「小沢氏の問題提起」、東京新聞「本音のコラム」(2010年3月3日付朝刊)(斎藤 学、さいとうさとる)(2010.3.7)

小沢一郎について語る際には「私もこの人物を好きではないが」という枕ことばを付けなければならないようだ。が、それは原稿で食べている人たちに課せられた規定らしいので私は気にしない。この人が図らずも(当人は語らない)提起している二つの問題(@米国との距離の再検討A戦後天皇制の再検討)は、旧帝国憲法の残滓(ざんし)に注目するという点で回避不能なことだと思う。

既に公刊されているように戦後日本は岸信介氏のようなCIAのエージェント(金で雇われたスパイ)によって作られた「米国に貢献する社会」である(『CIA秘録』上巻、百七十一〜百八十四ページ)。この暫定的体制が、もくろんだ当人たちさえ驚くような長期間の効果を示したのは、日本人の「おかみ(天皇・官僚)信仰」が並々ならぬものだったからだろう。

戦後体制作りの埒外(らちがい)にいた田中角栄が市民的嗅覚(きゅうかく)からこの偏りの修正を試みると、米国は直ちに反応し、その意を受けた検察によってつぶされた。今回の小沢氏の一件も、この流れの中で生じた。彼は生き残らなければならない。今週の『週刊朝日』にある「知の巨人立花隆氏に問う」という記事に共感する。血の臭(にお)いに吸い寄せられる鮫(さめ)のように検察の刃で傷ついた者たちを一方的に批判してきた体制擁護の人は何故、「知の巨人」に祭り上げられたのだろう。(精神科医)