「中田宏横浜市長との不倫、卑劣な素顔」 『週刊現代2008年12月20日号』(2008.12.20)

 

 

「中田宏横浜市長との不倫、卑劣な素顔」 『週刊現代2008年12月20日号(2008.12.20) 

 

「彼に人生をメチャクチャにされました」 約2年間、男女の仲にあった30歳女性が明かした。本誌を濫訴した市長の「裏の頗」が赤裸々に

 

●毎日、日中に仕事をサポって電話やメールが●わざわざ自宅まで花束を届けにきたことも●運転手付きの公用車を何十回もデートに使った●高級ホテルに公用車に乗せられ向かったこともある●東京でのデートではほぼ毎回、ビールや焼酎を飲み、彼の飲酒運転で帰ってきた●一番の泥酔は神楽坂の高級フレンチ。側近ら4人とワインを3本空けた。その帰り、彼は飲酒運転で高速を時速100q以上で走った●横浜スタジアムのVIPシートで「市長の家族」という身分で何度も野球観戦した。「オレの席だからほしいときは言って」と●東京ドームのホークス戦も身分を偽って一緒に観た●他にも横浜アリーナでのコンサートやイベントに何度も招待された 取材・文 本誌記者 三園利幸

 

 

決意の顔出し告白!

市民派"クリーン"政治家の「公私混同」「職権濫用」「違法行為」

 

 

"噂の女性"がすべてを語る理由

 

「中田さんとお付き合いしていなければ、こんな人生になっていませんでした。私は彼に人生をメチャクチャにされました。私は彼のことをずっと信じていたのに、結局彼にとって、私は"遊び"だったんでしょう」

 涙ながらにこう語るのは、神奈川・横浜市内の高級クラブでホステスとして働いていた奈々さん(30歳・名前はホステスとしての源氏名)だ。

 彼女の言う「中田さん」とは、中田宏・横浜市長(44歳)のことである。中田市長と奈々さんは04年から約2年間、不倫関係にあった。

 中田氏は「市民派」の代表とされる政治家である。弱冠28歳にして衆議院議員となり、連続3期務めた後、02年には37歳で横浜市長選に立侯補。「若さ」「クリーン」「草の根運動」を前面に押し出した選挙戦を展開し、見事当選を果たした。06年の市長選でも勝利し、

現在2期目を務めている。

 この中田市長には前述のイメージとはまったく異なる素顔があることを、本誌では昨年、6回にわたって報じてきた。その内容は「合コンでのセクハラ行為」「有力後援者の公金横領疑惑」「海外公務をサボってのキャバクラ豪遊」「前市長未亡人による告発」「選挙資金にまつわる不正」「不正事務所費計上」……といずれも公選公職人としての資質を疑うものばかりだ。

 中田氏はこれまで、本誌の取材に誠意ある回答を一度もしてこなかった。にもかかわらず「セクハラ行為」「有力支援者の公金横領疑惑」「キャバクラ豪遊」の3本の記事を事実無根として、本誌を名誉毀損で提訴し(現在係争中)、さらに本誌を刑事告訴したのである。

 中田氏はこれまで本誌の追及について「ないことないことを噂されている」などとしていたが、火のないところに煙は立たない。実は今回の告白者の奈々さんは、横浜では"噂の人物"として知られていた。

 「06年、『週刊新潮』(11月23日号)に『美人ホステス問題』として報じられました。記事の中では、中田市長が(『ナナ』という源氏名のホステスとインターコンチネンタルホテルに行った〉という噂が紹介されています」(大手新聞社記者)

 このとき、二人の交際はすでに終わっていたが、数多くのマスコミから取材を申し込まれた奈々さんは、頑(かたく)なに拒否の姿勢を貫いた。そんな彼女が今なぜ、すべてを語る決意をしたのだろうか。

 「最初に私と中田さんの関係が噂されたのは、04年の冬でした。横浜の財界、政界、そしてマスコミと、だんだんと噂は広まり、06年6月に別れるまで、二人の関係は公然の秘密のようになってしまいました。

 その間、たくさんの辛いことがありました。家の郵便物は抜き取られ、怪しい黒い車に何ヵ月も尾行されました。お客さまは離れていき、仕事ができなくなってしまいました。精神的な負担からか、大きな病気にも罹(かか)り、長期入院を余儀なくされました。

 それでも私は中田さんとの関係を絶対に話しませんでした。関係が終わってからも2年以上、ずっと中田さんを守ってきました。しかし、彼は『噂を流したのは奈々。オレは脅(おど)されている』などと周囲に吹聴したんです。私は『交際の噂を流し、市長から数千万円の手切れ金を奪った悪女』となってしまいました。

 それでも私は沈黙を続けました。しかし、"悪女"の噂は、いつまでも消えないのです。もう堪(た)えられません。正確な事実を話すことで、私が噂を流した張本人ではないこと、手切れ金などもらっていないことをハッキリさせたいと思います。

 中田さんだけには信じてほしかった。市長の立場があって、噂を私のせいにしたことは理解できますが、せめて、『ごめんね』というたった一言でいいから、声を掛けてほしかった。中田さんとの関係をハッキリさせない限り、私は前に進めないのです」

 それでは奈々さんの告白を聞いていこう。

 

「好きだよ、ずっと一緒にいたい」

 

 中田さんと初めて会ったのは、04年春のことでした。私が当時ホステスとして勤めていたクラブに、地元医師会の方たちとやってきたんです。市長に失礼があってはいけない、との配慮から、当時、店のナンバーワンだった私が中田さんの接客をするように指示されました。中田さんの第一印象はとても頭の良い方。オーラを持った独特の雰囲気に、この人なら本当に横浜を変えられるんじゃないかと思ったほどです。

 それから2〜3日も経たないうちに再び中田さんが友人2人を連れて店に来てくれたんです。お店の開店早々の、プライベートな来店でした。

 気のおけない友人同士なのか、この日の中田さんはとてもリラックスした様子で奇声を上げたりして大はしゃぎでした。子供っぽいところがまた魅力的に映りました。結局、中田さんたちはお店が閉店するまでいました。1本8万円もするドンペリのピンクを3本も開けていたので、50万円はかかったと思います。中田さんは、私の体に触れることもなく、終始紳士的でした。

 それから1週間もしない日の深夜、私が仕事を終えたころ、「近くのバーにいるから会おう」と電話がありました。ホステスとして外でお客さんとご飯を食べるのは仕事のうちだと思ったので、横浜市内のダーツバーに行きました。

 バーには中田さんと、実家が横浜中華街で飲食店を経営しているAさんが待っていました。中田さんはAさんを「一番信頼している友人」と紹介しました。

 

 このA氏は、昨年の本誌の中田市長追及記事の中にも登場した人物。中田市長はA氏が斡旋(あつせん)した合コンで猥褻(わいせつ)行為をしているのである。また、A氏はこの猥褻行為を追及した横浜市議を恫喝(どうかつ)しており、市長の陰の部分をよく知る人物とみられる。

 

 中田さんは、「奈々ちゃんカワイイね。スタイルいいね」と何度も褒(ほ)めてきました。でも、いやらしい行為はまったくありません。私は中田さんのことを「ヒロリン」と呼び、中田さんも私を本名で呼ぶ、友達になりました。

 それから1ヵ月くらいでしょうか、いつものようにダーツバーで飲んでいると、突然、ヒロリンはジッと私の目を見て、腰に手を回し、「好きだよ、ずっと一緒にいたい」と告白してきました。嬉しかったけど、答えをはぐらかしました。妻子持ちの、しかも市長という立場の方と恋人になるのは世間的にまずいことだと思ったからです。

 

 中田氏は92年、細川護煕(もりひろ)元首相の秘書をしていた詠子(えいこ)さんと結婚。二人の娘もいる。市長は以前、雑誌のインタビューで〈(妻は)ぼくの大義に共感し、応援してくれている〉〈家族といられる時間は限られているので、価値のあるものにしたい〉などと語るなど、日ごろから家庭を大切にする政治家であることを大いにアピールしている。

 

 それからもヒロリンは何度も私に告白しました。戸惑いましたがヒロリンは素敵な人だと感じていましたし、また、いつも彼は『奥さんとうまくいってない。離婚したい』と、奥さんとの不仲を口にしていたんです。奥さんとケンカしたあとにはメールで慰めてあげたりもしました(メール1参照)。実際、当時ヒロリンは奥さんと別居し、みなとみらい地区にある高級ホテル、ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテルで暮らしていたんです。だから、そろそろ離婚するのかなぁ、それだったら……という思いもあって、出会ってから3〜4ヵ月後、04年の夏ぐらいに付き合い始めました。

