源頼政

源頼政(みなもとよりまさ)。

摂津源氏

摂津源氏。

鵺を退治

頼政は、幼い近衛天皇を悩ます化け物「鵺」を、中国から伝来した「水破・兵破」という矢で退治し、鳥羽院から「獅子王」という太刀を授かった。 その太刀は現存している。

大内守護

頼政は、御所の内庭を警護する大内守護として八条院に仕えていた。 頼政の養子仲家(源賢の子・木曽義仲の兄)は八条院蔵人だった。 源行家を八条院蔵人に推挙している。以仁王は八条院の女房中の筆頭である三位局・高階盛章の娘の夫で、八条院の猶子であった。

以仁王に挙兵を勧める

平氏の次男平宗盛は、源頼政の嫡男仲綱の名馬「木の下」をだまし取った。そして馬に「仲綱」と名付け焼印を押して送り返した。 頼政は、そんな平氏は長く続かないと、以仁王に平氏打倒の挙兵 を勧めたという。

橋合戦

源頼政は、橋合戦で平等院に籠って抵抗するが戦いに敗れ、釣殿で渡辺唱の介錯により腹を切って自害した。 下河辺藤三郎清恒によって首は石に括り付けて宇治川に沈めた。 嫡男仲綱の首は下河辺清親が平等院の壁を破って隠した。床下に投げ入れて隠したとも言われている。

頼政の子兼綱、養子(木曽義仲の子)の源仲家・仲光親子も討死する。兼綱は足利忠綱に射られた。

知行国は伊豆

頼政は、平治の乱の功績で伊豆国を賜った。 以降22年間、源頼朝が流された伊豆は知行国であった。 知行国主は頼政、国司は子の仲綱だった。

渡辺党・下河辺氏

渡辺競は、平氏に味方するふりをして、平宗盛から名馬「なんりょう」をせしめて、焼印を押して密かに返した。 平氏の侍どもは、この戦いで競を生捕りにしようとしたが、競も心得ていて、散々戦って討死する。 この時摂津源氏の頼政は、摂津国の渡辺口を根拠地にしていたから渡辺党渡辺唱、渡辺競は頼政の郎党だった。

父仲正は下総守であったし頼政も下向しているから、仲正・頼政親子と下河辺氏と主従関係を結んだことが考えられる。

太田道灌

頼政の末裔に太田道灌がいる。 頼政の4世の孫源資国が丹波国太田庄に住み、太田氏を名乗ったことに始まる。

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