|
御(五)霊神社
「村岡五霊宮略記」によれば、坂下村の御霊神社(ごりょうじんじゃ)は、鎌倉太郎景継始請
とある。このことから、坂下御霊神社は、鎌倉権五郎景政の子の景継が
村岡御霊宮(村岡御霊社)を移祀したことがわかる。 「村岡の御霊神社の縁起類について」阿部征寛(藤沢市文書館紀要(1)藤沢市文書館刊 「御霊神社来由」に概略次のようなことが書かれている。 ・村岡御霊宮(村岡御霊社)は、平良文が勧請した。 ・平良文の旧宅は、村岡御霊宮にあった。 ・嫡子忠通が村岡御霊宮の南に新たに館(古館)を造り、権五郎、小太郎の代に至まで住んだ。 ・忠通の嫡男景通・景成の世から鎌倉大倉ヶ谷え小行事の坪を立て、出仕してから鎌倉氏を名乗った。 ・八幡太郎義家が鎮守府将軍となって鎌倉に下向した時、権五郎景政は大倉ヶ谷の館を将軍に進し、 由井の里に新たに館を立て移った。その地を甘縄と号した。 このことから、この御霊神社は、景政の鎌倉の館跡であるといわれている。 村岡御霊神社は、崇道天皇(光仁天皇第二皇子早良親王)、鎌倉権五郎景政、葛原親王、高見王、高望王 の五霊を祀る神社であったが、坂下御霊神社は、大庭氏、梶原氏、長尾氏、 村岡氏、鎌倉氏のいわゆる関東平氏五家の先祖を祀る五霊神社であった。 それが同音である御霊神社となり、鎌倉権五郎景政を祀ることとなったというが、 そのほかの理由として、頼朝が鎌倉に入ると、鎌倉地方に勢力があった大庭、梶原、長尾は没落し、鎌倉氏を名乗る人がいなくなって、 関東平氏五家は、没落したこと、世の中が平氏から源氏に変わったこと、景政が有名で、関東平氏五家の 共通の先祖であることなどが考えられる。 御霊神社は、景政の先祖の平良兼、致経、忠通、景成と景政の五つの霊を祀る五霊神社であったという説もある。 本殿の左手に、景政が領地を見回る際に弓を立てかけたという、弓立ての松。 右手に、手玉石、袂石(たもといし)がある。 かつては、長谷寺を参拝し、御霊小路を通って御霊神社にでてお参りし、 由比ガ浜から江ノ島に舟で行ったとのこと。 少し遠回りになるが、江ノ電、極楽寺駅下車をお勧めする。改札をでて左手に歩いて極楽寺切通しを下ると、左手に 日本三名井の星の井がある。そして、その少し先に、力餅家があり、 その店の前に景政の石碑が建つ。そこを左折。すこし行くと踏み切りがある。その先正面が神社。神社の正面右手前に 社務所あり。お守り、絵葉書等を販売している。トイレ等なし。 力餅家の権五郎力餅は有名。夕方行くと売り切れ。店にひっきりなしにお客が。 完全自然食のおからのかりんとうも安くておいしい。おすすめ。それ以外のものもおいしい。 店の前に景政の石碑がある。石碑の半分が道路、半分が店の土地に建つ。 帰りは、海岸に出て稲村ガ崎まで散歩をお勧めする。稲村ガ崎から見る江ノ島、富士山は一見の価値有。 |