 

 交際を始めた男女が結ばれるのは、ごく自然のこと。交際開始からしばらくして、奈々さんは中田市長の生活していたインターコンチネンタルホテルで"深い仲"になった。

 

 ヒロリンとは、だいたい週に1回くらいのぺースでデートしました。平日は深夜、土日は夕方から夜にかけて、という感じですね。横浜市内で会うときは、いつも同じ店。Aさんも一緒のことが多かったです。たまに、東京にヒロリンの自家用車でドライブに行くときもありました。このときは二人きりでした。

 デートには気を遣いました。彼は人目を気にして、私がタンクトップなど肌を露出した目立つ服を着ると、「服、着てよな〜」と上着を着せてきます。食事も、焼き肉店『安楽亭』などヒロリンの顔を知らない若者が行くような店を選んでいました。そんな状況でも、ヒロリンは私と手を繋(つな)ぐのが好きだったんです。

あるとき、いつものダーツバーで私がヒロリンに抱っこされているとき、「市長の中田さんですよね」と、横浜港の関係者が声をかけてきたことがありました。ヒロリンはさすが政治家でした。堂々とした態度で、まるで私などいなかったようにその関係者と挨拶をしたんです。

 電話やメールは毎日来ました。市長として勤務中でも、「今何しているの?」などと用事がなくても電話が来ました。また、平日の昼間、自家用車で私の自宅まで来たことがありました。彼は大きな花束をプレゼントして、すぐに「仕事だから」と帰っていきました。彼は仕事をサボって会いに来てくれたんです。

 当時のヒロリンは、素朴な「いなかっぺ」でした。また、自分から「俺、『さかなクン』に似ているでしょ」と言って、甲高い声を出してモノマネを見せるなど三枚目な人でした。最近の彼に当時の面影は残っていませんね。

 私は市長という激務の合い間の貴重な時間を私のために割いてくれていることが、本当にうれしかった。彼は、私の前では子供の話をまったくせず、土日も頻繁にデートしていました。彼は家族よりも私のことを大切にしてくれている、そう確信していました。

 

久米宏と同席し、「ヤパイ」

 

 家族以上の親密な交際を続けていた二人。だが、奈々さんの話は、中田市長がもつクリーンな政治家のイメージとは異なる素顔を次々と暴いていく。

 

 平日のデートの際、ヒロリンはよく市長専用の公用車に乗せてくれました。たしか黒色で中は革張り、もちろん運転手もいます。はじめは乗ってもいいのかと戸惑いましたが、ヒロリンはデート中とまったく変わらない態度。運転手も何も言いません。だから、公用車の中でも恋人としての会語を平気でしていたし、手を繋いだりもしていました。

 運転手の方は大変だったと思います。先ほど話したように、平日のデートは深夜でしたし、ときどきダーツバーの前で明け方までヒロリンが車を待たせることもありましたから。

 デートのあと、公用車で横浜市港南区にある友達の家まで私を送ってくれたこともありました。ヒロリンは、「友達には、内緒だよ」と言っていました。

 また、私一人で公用車に乗ったことも何度もあります。当時ヒロリンが住んでいたインターコンチネンタルホテルで私たちは二人きりの時間を過ごしていたのですが、勤めていたクラブからホテルまで何度も公用車で向かいました。仕事が終わると、店から少し離れたところに公用車が待っているんです。

 

 言うまでもなく、公用車は横浜市民の税金で購入されたものであり、運転手はれっきとした市の職員である。それを市民派市長は私物化していたのである。職権濫用はこれだけではない。

 

 ヒロリンは「横浜でやるイベントの席なら何でも取れるからね」と言っていました。実際、様々なイベントに招待してもらいました。特に横浜スタジアムで行われる横浜ベイスターズの試合には、横浜市が所有するシートがあるようで、ヒロリンは「オレの席だからほしいときは言って」と話していました。私は"中田市長の家族"という身分で友達と何度も観戦に行きました。席はバッターボックスの真後ろにある、最前列の席です。なぜか私が観戦すると横浜が勝つので、横浜ファンのヒロリンはメールで褒めてくれました(メール3参照)。

