書評2


書評2:日本水産学会誌,Vol. 63, No. 5, p.404 (1997)より.

新刊書紹介
「脳・神経と行動」(生物科学入門コース, 丸山工作・岩槻邦男・石川統 編)
佐藤真彦薯  
岩波書店(1996年)/A5版, 239頁, 2,800円 (各巻)

 この本は生物科学入門コースというシリーズ(8)の第6巻である。このシリーズは,大学1, 2年生を主な読者対象に, 分子レベルから細胞, 組織, 器官, 個体, そして集団レベルと, 広い分野にわたる生物科学の大筋の理解を目的としたコンパクトなテキストとして企画され, この巻の発刊により1992年より始まった本シリーズの刊行が完了となった。「リーダブルな解説」がキャッチフレーズというだけあって, 各巻ともスムーズに読み進めることができる。興味がない部分, 多少面倒な部分は軽く読み飛ばしてもさして問題にはならない。著者の力と確固たる編集方針によるものだろう。
 さて, この巻は, , 神経系の基礎から, 感覚系の情報処理, そして行動の統御といった分野をカバーしている。神経細胞の形態, 神経インパルスの発生, シナプスにおける伝達といった神経生理学の基礎は, 中々理解が難しい分野であり, 生理学の講義では苦労しているが, この本を読んでからはぐっと楽になった。この本の流れに水産動物特有の問題を加えればよいのである。
 その上でこの本は, 神経生理学の基礎と, 動物の情報認識機構, 行動発現機構とを結びつけているところにより一層の価値がある。コウモリの聴覚における情報処理, 弱電魚の電気感覚による定位と他個体との混信回避機構, メンフクロウの聴覚における音源定位機構などを例に, 神経系における情報処理機構の一般的なルールが解説されている。また,ヤツメウナギの遊泳運動のような単純な行動への出力, さらにはイトヨの繁殖行動やカエルの性行動などから動機づけ行動や情動といったより高度な行動の制御機構が論じられている。そして, 最後の章では, 遺伝情報に従って神経系が構築されていく過程の, どこで, どのように学習がなされ, 記憶が成立するのかに言及している。
 まえがきにあるように意識, 思考といった人間の高次の精神活動は, 最も深遠な謎の1つである。現在の科学では解き明かされていないこういった問題にまでは本書では踏み込んでいないが, 少なくとも問題の所在が分かってくる。最近, 魚や海産哺乳類の行動に興味をいだく若い学生が増えているが, 本書はこれからの研究の方向性についてもヒントを与えてくれる。
 本シリーズの他の巻も紹介したい。第1巻「遺伝子の生物学」, 2巻「生体物質とエネルギー」, 3巻「細胞の生物学」, 4巻「生体の調節」, 5巻「発生の生物学」, 7巻「生態と環境」, 8巻「多様性の生物学」である。「遺伝子の生物学」は, 生物科学の中でも最も進展の著しい分野である。古典的なメンデルの遺伝学から分子遺伝学,さらには遺伝子操作まで, 一気に読む進めることができるだろう。「生体物質とエネルギー」は, 今日の生物学をささえる生化学の分かりやすい解説書となっている。「細胞の生物学」は, 生体を構成する基本的な単位である細胞について, こんなことも知らずに生理学をやっていたのかと, もう一度目を向けさせられる。「生体の調節」は, フィードバックによるホメオスタシスの維持を基調に生体の調節機構を論じている。個人的な興味からいえば, ここに免疫系をもっと大きく取り上げてもらいたかったところだが・紙数の関係から無理だったのだろう。「発生の生物学」は, 受精, 卵割から胚葉形成, 器官形成という生物の最も神秘的な現象について, 最新の知識を平易に解説している。これまでの各巻が, 生物個体の内部について詳しく解析しているのと異なり「生態と環境」と「多様性の生物学」は個体以上が基本的な単位となる。生物学には分子のレベルもあるが, こうしたマクロな視点に立つ分野もあるから面白いのだ。環境と生態との関係を深く理解し, その上で多様な生物を有効利用する方策を探るのが水産学の中心的なテーマであり, 私を含めて個体以下のレベルにばかりに目が向く人にこそ読まれるべきであろう。
 水産学会誌の読者には, 私と同様, 生物学の系統だった教育を受けてから既に長い時間を経過している人も多いだろう。先に述べたように, 本シリーズは大学1, 2年生向けに書かれているが, 専門として生物科学やその周辺を担っている人々, つまり本学会の会員にふさわしい, 再教育の書であるといえる。(東大農 鈴木 譲)