長沼城跡

長沼(ながぬま)城跡。

元歴元年(1184年)長沼五郎左衛門尉宗政によって築かれた。

長沼氏は、小山三家の一つ。

宗政は、淡路守と称し、一の谷の合戦で活躍。寿永2年(1183年)、野木宮合戦で志田義広を討つ。 平家追討、奥州征伐、承久の乱でも活躍する。

以降、宗政−時宗−宗泰−長政−政保−宗保−宗光−駿河守宗親−宗恒−宗平−宗時−宗成と続く。

室町時代に入り、12代成宗のとき、康正元年(1455年)、足利公方と 関東管領上杉氏が戦った享徳の乱で、上杉氏に味方した。

そのため、文明年間(1469〜87年)古河に入った古河公方に攻められて廃城となった。 そしてこの地は結城氏の家臣多賀谷城主多賀谷氏の領地となった。

なお、鎌倉時代末期、関東勢の一員として千早城攻撃に活躍した(宗泰の子の)秀行は、長沼荘や陸奥国の地頭職となった。 この系統の長沼氏が下野国皆川氏として、戦国時代を生き抜く。

当時の規模などは不明。現在は畑や宅地。

真岡市長沼。

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