 ヒロリンが来賓として招待されたイベントにも同行したことがあります。04年6月15日、東京ドームで開かれたダイエー対近鉄戦です。これはダイエーの初めての東京ドーム主催試合ということで、ヒロリンが呼ばれたそうです。私はこのときも"市長の家族"ということでVIPルームに入りました。しかし、二つ隣の席に久米宏さんがいたので、ヒロリンは「ヤバイ」と言い出し、わずか30分くらいで球場を出ました。

 ほかにも横浜アリーナで行われた『ケミストリー』のライブ(04年5月15〜16日開催)や、新港埠頭で開かれた「横浜レゲエ祭」(04年8月28日)、パシフィコ横浜で行われた「第12回フランス映画祭横浜2004」(04年6月16日〜20日開催)にも招待されましたが、都合が悪かったり、ヒロリンが横浜市長としての立場で参加する行事だったりしたので断りました。さらに、海外視察の同行も誘われたことがあります。「いま台湾で流行っているカフェがあって、それをみなとみらいに誘致したいから、一緒に視察に行こうよ」と言われたんです。市費で私が行ってもいいのかなぁと思っていましたが、結局、ヒロリンの日程が合わず、視察自体が中止になりました。

 

まさに市長による市を食い物にする行為だが、さらに中田市長は、公職として到底許されない悪質な違法行為にも手を染めていた。

 

酩酊状態なのに「オレが運転する」

 

ヒロリンは人目につかず、安心して会話を交わせるからと、土日は自分の車でドライブデートをするのが好きでした。当てもなく東京の道を走り、お腹が減ってくると、さきほど話した安楽亭のような焼き肉屋に行くのが定番コース。ヒロリンは肉もご飯もいっぱい食べ、ほぼ毎回ビール2〜3杯、焼酎も飲んでいました。彼はそれほどお酒に強くはないのですが、あまり顔に出ません。だからバレないと思ったのか、帰りはそのまま飲酒運転で横浜に戻っていました。「大丈夫なの?」といつも聞くんですが、「大丈夫だよ、安心して」と言うばかりで、ハンドルを放そうとはしませんでした。

 焼き肉のあとは、それほど危ない目にあったことはなかったのですが、一度危険を感じたことがありました。(前述の)ヒロリンと見に行った04年6月15日、東京ドームのダイエー戦のあとの話です(メール2参照)。この日ドームにはヒロリンとAさんと私、それと私の女友達の4人で行きました。

 久米さんを見てそそくさと席を立った私たちは、神楽坂にある高級フランス料理店に向かいました。個室でコース料理を堪能しながら、約2時間でビール、白ワイン1本、赤ワイン2本を空け、みんなベロベロに酔っ払いました。当初はAさんのBMWで横浜に帰る予定だったのですが、Aさんはまっすぐ歩けないくらい酔っ払ってしまいました。すると緒構酔っ払っていたヒロリンが「オレが運転する」と言って、運転席に座ったんです。

 神楽坂から横浜に帰る間、ヒロリンは助手席に座った私を抱き寄せ、片手運転をしながら、首都高速を蒔速100q以上で飛ばしました。今思えば、事故を起こしてもおかしくなかったと思います。

 

 飲酒運転が悲惨な事故を引き起こす社会問題となっているのは、子供でも知っている。ちなみに中田市長は、06年9月12日に行われた横浜市市長定例記者会見で、飲酒運転について「飲酒運転はどのような状況だろうとしてはいけない」などと、自分のことを棚に上げて白々しく語っている。

 さて、このような二人の交際に影が差したのは前述の通り、04年冬のことだった。

 

 私たちが交際しているという噂が広まってもヒロリンは、「聞かれても全否定しよう」「一緒に頑張ろう」と励ましてくれました。それでも噂はどんどん拡大していき、ヒロリンと私が外で会える時間は減り、たまに店で会えるくらいで、電話やメールも少なくなっていきました。05年の春以降、外で会うことはほとんどなくなっていました。05年末ごろには、さきほど話したように、ヒロリンは「オレは奈々に脅されている」と吹聴し、私を信用してくれなくなっていました。そしてヒロリンが市長に再選した3ヵ月後の06年6月ごろ、私たちの関係は終わってしまいました。

