逗子・沼浜城跡

拡大 逗子・沼浜(ぬまはま)城跡。

源義朝の館

鎌倉に幕府を開いた源頼朝の父、源義朝の館。

場所は逗子市沼間にある法勝寺。城の詳細は不明。いまは城に関する史跡は何もない。

義朝は、京に住んでいたが父と意見が会わず対立し、関東に下った。義朝は上総氏等の庇護を受け同地で成長した。 義朝は上総御曹司と呼ばれた。そして三浦氏の娘を妾にし、義朝はここに住んでいた。

しかし、保延6年(1140)頃、義朝は、ここから鎌倉の源義朝館に移った。

義平が住む

その後、嫡子の悪源太義平が住む。義平は、永治元年(1141)生まれ。母は三浦大介義明の娘。 義平は、武蔵国比企郡小代郷(埼玉県東松山市正代)に「小代の岡の屋敷」を建て、そこを拠点に、久寿2年(1155年)8月16日、 武蔵国大蔵に住む叔父の源義賢の大蔵の館を襲い、攻め滅ぼす。(大蔵の戦い

平治の乱が起こると義平は沼濱城から出陣したが、戦いに敗れ、 義平は永歴元年(1160)に20歳で打ち首になっている。

壽福寺に寄付

北条政子は、建仁2年(1202)2月29日、義朝の沼濱の旧宅を壞ち渡し、亀谷寺へ寄附した。 亀谷寺とは、壽福寺である。

この話は、亀谷寺を建立した初めにこれを決めたが、唯一残っている父義朝の記念として、頼朝が壊れたところを修復して、 しばらくの間は壊してはならないことになっていた。

しかし、政子は、頼朝が夢にあらわれて、「猟師が魚を殺生をするので、宅を壊し寺の中に建ててくれて、六楽を得たいのだ」 といったとして、寄付をしたという。

寺の話

寺の話では、ここの裏山をこえれば金沢。南に尾根伝いに三崎までいけるとのこと。 また法勝寺を境に東を上、西を下という。寺の前の道は、直線で東西の方角あらわしているという。

近くにある史跡

この地には、武道橋、矢の根橋、馬場橋などそれそれの地名にならった橋がある。 横須賀線を越えると五霊神社がある。

移転

当初、法勝寺は、逗子インターチェンジのところにあった。そのため義朝の館もそこにあったともいわれている。

行き方など

電車の場合、JR東逗子駅下車。すぐ徒歩約10分。

車の場合、東逗子駅を目標に行く。駅の西側の踏切を渡ってすぐに右折。矢の根橋、馬場橋をこえて少し行くと左手に 看板がある。そこを左折すると正面にある。

寺に駐車場あり。トイレ不明。街中なので近くに何でもある。

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