国府台城跡

拡大 国府台(こうのだい)城跡。

築城

文明11年(1479)太田道灌が弟太田図書助資忠らに築かせたという。

背景

亨徳4年(1455年)に始まった亨徳の乱のとき、千葉氏は、二手に分かれて対立していた。

千葉の本家の千葉第十七代胤直を多古城に滅ぼし古河公方と手を結ぶ 本佐倉城の千葉氏と、 滅ぼされた千葉本家の千葉第十七代胤直の弟の子らは、古河公方と対立する関東管領扇谷上杉氏 の家老である太田道灌の助けを借りて、本佐倉城の千葉氏と戦うことになる。

亨徳の乱の最中、文明8年(1476)長尾景春が長尾景春の乱を起こす。上杉顕定に反旗を翻し、 古河公方と一緒になって上杉氏と戦う。これに賛同したのが房総半島の千葉孝胤である。

文明10年(1478) 太田道灌の裏工作によって、20年間、対立していた上杉氏と足利成氏の間で和議が成立し亨徳の乱が終わる。 しかし足利成氏の有力武将千葉孝胤は この和議に反対したので、道灌は孝胤を攻める。

同年12月、太田道灌は、千葉孝胤と境根原合戦(松戸市小金)で戦って勝つ。敗れた孝胤は、一族の臼井持胤の臼井城に逃げ込む。 これを攻めるために、文明11年(1479年)太田道灌が千葉自胤を助け、臼井城に篭る千葉孝胤討伐のために弟太田資忠らに築かせたのが、 はじまりと言われる。

臼井城の戦いでは、太田資忠が取って返して攻め戦い、敵に付け入って攻め込んで、 ついに城を攻め落とした。 しかし太田資忠他53人が討死した。

国府台合戦

この城は、戦国時代に里見氏と北条氏の二度にわたる合戦で有名である。 第一次国府台合戦、と第二次国府台合戦である。

廃城

豊臣秀吉の小田原征伐北条氏が滅び、 徳川家康が江戸に入ると国府台城は廃城となった。

当時

当時の城の規模等については、不明。

明治維新

慶応4年(1868)4月11日夜、大鳥圭介は向島で待機していた500名と国府台に集結。 その後12日市川で桑名藩兵ら1400名と合流。これに流山から敗走した土方の隊が加わり、 総督を大鳥、副を土方と決め、日光へと向かった。

現在

現在は、里見公園となっている。よく観察すると公園の中は二重の土塁が江戸川沿いある。 その間が空堀で今は散策路となっている。したがって、江戸の方からの攻撃の備えは充分考慮されていた。 公園の中には、そのほか、夜泣き石、里見群亡の碑、羅漢の井等がある。

行き方ほか

千葉県市川市国府台3-9。

京成本線「国府台駅」から約2キロ。北総・公団線「矢切駅」からも約2キロ。京成線「国府台駅」から松戸行きバス 「国立病院」下車。時計、子供の像、里見公園の看板があるロータリーがある。そこをまがると300メートルで里見公園。

駐車場なし。桜の期間のみ臨時駐車場あり(看板が出ている)。公園の近所は駐車禁止。したがって桜の期間以外は バス利用となる。駐輪場あり。電話、トイレ多数あり。休憩所あり。売店あり。

管理事務所(電話047−372−0062)に里見公園のパンフあり。このパンフに国府台城に関することが載っている。 パンフを参考に見学することをお勧めする。

INDEXへ