強引捜査の原型を特捜の鬼 河井信太郎に見る 『永田町異聞』(2010.10.3)

 

『永田町異聞』 http://ameblo.jp/aratakyo/ 

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2010年10月03日(日)

強引捜査の原型を特捜の鬼、河井信太郎に見る

 

最高検の方針は、前田、大坪、佐賀の三検事を悪者にして、早く村木冤罪事件の幕を引きたいというところだろう。

 

前田一人では納得できない世間の空気を感じ、その上司である大坪、佐賀も犯人隠避容疑で道連れにした。

 

大阪地検のこの三人が不届き者で、これを成敗するのが「検察の正義」だ、といわんばかりである。

 

大坪や佐賀は「同じ立場ならあんた達だって・・・」と、内心さぞかし、最高検に腹を立てていることだろう。

 

実際には、検察組織全体の体質の問題であることを、国民の多くは見抜きはじめているのではないか。特捜神話を生み出したマスコミへの疑念もふくらんでいる。

 

マスコミによって「正義の特捜」vs「巨悪の政界」という単純図式を、世間は信じ込まされ続けてきた。

 

もう、メディアはいい加減に思い込みの激しい「検察正義史観」から抜け出さねばならない。

 

あいかわらず、今日の朝日の天声人語は、特捜の鬼、河井信太郎を「巨悪をえぐる組織の土台を築いた」と賞賛し、「刑事裁判の99%が有罪だから、検察は正義の後衛、最後の番人」と位置づけている。

 

河井氏の功績は認めるが、検察がやることはすべて「正義」であると単純に決めつけるほど恐ろしいことはない。検事の調書への過信が、99%有罪を生んでいる側面を忘れてはならない。

 

人間は、たとえそれが検察であろうと、「悪」を内包している。検察が不正義を行うことがあるのは今回の事件で証明されたはずだ。

 

司法はそうした人間の本質を前提にして、ものごとを判断すべきである。

 

さて、マスメディアの「検察正義史観」は、まさにその河井信太郎が関わった造船疑獄に端を発しているのではないかと思われる。

 

1954年の造船疑獄は、誕生間もない東京地検特捜部が総力をあげて取り組んだ戦後初の本格的贈収賄事件だ。

 

戦争で疲弊した造船や船舶会社が経営再建のため、有利な立法を画策し、政官財界に巨額のカネをばら撒いた。

 

容疑者の一人が、政権を握っていた自由党の幹事長、佐藤栄作だったが、指揮権発動で刑事訴追を免れた。

 

政治権力に幹事長の逮捕を阻まれ、河井ら正義感の強い特捜部の検事が涙を飲んだという伝説がいまだに信じられている。

 

伝説をつくったのは、もちろんマスコミだ。政治家は自らの利益のために「正義の検察」を邪魔する悪党であるというイメージが国民の頭に刷り込まれた。

 

しかし実のところ、それは、検察が政治に敗北したのではなく、勝利したことを意味していた。

 

ジャーナリスト、渡邉文幸氏の著書「指揮権発動」が、その理由を解き明かしてくれる。

 

この本の核心は、事件捜査当時、法務省刑事局長だった井本台吉氏による40年後の証言だ。

 

それによると、河井信太郎ら特捜部が佐藤逮捕をめざして宣戦布告したものの、捜査が進むにつれ検察に勝ち目がないことが分かり、検察首脳の焦りはつのった。自ら撤退すれば検察の威信が揺らぐ。

 

そこで、東京地検検事正、馬場義続は、やむなく捜査を終結せざるを得ない状況をつくるため、副総理、緒方竹虎に「指揮権発動」を働きかけた。馬場の親友、法制局長官、佐藤達夫も援護射撃し、最終的に吉田茂首相が「指揮権発動」を決断したのである。

 

こうして東京地検特捜部は「名誉ある撤退」の道が開け、かろうじて面目を保った。その一方で、犬養法相は「指揮権発動」の翌日、辞任した。

 

渡邉氏は「指揮権発動」のなかで、偏狭な検察史観を抜け出せていないマスコミを批判し、造船疑獄の捜査について、次のように総括している。

 

GHQと馬場の強力な支援の下で東京地検特捜部は看板を掲げて5年、功名心にはやるばかりで、まだ見るべき成果は上がっていなかった。むしろ昭電でも炭官でも無罪の山を築き上げ、政界は検察に対し蔑みと警戒感を抱き始めた。そこへ血気の特捜検事河井が「ひょうたんから駒」の事件を見つけ出し、特捜部は猟犬のように飛びついた。

 

「会社事件捜査の第一人者」(馬場)といわれた河井がとった手は、それまであまり使われていなかった商法特別背任罪である。佐藤検事総長も、新聞記者に「こういう疑獄事件は、国民的な鞭撻というか、世論を背景にしなければやっていけない。諸君もひとつ大いに鞭撻してくれ」と言って、煽ったという。

 

特捜部の正念場となり、大疑獄事件に発展するかにみえた。だが捜査の進展につれ、次第に勝算のない難事件であることが明らかになってきた。(中略)

 

河井ら暴走する特捜部を抱え、検察首脳はディレンマに陥った。・・・GHQの後ろ盾がなくなった現在、これ以上の惨めな失敗は特捜部の存亡に関わる。敵に弱みを見せないで、勝ち目のない戦をいかにして収拾するか。

 

国民注視の中、検察首脳は、事件の本質を隠蔽し、「検察の威信」を傷つけない形での撤収を図った。それは政府・自由党との秘密裏の政治的妥協であり、指揮権発動と法相辞任の取引である。

 

朝日新聞が賞賛してやまない河井信太郎について、元検事総長、伊藤栄樹は下記のように語ったと、渡辺は綴っている。

 

河井は確かに「不世出の捜査検事」である。彼の調べを受けて自白しない被疑者はいなかった。しかし「法律家とはいえなかった。法律を解釈するにあたって、無意識で捜査官に有利に曲げてしまう傾向が見られた」と非常に辛辣な人物評をしている。

 

「法律を解釈するにあたって、無意識で捜査官に有利に曲げてしまう」。ここに、ロッキード事件から村木冤罪事件につながる数多くの強引な捜査の原型があるとはいえないだろうか。

 

  新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo