れたが拒否されたため、尾木さんや漫画家の石坂啓さんら4人の識者とともに会見に踏み切った。

 

 会見で土肥校長は「生徒に民主主義を教えるのが学校なので、教員組織も民主的にならなければ」と主張。尾木さんは「職員会議で挙手を求めることは校長の決定権を何ら侵害しない。職員の意向を知らなければ実践は成り立たない」、石坂さんは「萎縮(いしゅく)した大人たちに囲まれていると、子供たちが損をしている気がする」と訴えた。

 

 一方、都教委都立学校教育部の担当者は「通知は職員会議で教職員が意見を言ったり、議論することまで禁止したわけではなく、公開討論をする内容ではない」と否定的。土肥校長らは都教委が公開討論に応じなければ、さらに撤回要求に向けた活動を強めていくという。【木村健二】

毎日新聞 2008年8月4日 20時13分