片野城

拡大 片野(かたの)城は、文永年間(1264〜74年)頃、小田氏の一族、八大将監が 小田城の北の守りの砦として、片岡から移り、佐久山に築いた。

南北朝時代(1336〜92年)には、片野彦三郎親吉が小田城の北畠親房を助けた。 この頃は、本丸、多聞丸、天神丸があった。

その後、小田氏と対立する佐竹城の佐竹義重は、永禄9年(1566年) 岩槻城親子ともどもを追われ、義重の客将となった太田三楽斎資正を 小田氏の備えとして片野城に入れた。

戦国時代の片野城は、本丸、二の丸、三の丸、東の戸張、西の戸張があった。 現在は堀切、土塁が残る。

資正は片野城にあって、おなじく岩槻城を追われた次男で柿岡城に入った 梶原政景と協力して小田氏を国外に追った。その後も三男資武とともに片野城にいて、岩槻城奪還を志したが、 天正19年(1591年)69歳で他界。

その後、石塚城(常北町)の石塚源一郎義国が城主となったが、徳川の世となった慶長7年 (1603年)佐竹氏とともに秋田に移り、羽柴壱岐守(滝川氏)が四代住んで廃城となった。

県道64号線で千代田町から八郷町柿岡に向かう。途中片野の部落に入ると広い道が急に狭くなる。 バス停「片野下宮」が右手にある。左手は寺。そのすぐ先を右に曲がる。左に曲がる道なし。

すぐ右手にGS。少し行くと川を渡り、広い農道との交差点を越える。ほんの少しいくと、道は左に 大きくカーブする。そこは、直進の道と右に曲がる道がある。そこを直進してすぐ左手に、カーブ ミラーがある。そこを右折する。坂を上った左手に案内板と写真の 石碑が建つ。

坂の手前が広くなっている。そこに駐車可。トイレ等なし。

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