 彼と出会っていなければ、私は今でも大好きなあの店で、自分の好きな仕事を楽しんでいたはずです。そしていつかは自分のお店を持ってみたかった……。なんでヒロリンのような他人を平気で貶(おとし)める最低の人間が、横浜市長という要職に就いているのでしょう。今となってはまったく理解できないのです。

 

          *

 

奈々さんの告白を中田氏はどう受け止めるのか。横浜市に質問状を送った。

 「市長のプライベートの話なので中田宏の事務所で回答することに決まりました。申し訳ないですが、事務所に連絡してください」(横浜市役所秘書課報道担当・清水克彦氏)

 そこで中田氏の後援会事務所に連絡したが、

 「係争中ですので、コメントは差し控えさせてください」(中田宏後援会事務所担当者)

と。話すだけだった

中田市長に奈々さんの思いは届かなかった。

 

 

(写真説明)

右ページ/中田市長(上)との交際のすべてを語った奈々さん(下)

 

 

(写真説明)

胸元を大きく開いた「遊び人風」ファッションの中田氏(08年7月)

 

 

(写真説明)

奈々さんは、中田氏から多数のメールを受け取っており(メールの文面に書かれた出来事、人物名、日付などを、過去の公務記録や新聞記事と照合し、その正確性を確認した)その一部を掲載する(文中の墨消し部分(注:■で代用)は奈々さんの本名が記載)。1)「人間関係」とは、奈々さんによれば夫人との関係を指すという。2)野球観戦→会食→飲酒運転の前日のメール。文中モザイク部分(注:●で代用)はA氏の名前が記載。実際、公務記録に15日は都内とある。3)6月16日に、横浜スタジアムで横浜が巨人に14対4で大勝した試合について言及。4)実際、市長の公務記録には、04年8月5〜6日は、青森県内で公務、8日は休日と記載されている。5)奈々さんを「食べたい」という意味深な文面

 

メール1 6/5土13:08 件名:今同じ状態

■!これってほんとうに偶然なんだけど、オレも今週は人間関係がどん底。この2年で最悪の週。実はまだ続いていてオレも修復可能かどうか未知数。周囲も巻き込んでとんでもない事態に発展中。今、つらいのはオレだけじゃないんだって思えて■に感謝。

 

メール2 6/14月23:15 件名:明日の件

明日は●さんがクルマで行くので、●さんに■とお友達は一緒に送っていってもらって〓オレは仕事先から合流します。●さんが明日連絡しますと言っています。待ち合わせ時間、場所を打ち合わせて下さい。楽しみにしています。

 

メール3 6/16水22:11 件名:飲み過ぎるな〓

エライ〓■〓見事にベイスターズを勝たせた〓さっすがぁ〓とにかく飲み過ぎないように〓そんなペースで飲んでると身体壊しちゃうよ〓心配してるんだからね〓

 

メール4 8/5木19:15 件名:やったぁ〓■とつながった〓

メールありがとう〓メールご無沙汰しちゃってゴメンなさいm(__)m実は、携帯が不通でした〓先週、朝立があったでしょ〓急にザーって降ってきて〓それで慌てて携帯置き忘れて、10分後に気づいた時には、もう携帯は使えなくなってた〓データが完全にパア〓だから、■からメールもらえて良かったよ〓メールくれない人、電話くれない人のデータわかんない〓ということで、■と改めてつながった〓っていう喜びがあるよ〓今日は今から3日間、青森出張〓来週は四国なんだ…〓■と会わない間に、夏バージョンのいい男になったよ〓

 

メール5 9/8 18:19 Sub:食べたいよぉ!

メールありがとう!最近の■の調子はどうですか?■は夏休みとれたの?オレはお盆の前後だった〓休みの時って、その時はいいけど、その後がつらい〓その分、仕事がたまるって感じ〓日曜日は、今のところ無理そう〓行きたいよぉ…会いたいよぉ…食べたいよぉ…焼肉?、■■?…を!

 

 

(写真説明)

「付き合っていた当時の彼(下、04年9月)とはすっかり変わってしまった」と語る奈々さん(上)

 

 

(写真説明)

奈々さんに渡した、さかなクン似の大学時代の学生証のコピー(右)。当時の面影はない(左)