掛川城

拡大 掛川(かけがわ)城は、今川氏が滅亡した城として有名。

城は戦国時代の文明年間に今川義忠が家臣に城を築かせたことに始まる。

第4回川中島合戦で信濃を確実に手に入れた武田信玄は、 北西関東に進出し、箕輪城を始め上杉氏に関係する諸城を落とした。 一方、徳川家康は、桶狭間の合戦で今川義元を失った今川家の 衰退を見て、駿河に侵攻しようとしていた。 駿河全土がその手に落ちるのを恐れた信玄は、今川、北条、武田の三国同盟を破棄し、 徳川家康と密約を結び同時に駿河に侵攻する。

もともと今川氏と硬い同盟関係にあった北条氏は、武田信玄に反発。上杉謙信と同盟を結び 今川氏を助けようとしたが、間に合わず、永禄11年(1568年)12月15日、武田信玄に 駿府の館を追われた今川氏真は、重臣朝比奈泰朝の守る掛川城に逃げ込む。

ところが同27日、今度は徳川家康が掛川城を攻める。しかし、城はなかなか落ちない。 家康は和議に持ち込み、5月17日開城。今川氏真は落ち延びて今川家は滅亡する。

その後、信玄は北条氏を攻め、有名な三増合戦が起こる。 しかし、北条氏康が死ぬと北条氏は再び信玄と手を結ぶ。そして背後の憂いがなくなった信玄は 上洛をめざすことになる。

他方、もともと織田信長と同盟関係にある家康は、武田信玄の上洛に備えて、 浜松城を作る。そして、有名な三方が原の合戦が起こる。

天正18年(1590年)山内一豊が城主となり天守閣を造る等整備。以降有名な武将の 居城となり、明治に至る。

天守の丸、本丸、二の丸、三の丸に天守閣、銭櫓、塩櫓、古櫓、朱印櫓、鉄砲櫓、二重櫓、 富士見櫓、腰櫓、矢櫓、古櫓、太鼓櫓等があった。

現在は、太鼓櫓と二の丸御殿が残る。 天守閣は平成5年(1993年)木造で再建された。

掛川駅の北のメイン通りをまっすぐに北へ徒歩約7分。逆川にかかる緑橋を越えてすぐに左に入る。 四足門を越えると左手に太鼓櫓(非公開)がある。見落としがちなので注意。その隣が 入館券売り場、天守閣と二の丸御殿の見学券は一般個人300円。

本丸跡、腰櫓台跡を経て登城路、天守下門跡、井戸、天守閣に至る。帰りは登城路から 二の丸御殿へ。146年前の御殿。当時の御殿が現存するのは全国でも二条城と高知城と掛川城の 3個所のみという。太鼓櫓の太鼓がここに移され打たせてくれる。またシルバーセンターの人がよく 説明してくれる。

入館券売り場の隣がトイレ。食堂、売店ないが途中街中に多数あり。公衆電話も街中に多数あり。 駐車場は近くに「大手門駐車場(有料)」あり。緑橋を越えた右側に駐車場の案内版あり。

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