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長江館
長江(ながえ)館は、長江太郎義景の館。三方を生みに囲まれた三浦氏が勢力を拡大するには、北の鎌倉しかなかった。 鎌倉は当時、鎌倉党が支配していた。党首の鎌倉権五郎景政は、南からの圧迫にそなえ、 西の大庭を開拓して伊勢神宮に寄進し、大庭御厨として領土の保全をはかった。 大庭には景政の一族である大庭氏がいた。そのため大庭御厨司は、大庭氏となった。 義景の父景明は、摂津の国長江倉橋雨庄の地頭職をしていた。義景はそこに住んで長江氏を名乗った。 関東に帰るに当たって、大庭御厨を継げず領地のない義景に、鎌倉に進出したい三浦氏は声をかけたに相違ない。 いくところのない義景は三浦大介義明の娘を妻として、大山に居を構えた。それが長江館である。 義景が長江に住んだので長江を名乗ったというのが通説であるが、義景が住んだところは長江という地名はなく、大山であった。 長江氏が住んだということで、長江となった。そして「長江邑(むら)は後世長柄邑と言ふ」ことになり現在に至っている。 新編相模風土記稿には、「館跡 小名殿ヶ谷東南の山間なり、水田とす、東は山を負い西に堀跡あり、 俚俗伝へて長江太郎義景の館跡なるべしと云う」とある。「殿ヶ谷」も長江義景が住んでいたので その名が付いた。 館の詳細は不明。義景−明義−義重と続いた。義重のとき、三浦合戦で三浦氏につき、北条氏に敗れ廃館となったといわれている。 現在は、館跡に義景社が建つ。 電車では、JR逗子駅下車。2番乗り場のバスで約10分〜15分、長柄交差点下車。長柄交差点を左折し 徒歩約10分で福厳寺に。その脇の狭い道を入ると殿谷戸で、長江館(城)があったと思われるところ。 田んぼの左奥に義景社がある。 休日は道が込むので、バスが遅れがち。20〜30分待つつもりで。 川久保はバスが通っているが本数が少なくバス停もないとのこと。川久保の信号の近くに公衆電話あり。 食事をするところはない。トイレなし。駅ですませてから。 |