小田原城跡

拡大 小田原城(おだわらじょう)跡。

小早川氏の小早川城

土肥実平の嫡男遠平が、石橋山の戦いの功績で、 小早川に住み小早川氏を名乗って築城したのが始まり。小早川城と言った。

大森氏の華嶺城

その後も小早川氏が治めたが、犬懸上杉氏上杉禅秀の乱で禅秀に味方したため没落した。

そして足利持氏に味方し、乱を治めた功績で 扇谷上杉氏の上杉顕方の家臣大森式部大輔頼顕が、 応永22年(1416)1月、土肥・土屋地方を受領し、岩原城(南足柄町岩原)から小田原城に入った。

以降、頼春・藤頼と約80年間大森氏の居城となった。華嶺城(こみね)と言った。

大森氏頼の妻は三浦高明娘で、義兄弟に三浦時高 、子に実頼、藤頼、三浦高救がいる。 三浦高救は、養子に高救(扇谷上杉氏の上杉持朝の次男)・義同(高救の嫡男、 岡崎城主・新井城主)がおり、 相模三浦氏とは関係が深かった。

北条早雲の小田原城

長享の乱で山内上杉氏と対立する扇谷上杉氏の上杉朝良は、 駿河国守護今川氏親に救援を求めた。 これに対し、氏親は、重臣で伊豆韮山城の北条早雲を送った。 早雲は、この機に、明応4年(1495年)扇谷上杉氏の家臣である大森藤頼の 小田原城を落とす。今川氏との関係を重要視した朝良は、これを容認した。

藤頼は、誰もいない古城の眞田城に入った。

北条五代

その後、北条氏は、北条氏綱、北条氏康、北条氏政、北条氏直の五代95年間続いた。その間次のような戦いをした。

・ 上杉氏との抗争

この間、北条氏は、相甲駿3国同盟を結び、新井城に三浦氏を滅ぼし、扇谷上杉氏から 江戸城岩槻城川越城等を奪い、川越合戦で滅ぼし、 関東管領の山内上杉氏の平井城を攻め越後に追いやる。 そして古河公方を抱き込む。

・ 上杉謙信との抗争

関東管領職を譲り受けた春日山城の上杉謙信が関東に越山するようになる。 その時、北条方の城は、小田原、韮山、玉縄、津久井、武蔵国では、江戸、小机、松山、花園。上野国では、舘林、赤石。 下総では、関宿、佐倉、小弓。上総では、土気。下野では、壬生、鹿沼。常陸では、結城城であった。

そこで躑躅ヶ崎城の武田信玄と甲相同盟を結んで、上杉謙信、佐竹氏里見氏らの連合軍と戦う。 (第一次国府台合戦第二次国府台合戦。)

・ 武田信玄との抗争

武田信玄が同盟を組んでいた駿府の今川氏を攻めると、信玄と手を切り謙信と越相同盟を結んで信玄と戦う。 (三増峠の戦い。)

・ 御館の乱

しかし謙信との同盟は全く実のないであった。それを知った北条氏は、再度武田信玄と甲相同盟を結ぶ。そして信玄は上洛を目指すが、病死。 信玄亡き後、御館の乱で上杉景勝に味方した武田勝頼と対立、甲相同盟を破棄した。

そして、信長の命で武田勝頼を攻めるが、北条氏の功績は無いのも同然とみなされ、それどころか東上野や東駿河は取り上げられ、 信長は、上野を滝川一益、駿河は徳川家康、甲斐を川尻秀隆に、信濃を戦功のあった家臣に与えた。

・ 徳川家康との同盟

本能寺の変で信長が滅ぶと、甲斐の国をめぐって徳川家康と戦う(天正壬午の乱)が、 豊臣秀吉に対抗するため、北条氏と徳川家康は、姻戚関係を結ぶことになる。

・ 徳川家康の裏切り

しかし小牧長久手の戦い後、徳川家康は秀吉と和睦し、その臣下となる。

北条氏は反北条の佐竹氏などがすでに豊臣秀吉側についていたので、秀吉の臣下となることをためらった。

・ 名胡桃城事件

他方、武田信玄の家臣で箕輪城にいた真田昌幸は名胡桃城を足がかりに 沼田城を攻略し、北関東に進出する。武田氏滅亡後、真田昌幸は徳川家康に仕えた。

家康と北条氏は、真田氏の領地を交換することとした。しかし代替地を示さない家康に真田昌幸は反抗。 昌幸の上田城を攻める。(第一次上田合戦

真田昌幸は家康から秀吉に寝返る。そこで北条氏は秀吉に領地の裁定を依頼、秀吉は、沼田城は北条氏のものとしたが、 名胡桃城は真田氏のものとした。

何とか名胡桃城を手に入れたい北条氏は、真田昌幸の偽書状を名胡桃城代鈴木主水に送り、 鈴木主水が信州のおも向いた留守に戦わずして、城を手に入れた。名胡桃城事件である。 鈴木主水はその責任をとり正覚寺(沼田市)で自刃した。

・ 小田原征伐

真田昌幸から報告を受けた秀吉は、自分の裁定が守られず面目が丸つぶれとなり激怒。北条氏が伊達政宗と手を組んでいたのも快く思っていなかった。 天正18年(1590年)東海道と中仙道から小田原を攻める。いわゆる小田原征伐で北条氏は滅びる。

江戸時代

江戸時代に入って稲葉氏、大久保氏の居城となる。二度の地震で倒壊の目にあうが、復興して明治を迎える。

当時

関東の覇者北条氏にふさわしい巨城。外郭は全長9kmにも及んだ。本丸、二の丸、三の丸、御用米曲輪 等々数多くの曲輪があった。 出入口は早川口ほか8つの口があったほか、お鐘の台大堀切があった。

現在

天守閣、二の丸隅櫓、常盤木門、銅門が復元されている。

行き方など

昭和35年に復興された天守閣も立派なら、そこに展示されている鎧兜、各種資料も見事。

また4階からの展望がすばらしい。海の方を見れば江ノ島、真鶴半島、伊豆大島、 山の方をみれば丹沢山系まで、すばらしいの一言。天気のよい日に訪問したい。

車の場合、小田原駅前に出て駅に向かってロータリーを左に行く。丁字路を右に行くと左にカーブする。 信号の手前左側に城内臨時駐車場(御用米曲輪)に車を止めることになる。

そこから二の丸を突っ切って馬屋曲輪から銅門、常磐木橋、常盤木門(中に入れる。無料)を通って本丸へいくことを勧める。

駐車料金は1時間300円、30分増すごとに100円。ゆっくり見学すると2時間以上かかる。

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