検察審議決の重大な欠陥を無視するマスメディア 『永田町異聞』(2010.10.8)

 

『永田町異聞』 http://ameblo.jp/aratakyo/ 

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2010年10月08日(金)

検察審議決の重大な欠陥を無視するマスメディア

「国民は裁判所によって本当に無罪なのかそれとも有罪なのかを判断してもらう権利がある」

 

東京第5検察審査会は、そのような「まとめ」で、検察が不起訴とした小沢一郎の強制起訴を決めた。

 

起訴といえば聞こえは悪いが、法廷で事実を明らかにし、疑いを晴らすチャンスだととらえれば、小沢氏としても少しは気がおさまるだろう。

 

ところが、審査会が「白か黒を裁判所に判断してもらいたい」と言っているのに、国会議員のセンセイたちや、マスメディアの記者たちは、早くも自分たちで黒白を判断し、小沢氏に離党や議員辞職を求めている。

 

このせっかちさ、この短絡ぶりは、いつものことで、もはや不治の病というほかない。

 

それより少しは、小沢氏の話によく耳を傾け、検察審査会の議決書の奇怪さをじっくり検証してみてはどうか。

 

昨日、報道陣の取材に応じた小沢氏の発言。

 

「2度の議決がありましたけども、先日の議決の中でも例えば、最初の議決の起訴の理由としてまったくなかったものが突然、今回、新たにその理由として付け加えられて、議決書に述べられていると聞いております」

 

この意味を記者たちは理解したのだろうか。筆者の知る限り、どこの新聞もほとんど取り上げていないようだが、実はこの部分にニュースの核心がある。

 

前回ブログに引き続き、もう一度、10月4日の東京第5検察審査会の議決書を見てみたい。まずは、ここだ。

 

「別紙犯罪事実につき、起訴すべきである」とあって、「第1 被疑事実の要旨」と続く。

 

「別紙犯罪事実」と「被疑事実」はどういう関係にあるのだろうか。

 

「被疑事実」は、概ね以下のような内容であり、東京第5検察審査会の前回議決と同じである。

 

「小沢氏が代表をつとめる陸山会は04年10月に代金3億4264万円を支払い、東京都世田谷区の土地2筆を取得したのに、04年分の陸山会の収支報告書に記載せず、05年分の陸山会の収支報告書に、本件土地代金分過大の4億1525万4243円を事務所費として支出した」

 

では別紙に書かれた「犯罪事実」の中身はというと、次の通りである。

 

犯罪事実

被疑者は、石川、大久保と共謀の上、陸山会が、平成16年10月初めころから同月27日ころまでの間に、被疑者から4億円の借入れをしたのに、平成16年分の収支報告書に記載せず、陸山会が、平成16年10月5日及び同月29日、土地取得費等として3億5261万6788円を支払ったのに、収支報告書に記載せず、同月29日、東京都世田谷区の土地2筆を取得したのに、収支報告書に資産として記載しなかった。

 

池田、大久保と共謀の上、陸山会が、平成17年1月7日に土地取得費用等として3億5261万6788円を支払っていないのに、平成17年分の収支報告書に支出として記載し、東京都世田谷区の土地を資産として記載し、「資産等の内訳」欄に、真実の取得が平成16年10月29日であったのに平成17年1月7日に取得した旨の虚偽を記入した。

 

問題となるのは「被疑者から4億円の借入れをしたのに、平成16年分の収支報告書に記載せず」のくだりだ。

 

これは前回議決の被疑事実にいっさい記述のない内容である。同じ容疑について、二度、「起訴相当」議決が出たら強制起訴になるということを、ここで思い起こさなければならない。

 

別の容疑事実を、二度目の議決で新たにつけ加えて、それを議決するというのでは「再議決」ではなく、「初議決」である。

 

小沢氏側は、東京第5検察審査会の起訴議決について「重大な欠陥がある」として、訴訟手続き上の異議申し立てを検討するという。当然のことであろう。このような議決は無効であるというほかない。

 

こうした事実を差し置いて、審査会の議決を判決のごとく重大視し、鬼の首でもとったかのように、小沢追放論をぶつこの国のマスメディアは、もはや完全に平衡感覚を失い、船酔い状態のように思考がふらついている。

 

「小沢氏のけじめ」と題する8日の朝日新聞社説を眺めてみることにしよう。社説というより、ほとんどアジ演説であることがわかる。

 

「菅首相と民主党は小沢氏に対し、政治的なけじめを強く求めなければならない。証人喚問など国会での説明を促し、離党勧告か除名をする。最低限、それが必要だ」

 

「小沢氏には元秘書ら三人が逮捕・起訴された時点で、極めて重い政治的な責任が生じている」

 

「一連の政治行動に、選良としての節度を見ることはできない」

 

「歴史的な政権交代の意義をこれ以上傷つけないためにも、強制起訴決定の機会に議員辞職を決断すべきだった」

 

どんな極悪人に対して浴びせているのかと思うほどのヒステリックな批判である。

 

このケースでの政治的なけじめとは何か。なぜそのようなけじめが国家、国民のために必要なのか。無知蒙昧な我々のためにぜひ、かみ砕いて教示いただきたい。

 

1年半もの間、元秘書らの逮捕を入り口に検察に付け狙われ、マスメディアの大騒動の渦に巻き込まれたすえに、検察が不起訴とした小沢一郎という政治家は、メディアを分け隔てしないフルオープンの記者会見に何度も臨んで、説明を繰り返してきたはずだ。

 

そのうえに、こんどは法廷に引きずり出され、政治活動の時間を犠牲にして、尋問に答えねばならないのである。

 

なぜ、それとは別に国会の証人喚問に応じなければならないのか、これもよくかみ砕いて説明してほしい。

 

また元秘書らが起訴されたとはいえ、彼らは公判で罪状を否認すると表明している。村木無罪判決以来、朝日が手のひらを返したように報道し始めた検事の強圧的な調書作成の例からみても、ひとまず、虚偽記載とか偽装とかいう検察的事実から距離を置くべきではないだろうか。

 

その意味で、「元秘書が逮捕・起訴された時点で、極めて重い政治的な責任がある」と軽く書くのは、「後顧の憂い」を避けるためにも、自重したほうがよかったのではないか。

 

検察審査会の強制起訴議決を機に議員辞職をしなければならないという理由も分かりにくい。どうして歴史的政権交代の意義とそれが関わってくるのかも、あわせて、もっと分かりやすく、具体的に、教えていただきたいものだ。

 

新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo